第16話 脳に眠る深い記憶
どこからか聞こえてくる、人様の迷惑を顧みずに街中で大声を張り上げる男たちの声。
彼らの怒鳴り声を頼りに、居場所を探す。
道すがら、ドブ塗れの俺を見て鼻をつまむ連中がいたが、そこは気にしない。
良い女には良い香水が似合うってことよ! もちろん、やけっぱち。
騒いでいる男たちを発見。
ガタイが良くて柄の悪そうな男なら文句を言うのは諦めて退散するつもりだったけど、二人の男はそうでもなかった。
筋肉はついているが、細マッチョより少し体ができている程度。
これなら文句が言いやすい。
身体機能が向上している今の俺ならば、何かあってもあの程度……逃げることぐらいはできるはずだ。
二人は興奮した様子で、つかみ合いを交えながら罵り合いを続けている。
群衆は彼らを輪のように取り囲んでいる。
俺もまた群衆に混ざろうとすると、皆は親切にも鼻をつまみながら場所を開けてくれた。
人の優しさに涙しつつ、彼らの言葉に耳を傾ける。
「俺はお前に感謝してんだよ。だから、財布の金を受け取れって言ってるだろ!」
「だから、いらねぇって。俺は別に金が欲しくてお前に財布を届けたわけじゃねぇ!」
罵り合いの内容は、財布を拾ってもらった男が礼に財布の中身を全額渡すと言い、拾った男は礼なんかいらないと言っている。
どこかで見た、茶番……
(具体的にどんな内容だったっけ?)
目を閉じて、茶番を思い出す。
すると、意識が
不思議に思いつつも、大岡裁きに関する知識の引き出しを開けて、のぞき込む。
頭の中に、三方一両損に関する知識が入ってくる。
「左官の金太郎が三両拾い、それを落とし主の大工の吉五郎へ届けるけど、一度落としたものは自分のものじゃないと受け取らない。もちろん、金太郎も三両を懐に入れるなんてできない。そこで
意識は引き出しから帰り、いまだ言い争いをしている二人が目に映る。
今のは、馬上の時もあった不思議な感覚。
これもお地蔵様のおまけか?
今の出来事を軽く整理する。
俺は三方一両損の話の内容を知っていたが、登場人物の名前なんか憶えちゃいなかった。
しかし、今ははっきりと思い出している。
たしか過去に、テレビのクイズ番組の答えで三方一両損のことを説明していた場面を見たことがある。
でも、そんなものすぐに忘れてしまう記憶。なのに、なぜ……?
これは言わば、覚えていたのに思い出せない記憶。
そこでふと、脳にまつわる話を思い出した。
人は無意識化に様々な情報を記憶しているという。
中には、生まれてからの記憶を全て覚えていると唱える人もいるくらいだ。
しかし、それらを思い出せないのは、覚えたはずの記憶を奥深くに仕舞ってしまい、取り出せなくなるからだそうだ。
「ってことは、俺は深く沈んだ記憶に触れる能力を手に入れたのか? お地蔵様のおかげで?」
今までになかった能力。
確証はないが、お地蔵様の贈り物だろう。
だが、せっかく思い出した三方一両損の記憶は、この場面では役に立ちそうにない。
たしかに、若干の差異はあるものの、目の前で喧嘩している男たちは落とした金を互いに譲り合っている。
でももし、三方一両損の筋書き通り、この場を収めようとすると金が必要。
俺には金がないので無理。
それに三方一両損の話の要は、大岡越前の存在。
奉行である大岡越前の権威をもってして、頑固な双方の意見を納得させている。
仮に、俺に金があって同じことをしようとしたしても、無関係なやつが口を出すなで終わってしまう。
よって、大岡裁きではこの場の解決不可能。
だけど、この騒がしい男どもを黙らす手がないわけじゃない。
それはもちろん、力ずくってわけじゃない。
解決の糸口は、二人は騒がしいながらも真面目で清廉だってことだ。なにせ、一方は感謝の気持ちに全額を譲り、もう一方は親切心だから金は要らないと言っている。
俺はそこに突破口がないかなっと、あたりを見回す。
そして、その答えすぐに見つかった。
二人の男の近くで、年老いた男が壊れた屋台を見ながら唸っている。
男たちが暴れたせいで大事な商売道具を壊されてしまったようだ。
俺は小さく息を吐いて、群衆から一歩前へ躍り出た。
もっとも、俺が放つ匂いが見えない壁を生み出して、初めから浮いていたけど。
「おい、あんたら。いい加減にしろよ」
「なんだとっ? うわっ」
「誰だか知らねぇが、引っ込んでっ! な、なんだこの娘は?」
突如現れた、ドブ塗れの少女に二人はたじろぐ。
仕方のないことだけど、ムカつく。
「くそ、俺のことはどうでもいい。お前らの金はそこの爺さんに渡しなよっ。見ろ、てめえらが暴れたせいだろっ!」
俺がくいっと首を動かして、屋台を壊された爺さんを見るように促すと、二人は同時に爺さんへ顔を向けた。
「あんたらが誠実なのはさっきの言い合いからわかってる。だったら、どちらに金が渡ろうと、爺さんの屋台の修繕費に充てるのが道理としてすっきりするはずだ」
二人は爺さんの屋台を見て、互いに顔を見合わせる。
そして、頭に血が上って周りが見えなかったことを反省したようで、顔を真っ赤にしながら爺さんに詫びた。
よし、一件落着、と。
騒がしいアホどものせいで余計な時間を食った。仕事に戻らないと。
そう思い、麗しき職場へ戻ろうとしたところで、厳かな男の声が響いた。
「見事なものだ」
声に惹かれ顔を向けると、白馬にまたがった威風堂々たる男性が目に入った。
年は二十代後半程度。
黒髪のショートヘアで切れ長の目を持つ。
新緑の瞳に宿る光は、柔と剛を兼ね備えた隙のないもの。
さらに男は、フォレと同じ青色の重厚な鎧を身に纏っている。
また、彼の後ろには、同じく青色の軽装鎧を着た五人の男たちが控えていた。
男の姿を目にした群衆が口々に彼の名を口にする。
「サシオン様だ。アステル
皆が口にする男の名、サシオン=コンベル。
俺はサシオンを見つめる。
(サシオン? ということは、この人がフォレの上司?)
サシオンは言い争っていた二人の男にチラリと目を向けて、すぐに俺へ視線を移してきた。
彼は馬から降りて、匂いをものともせずに俺の前に立つ。
身長はとても高く、サシオンの影は俺をすっぽりと覆いつくす。
彼は神妙な面持ちを浮かべる。
「市中を見回っていれば、騒ぎを起こしている者がいるとの一報があり、急ぎ駆け付けたのだが、出遅れてしまったようだ。本来ならば自分の役目であるのだが、場を支障なく収めてもらい、感謝する」
大の大人が頭を深く垂れて、子どもである俺に謝罪の混ざる礼を述べてくる。
そこには何の飾りもない。
とても偉そうな人からこんな深い礼をされたら、正直対応に困る。
「いえ、そんな気にしないで。あいつらがうるさいから、黙って欲しかっただけで」
「ふふ、それだけの理由で諍いを収めようとは、豪胆なお嬢さんだ。しかし、あまり無茶をされぬように」
「はい、すみません……あの、サシオン様」
「何かな?」
「アステル近衛騎士団の団長ってことは、フォレの上司の方だよね?」
「ああ、そうだが」
「やっぱり、そっか」
「君はフォレの知り合いか?」
「ええ、昨日盗賊団から助けてもらって」
「なるほど、君がヤツハという少女か。フォレから仔細を聞いている。私の手抜かりで怪我を負わせてしまい、重ねて申し訳ない」
「いやいやいや、そんなに頭下げられたら困ってしまうから。結局助かったんだし、終わり良ければすべて良しっスよ」
「ふふふ、フォレの報告通り、なかなか魅力のあるお嬢さんだ……ほぉ」
「ん?」
サシオンは目元を和らげて、こちらへ視線を向けてくる。
彼の視線は、何か珍しいものを見るかのようなもの。
フォレめ、いったいどんな説明をしたんだ?
サシオンは素早く視線を俺の足元から顔へと移動させた。
「しかし、その格好。一体何が?」
「良い仕事がなくて、ドブさらいを少々」
「ふむ、君のような少女が? 差し支えなければ仕事を紹介するが、いかがか?」
「ありがたいけど、トルテさんのお世話になってますんで、大丈夫です」
「そうか。ならばよい。それでは、我らは務めを果たすとしよう」
「そうですか、頑張ってください」
サシオンはこくりと頷いて、争っていた男たちと被害を受けた爺さんに近づき、詳しい事情を聞きだしている。
フォレの話から良い人というイメージはあったけど、なんだか古風な人。
近衛騎士団は警察機構……古風な言い回しなら、奉行や
でも、あの有名な火盗改の鬼の人よりかは物腰は柔らかそう。
かといって、サシオンに迫力がないというわけじゃない。
迫力の中に溶け込む親しみやすさ……そんなものを感じる。
サシオン率いる近衛騎士団は男たちに何らかの沙汰を下しているようだ。
彼らの雰囲気から厳重注意っぽい。
「さてと、戻るか」
もう、ここでやることはないので、俺も勤めに戻ることにしよう。
待ってろよ、ドブ川。根こそぎ綺麗にしてやんよ……はぁ~、しんどいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます