第55話 翼を与える好奇心

 包囲網から逃げ出したゴブリンみたいな奴を追って、地下水路を駆け回る…………。

 しかし、俺は途中で立ち止まり、頭を抱えた。



「ここ、どこ……?」


 道に、迷ってしまいました……。


「うっそ~、マジかよ~。ええ~、馬鹿か俺はぁ~」

 もう、かれこれ一時間は彷徨っている。

 元の場所に戻ろうと頑張っているけど、全然戻れない。

 地下水路の地図は兵士さんに返してしまったので手元にない。


「あ、そうだ。引き出しの能力。一度地図を見ているんだから、脳のどこかに記憶があるはず」


 目を瞑り、意識を巨大な箪笥がある場所へ飛ばす。

 早速、引き出しをけ、地下水路の地図を発見。

 そして、喚く!



「いや~! ここがどこかわからないから役に立たな~い!」

 地図は賭博場周辺しか記していない。

 仮に全体図だったとしても、今どこにいるのかわかる自信はなかった。

 

 周囲はどこも似たような光景で、目印になるようなものは何もない。

 壁や床に数字といった目安となるものは皆無で、あえて迷うように作っているようにしか思えない。


「うわ~、ホントにどうしよう。早く、元いた場所に戻らないと」

 ここで立ち止まっていてもしょうがない。

 とりあえず、歩く。

 

 

 しばらくあてもなく歩いていると、滝のような轟音が響いてきた。

 音の出所が気になり、近づいてみることに……。


「おお、何これ? すっごい」


 上下左右四つの水路が重なる中心に、ぽっかりと円状の巨大な穴があり、水は穴底へと流れ落ちている。

 穴の大きさは直径10mはある。底は真っ暗で何も見えない。



「こっわっ。落ちたら死ぬな。どこに通じてるんだろ? てゆーか、ここで下に流れてたら、下水に流れ込んで井戸まで届かないと思うけど、何かの専用水路かな?」


 用途不明な場所。ここは預かっていた地図には載っていなかった。

 つまり、ここは明らかに賭博場の場所から離れているということだ。



「こりゃ、どうしようかぁ。ほんと……うう、疲れたし、足痛いし、眠いし……もう、いいか」



 深夜のお仕事。気の張る戦闘。歩き疲れ。そして、精神的な疲労。

 諸々が重なり、急激に眠気が襲ってきた。


 俺は轟音響く滝から距離をとって、通路の床に座り込んだ。


「今日は寝よう。明日になったら、何とかなるだろ……」


 念のため、周囲に探知魔法を張る。

 これは一定距離に何者かが近づけば、ビリッと電気が身体に走る仕掛け。

 

 目覚ましとしては最低な部類だけど、安全には代えられない。

 安全を確保したところで壁に身を預ける。そのまま、ずるずると地面へ向かって体を倒し、目を閉じて寝ることにした。




――意識は眠りへと沈んだはず。

 

 だが、不思議な旋律が脳を刺激する。

 瞼は音楽に誘われ開いていく。

 目の前に広がる光景は、記憶たちが眠る巨大な箪笥が鎮座する空間。

 そこは常に無音で、箪笥以外何もない世界。

 だけど、今は聞き覚えのない音楽が流れている。

 どこから聞こえてくるのだろうか?

 

 耳を澄ます。


 音はとても切なく、心の芯へ響く。

 このまま静かに耳を音楽へ傾けていたら、無意識に涙が溢れてきそうだ。


 なるべく、音楽へ心を向けず、音の発生源だけに意識を傾ける。


 音楽は箪笥の後ろから聞こえてくる。

 巨大な箪笥の腹を横切り、後ろへと回る。

 

 そこでは、影の女が影の椅子に腰かけて、楽器を持ち音楽を奏でていた。

 楽器も女と同様に影で、何の種類の楽器なのかわからない。

 ただ、音の雰囲気から弦楽器だってことはわかる。



 彼女に近づき、声をかける。

 彼女は音楽は止め、こちらへ顔を向けた。


「何をしてるんだ?」

「見てわからない。音楽を楽しんでいるの」

「そりゃ、わかるけど。なんで、こんなところで?」

「ここしか、私の居場所がないから」


「ここしか? たしか、最初にあったときは狭間の世界みたいなところにいたよな」

「あそこは檻だった。でも、今は少し自由」

「どういう意味だ?」

「さぁ、どういう意味だと思う?」

「質問しているのは俺だぞ」

「ウフフ」


 

 彼女は妖艶な笑い声をあげて、再び楽器を奏で始めた。

 何とも掴みどころのない女だ。

 

 俺は彼女から意識を外して、これからのことを考える。


(とりあえず、この状況が何なのかは置いといて、元の場所に戻る方法を探さないと。地下水路の地図は役に立たないし)


 と、俺が水路のことを考えていると、影の女は音楽を止めて話しかけてきた。


「あなたって、間抜けね」

「あん、迷子のこと言っているのか? うっさい」

「たしかに、迷子こともそうだけど、もっと別のこと」

「なに?」

「みんながいる場所へ戻る。それは、元の場所に戻るとは同じ事じゃない」

「うん?」


「上を見なさい。お間抜けさん」



 彼女が上を指差す。

 それに促され、俺も上を見る。

 すると、光が目を覆い、眩しさのあまりに思わず声を上げてしまった。


「うわっ! はぁはぁ、あれ?」


 目を開けると、目の前には水路。

 ここは眠った場所。


「夢? じゃないよな……ま、ともかく、元の場所に戻らないと。そういや、影の女は妙なことを言っていたな」



『みんながいる場所へ戻る。それは、元の場所に戻るとは同じ事じゃない』



「そんなこと言っていたな。あと、上を見ろと」

 

 俺は上を見上げた。

 目に映るのは地下水路の天井。

 天井は高く、ここは地上から相当深いようだ。

 階段を下りた覚えはないので、おそらく知らぬうちに道を下っていたのだろう。


「さて、目覚めたはいいけど、日の光がないから朝かどうかも……あっ」


 俺は気づいてしまった。自分がどんだけ間抜けなのか。

 あまりの馬鹿さ加減に笑い声は弾け飛ぶ。


「ふは、ふはは、あははははは、ばっかじゃん俺。もう、ほんと馬鹿。何で元の場所に戻ろうとしてんの? 地上に出ればいいだけなのにっ! あはは、本当にバカすぎて……腹立つわ!!」



 俺はそこらゴロゴロと転がり、何度も床を叩いて無駄に歩き回った自分を笑い続ける。

 途中でひっくり返って、死に間際の虫のように体をわしゃわしゃと動かす。


 息切れするまで暴れつくし、壁に身を寄せて、座る。


「はぁ、馬鹿だ~。恥ずかしいわぁ。上に上がればいいだけなのに、うろうろして……はぁ~、さっさと帰ろう」


 上に通じる階段を探して、移動を開始する。

 周りを見渡すと、水路を挟んだ向かい側に梯子や階段が見えた。

 だとしたら、こちら側にもあるだろう。

 

「ふむぅ~、もし、出入り口が鍵や封印で閉じられていたら厄介だけど……ま、騒いでたら誰か気づくだろうし、あんま気にしなくていいかな。最悪、全力魔法でドカンといくか……サシオンから怒られるだろうけど」



 歩きながらそんなことを考え、次に帰ったあとのことを考える。


「あ~あ、アプフェルが聞いたら笑うだろうなぁ。フォレは呆れた顔を浮かべるだろうし、ピケに迷子になって帰りが遅れたなんて言ったら『やっぱり私がいないとだめだね』、とか言われそうだし。はぁ~、事実馬鹿だから仕方ないけど」


 情けなさを背負い、壁伝いに歩く。かなり奥に階段らしきものが見える。

「あとは上がるだけか。行きますか」


 壁に手を当てて、体を押すように前へ出ようとした。

 すると、手を当てていた壁が、ズズッと小さな異音を立てて奥へとへこんだ。


「え……何?」


 へこんだ壁をさらに押し込む。

 手を当てた箇所の壁がゴゴゴゴッと音を鳴らして、中へ潜り込んでいく。 

 壁には拳一つ分の空間が開く。

 そこには黒いボタンがあった。



「ふむぅ~、どうしよう? 押しちゃダメだよね。でも、この誘惑はきついぞ」


 地下水路の壁に隠されていたボタン。

 怪しすぎるボタン。

 これを押す奴は大馬鹿だ。

 馬鹿、バカ、ばか、なんだけど~。


「う~ん、いや、だめだ。危険なことは避けるべきだ。えい、ポチっとね」


 押してしまった。


「ボタンの誘惑には勝てないよね~。さて、何が起きる?」

 

 剣の柄に手を添えつつ、周りを警戒する。

 しかし、何も起きる気配はない。

 ゲームでありがちな、ボス登場ってのもない。


「…………何だったんだ、このボタン? 超意味深に隠されてたのに」


 ボタンは確かに押したはず。

 それを確認するために、壁へ手を当てて覗き込む。


「ふぇっ?」


 手を置いた壁が水のように波紋を打つ。

 その現象に驚き、慌てて手を離す。


「ちょ、なに? 壁だよね」


 もう一度、波打った壁に手を当ててみる。

 手の平にもわっとした感覚が広がると同時に、壁がぐにょんと揺らぐ。

 壁からは僅かに空気の層のようなものを感じるだけで、全く固いという感覚がない。



「押したら、手が入りそうだけど……ちょっとだけ」


 手に力を入れて、前へ突き出す。

 手は空気の層を破り、中へ飲み込まれた。

 怖くなって、すぐに手を戻す。


「もしかして、ボタンを押したせいで、通り抜けられようになったとか? 隠し通路的な? じゃあ、壁の向こうに行けるってことか? 何が、ある……?」


 手を壁に当て直して、ゆっくりと内側に沈めていく。


「大丈夫っぽい? だけど、入っていいものなのかな? でも、気になるし……危険だったら、すぐに帰ればいっか…………よし、行こうっ」


 好奇心はなけなしの勇気に余計な翼を与える。

 俺は意を決して、壁の中に飛び込んだ。

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