第14話 前夜


 俺の故郷である村の目と鼻の先まで来た時、ジルはその歩みを止めた。


 下を向いて、これ以上先に進みたくないと言わんばかりにその場から動こうとしない。



「……ジル?」


「ん……分かって、る……けど……」


「あぁ……そうだな……俺もジルと同じ気持ちだよ」



 頭を俺の肩にすり寄せて、ジルはそれ以上何も言わなかった。

 ジルと旅を続けて7ヶ月にはなっただろうか。暖かくなってきた頃に旅を初めて、もうまた季節は冬へと近づいてきている。その頃には王都へ戻るように言われていた。

 特にこの辺りは気温が下がりやすく、雪も多く降るし日中でも氷点下になる。旅を続けるのは難しいのだ。


 だから寒くなる前に帰るように言われていたし、言われずともそうせざるを得ない状況になる。


 まだ下を向いたままのジルの頭をグシャグシャと撫で付けて顔を覗き込むようにすると、ジルは少しビックリしたように俺を見た。



「ハハハ、やっと俺と目を合わせてくれたな。今日はまだ早いがここで野宿でもするか?」


「ん……」



 恥ずかしそうに顔を赤らめてから、ジルは頷いた。


 野宿の用意をし、食事の準備をする。ジルは野菜の皮を剥こうとナイフで奮闘していた。前よりは使えるようになっていたが、やっぱりまだまだ難しそうだ。

 こうやって野宿をするのも今日で最後かと思うと、感慨深くなってしまう。


 料理を担当するのは俺だが、ジルが傍に来てその様子を見ているから、俺は今何の為にこうしていて、これからどうするかを聞かれずとも言いながら作っていった。

 ジルはそれを聞き逃さないように、時々俺の顔をじっと見つめながら頷いていた。


 あぁ……楽しいな……


 こんな何でもない事が楽しく感じられるのはジルだからだろうか。それとも他の奴でも俺がもっと踏み込んで関わっていけば、こうやって楽しく感じる事が出来るのだろうか。


 思わず笑みを溢しながらジルに説明していくと、ジルも嬉しそうに微笑んでくれる。


 ダメだ、離れたくない……


 いや、俺がそんなふうに思ってはいけないのだ。俺から離れてやらないと、ジルは俺と一緒に王都に来てしまうだろう。自分がどうなろうとも、だ。それはジルと旅を続けていたからこそ分かった事で、俺がついてきて欲しいと一言言えばジルは何の戸惑いもなくついて来そうなのだ。


 だがそれではいけない。俺はジルの幸せを願っているのだ。これは本心だ。


 たがら俺は悲しそうな顔をしてはいけない。明るくジルと別れる事にしよう。もう二度と会えなくなる訳でもないだろうしな。


 その日はジルが気に入ってくれているスープを作った。これは俺の母親が昔よく作ってくれたもので、俺も気に入っていたスープだった。


 ジルはこれを『赤スープ』と呼んでいて、赤い野菜でその色が赤くなる事からそう呼んでいた。他にも野菜と肉も入れて煮込んだ旨味も栄養もある具沢山のスープだ。


 このスープを食べている時のジルはいつも穏やかな表情をする。それを見ている俺も穏やかな気持ちになっていくんだ。


 そうやって二人でゆっくり食事をし終えてから、近くを流れている川にいる美しく鳴く虫の声を聞きに行く。月の光が水面に写し出されて、それがキラキラと流れる水に反射して綺麗だ。


 川縁に座って、何を話すでもなく二人でただその場で流れ行く水面を眺めていた。


 俺の肩にジルが頭を寄せる。俺もジルの頭に顔を寄せる。それが何だか凄く落ち着く。このままずっとこうしていられてら良いのにとさえ思ってしまう。

 しかしジルは俺の弟みたいなものなのだ。こんな訳の分からない感情に振り回されてはいけない。


 とは思いつつも、こう出来るのは今だけとばかりに、俺とジルは暫くそのままの状態でいた。

 この夜がいつまでもこのままであれば良いと、そう思わずにはいられなかった。


 この時見た、夜空に浮かぶ月と水面に写る月、そして耳に優しく響く美しい虫の声を、俺は生涯忘れる事はないだろう。



 翌日、ジルと共に村へ赴いた。



 村は俺が幼い頃に出ていった時よりも寂れているように見える。瘴気はここにもまだ蔓延っているがそれはあまり濃くなく、以前よりも過ごしやすそうに思えた。


 ジルは辺りをキョロキョロ見渡しながら、ゆっくりと歩を進めている。懐かしい感覚に身を任せながら、俺も辺りを見渡していく。


 俺がこの村から離れて、もう15年程になる。だから俺を覚えている人はいないのではないかと、そんな事を考えてしまう。そう思いながら歩いて村長の家に向かう。


 村長の家の前には畑があって、そこで一人の老人が畑を耕していた。よく見るとそれが村長だった。

 俺を見て村長は、はじめは気づかなかったようだが、段々と思い出したように俺の顔をマジマジと見つめ、近寄ってきた。


 

「もしかして……リーン、か……?」


「はい。お久し振りです。村長」


「おぉ! 大きくなりおって! 立派になったのぅ!」


「いえ、そんな……村長も変わらずお元気そうですね」


「そんなかこしまった物言いはやめんか。懐かしいのぅ。あれから何年経ったのか……」


「15年程、かな」


「そうか。もうそんなになるのか……で、今日はどうしたのか? そこにいる子は?」


「あぁ……彼はジルと言って、この村に住んで貰いたいと思って連れてきたんだ。どうだろうか……」


「そうか。何か訳ありかのぅ?」


「それは……」


「いや、何も言わんで良い。リーンがこの村を頼ってくれるのは嬉しい事だしの。ワシの家にはもう誰もおらんでのぅ。家内も昨年亡くなったし、良ければワシの所で住まんかね?」


「良いのか?」


「畑仕事がこの年じゃ辛くての。手伝ってくれるのなら、住まわせる位どうって事はないわ」


「それは助かる! ジル、それで構わないか?!」


「……ん……」



 何か言いたげなジルだったが、村長の家に住む事を了承した。これで俺も安心できる。


 村長は面倒見が良いし、優しいし、間違った時はキチンと叱ってくれるし、だからきっとジルにとっても良いことだと思う。


 その後村長と俺達3人で村を巡って行き、この村の案内をしながら会う人達にジルの紹介をしていった。

 ジルは緊張しているように笑いながら、紹介される度にちゃんと頭を下げていた。


 ジルもここでやっていこうと思ってくれているんだな。


 それが嬉しくも切なくもあって、俺は何だか複雑な感じでいたんだ。

 


 

 

 

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