第17話 お風呂があるそうな

 サシオンと騎士団を眺めている群衆から離れ、俺は仕事場へ戻ろうとした。

 そこへ突然、道端にいた女性が声をかけてくる。

 聞き覚えのある声に振り向くと、声の主は依頼主のおばさんだった。



「あなた、見てたよ。男どもの喧嘩をまとめるなんてやるじゃないの」

「あ、見てたんだ。えと、掃除をさぼって、ここに来たわけじゃないっすよ」


「そんなのわかってるって。さっき、ドブ川を見てきたから。すっかり、綺麗になってる。若い娘さんで腕も細くて大変そうだと思ってたから、驚いたよ」

「え、でも、まだ細かいゴミが」

「そんなのは気にしなくていいって。流れるようになりさえすればいいんだから」

「はぁ」

 

 きっちりこなさなくても良いというなら、楽なのでありがたい。

 でも、細かなゴミを片づけて、ドブ溜まりを平らにするなり除去するなりしないと、すぐに大きなゴミが引っ掛かりそうな気がするんだけど……しなくていいというなら、それでもいいっか。

 ということは、もう仕事は終わりなんだろうか?

 

 そのことを尋ねようとすると、おばさんは何やら、サシオンを見ては俺をチラ見するを繰り返している。

 周囲にいる人たちもまた、おばさんと同じように俺のことをチラチラと見ている。



「あの、なにか? さっきから俺のことチラチラ見て。周りの人もそうだけど」

「そりゃあなたが、サシオン様と親しげに話していたからよ。まさか、サシオン様のお知り合いだったなんて」


「いや、さっき会ったばかりで知り合いですらないんだけど。フォレから俺の話を聞いてたみたいだから、少しばかり話が弾んだって感じで」


「あら、フォレ様のお知り合いなのっ? どちらにしろ、そんなお嬢さんにこんな仕事させちゃって、ごめんなさいね」

「いや、俺自身、普通の人なんで気にしないで」


 そう、おばさんに伝えても、おばさんの中で俺はサシオンとフォレの知り合いということで完結してしまったらしく、羨望にも似たまなざしを向けてくる。


 その目は周囲にいる人々からも感じる。

 俺のことをチラチラ見ていたのは、こういう意味だったみたいだ。

 

 同時に人々の間で、サシオンやフォレの人気が想像以上に高いことがわかった。

 周囲の人々は人気者の知り合いというだけで、俺のことを羨ましく思っているようだ。



(困ったなぁ、下手に目立つと余計な敵を作りそうで嫌なんだけど……)

 ただ、羨ましいという感情をぶつけられるだけならいいが、そのうち騎士団の威光を笠に着やがってという、あらぬ妬みを買いそうで困る。

 

 そういう思わぬ人間関係のこじれが面倒で、中学生になってからは友達関係を学校のみで終わらせていた。

 

 小四のころ、勘違いで責められてたやつを庇ったばかりに、クラスの中心となる連中を敵に回してしまったことを教訓に……。

 

 

 過ぎ去ったどうでもいい過去を思い出して、小さくふっとため息をつく。

 そのため息をおばさんは疲れからのものだと勘違いして、予想もしなかったことを勧めてきた。



「おや、お疲れ? 仕事の方は終わってるからもう上がっていいよ。依頼料を取りに行ってくるから、その間に道具を片付けてもらえる?」

「はい、わかりました」

「今日はとても頑張ってくれたから、少しばかり色を付けとくね。それで、お風呂にでも入っていきなさい」

「風呂? 風呂があるの?」


「え? そりゃあるけど。銭湯を知らないの? 普段は井戸水で体を清めるだけだけど、数日に一度くらいはみんな利用するのに」

「俺、昨日王都に来たばかりで、地理の方はさっぱりでして」

「ああ、そういうこと。じゃあ、依頼料を渡すついでに大衆浴場への地図も渡すから。それじゃ、ドブのところで待っていてね」


 おばさんはどたどたと駆けていった。重そうな体を持っている割には足が速い。

 


 それはさておき、風呂があるというのは朗報だ。

 宿にはお風呂がついてなかったので、体を洗うときはどうするんだろうと思っていたから。

 おばさんの話から推測して、ここ王都サンオンでは個人宅や宿でお風呂を用意するのは難しい。その代わりに、大きな浴場が街に置いてあるということになる。

 

 大衆浴場を利用して体を洗っているという情報から、上水道の整備がいまいちで個人宅に水を引けない、もしくは水が貴重かのどちらかだと思う。

 ドブ川に伸びるパイプから見て、下水道の整備はそれなりのもの。ならば、上水道もそれなりに整備されていると思う。ということは、水が貴重という可能性が高い。


 そういった事情は、ここで暮らしていればすぐにわかる話。


 予備知識の全くない世界ではいろいろ苦労するけど、少しずつその土地の文化や技術に触れていくのはちょっと面白い。



 

 ドブ川に戻り、道具類をまとめて、川のそばでおばさんを待つ。

 おばさんは懐を押さえて周りを警戒するように歩いてきた。

 懐の中身は、おそらく俺の給料。

 この裏通りは表通りと比べて治安が悪いということが、おばさんを通して見える。

 

 だけど裏通りとはいえ、治安が悪いというのは少々奇妙だ。

 サシオンの雰囲気を見るかぎり、かなり仕事のできそうな男。

 彼が担当するこの東地区ならば裏通りであっても、治安が良くて当然な気がするけど……。



 そのことを考える間もなく、おばさんがお給料を手渡してきた。

「はい、依頼料だよ。これは浴場までの地図」

「あ、どもです」

「それじゃあ、今日はご苦労様。ほら、早くお風呂に行ってきなさい」

「ええ……でも、この姿で浴場に行っていいのかな?」


 全身ドブ塗れで、人を寄せ付けぬ香水オーラを身に纏う。

 こんな奴が浴場の訪れたら、大迷惑だ。


 おばさんも俺の姿を見て、苦笑いを浮かべる。

 そんなわけで浴場に行く前に、体についた汚れを井戸水で軽く流すことになった。

 匂いまで落とせるわけじゃないけど、このまま浴場に現れるよりかはマシ。

 

 井戸のあるところまで来て、おばさんから水をかけてもらう。

 井戸水の水温は思ったより冷たく、水が体にかかるたびに小さく悲鳴を上げてしまう。

 これは早くお湯で体をあっためないと。


 おばさんからタオルを借りて、しっかり身体拭いてから私服に着替えた。

 匂い移りしないか心配だけど、濡れた作業着でうろうろするわけにもいかない。

 

 作業着や木靴はおばさんに預かってもらうことになった。

 次も依頼するかもしれないから、洗って取っとくよって…………あれ、フォレやサシオンの知り合いの話はどうなったっ!? 

 さっき、そんな子にドブさらいさせてごめんなさいって……これは、次もありそうだ……。

 

 

 兎にも角にも、おばさんには諸々お世話になったので、ちゃんとお礼を言っとく。

 そして、別れ間際にもう一度、浴場の場所を確認した。



「えっと、いったん北側の表通りに出て、そこを渡ってすぐの場所と。あってます?」

「ああ、そうだよ。他にも浴場はあるんだけど、あそこが一番いいところだからね」

「北地区だから、アステル騎士団の管轄から外れた場所なんだ」


「ええ、そこは北門を守る、ヌスト=デコール様の『ステビオ』近衛騎士団の管轄だね。因みに浴場は六龍将軍に名を連ねる唯一の女性将軍、『ノアゼット=シュー=ヘーゼル』様が個人でお楽しみになるために作られたものなんだよ」


 

 六龍将軍――名称を額面通り受け取るなら、通り名のついた六人の将軍がいて、そのうちの一人ということになる。

 詳しく尋ねてみようと思ったけど、なんか有名そうだったのでやめた。

 聞けば、知らない方がおかしいという態度をとられるのは間違いない。

 あとで記憶喪失ということで通っている、フォレやアプフェル辺りから詳しく聞くとしよう。

 

 今は当り障りのない範囲で質問をしておく。


「ノアゼット様が個人で楽しむための浴場を、庶民が利用してもいいの?」

「ノアゼット様はめったに王都にいないからねぇ。だから、普段は私たち庶民に開放しているのよ」

「お~、いい人」


「いい人……そーさね、いい人かもしれないけど、怖い人でもあるから、もしお会いするようなことがあったら、絶対に怒らせちゃいけないよ」

「へ、へぇ~」


「口数は少なく、実直。敵に情けを一切かけず、戦場で出会えば、皆、肉片一つ残さず塵と消える。味方とてノアゼット様の不興を買えば、容赦なく処断される。ま、会うことなんてないだろうけど、気を付けるのよ」

「おお、なんかすごそうな人」



 女性の将軍で、肉片残さず敵を抹殺……筋肉モリモリのゴリラ女しか想像できない。

 しかも口数が少ないって、とっつきにくそうな人だ。

 でも、おばさんの言うとおり、将軍と会う機会なんてないだろうから気にしなくていいか。


 俺はおばさんに手を振り、温かなお風呂目指し、足取りを弾ませて向かった。

 おばさんも手を振ってくれて、道中気を付けるように大声をかけてくる。


「迷わないように気をつけなさいよ~! あらら、あっという間にいなくなっちゃった……あれ? そういえば、今月はノアゼット様が王都にお戻りになっていたような……」

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