パート女子ですが、何か!

宝玉林檎

第一章 生まれた時から始まっている。

 私が生を受けた時から、私が生かされ生きていかなければならないという生き物としての生をまっとうしなければならないミッションがスタートした。

 私の生家は普通の様で普通でないような家庭だった。

父はガソリンスタンドの店員からトラックの運転手になり、母はパート勤め。

祖父は元桐箪笥職人でシルバー人材で木材に関する仕事をしていた。

祖母は酒屋での製造業で勤め、その傍ら畑仕事に精を出していた。

5月初旬過ぎると田植えの準備が始まり、家族総出で、米作りに勤しむ。そして、となりのトトロに出て来るメイちゃんのような妹。そして、外のねずみ番をしている猫数匹。猫たちは稲刈りをし、乾燥させた米を守る役目を果たしてくれます。そんな田舎程の田舎ではない家族に長女として生まれた。

 私は家庭の事情で学区外の保育園に行き、記憶が正しければその頃は友達がいて、楽しかったけれど、妹が生まれる前だったので一人でテレビを見ることも多かった。この頃から今に至る人格が形成されていくこととなったのだろう。

 

 幼稚園は学区内だったので、また新しい友達作りから始めなければならない。

正直に言うと、先生も友達も環境自体に馴染めなかった。私は周りよりも一回り大きく成長し、頭一つ出ていた。写真を撮られるのも嫌いになった。大きくなったねとか、そういう大人のお世辞が嫌だった。

 絵を描く時間があり、年少の時は飼育しているうこっけいを描かなければならなかった。

この時私は思った。

「どうやって、動いている動物を描けばいいのか」

周りを見渡すと、絵が上手い子が男子と女子で必ず一人ずつ上手い子がいるものだ。私は、その上手な子の横で必死に描こうとしていた。

「どうしたら、あんなに上手く書けるんだ?」

描けない自分に対して、苛立ちを感じ始めます。

結論から言うと、描けたのかどうかうこっけいに関しては全く覚えてないです……。ここまでひっぱておいてなんたる無責任とお思いでしょうか。

まだ、この話には続きがあるのです。


 幼稚園生年長になり、相変わらず、女の子はママゴト等で遊んでいましたが、私は、幼稚園でも絵本を読むのが好きでした。

家に帰るとはなさか爺さんを三回は読み返していた気がします。

おじいさんが飼っていたポチが死んでしまうのですが、読む度にポチが生きているんじゃないかという願望が強かったです。

さておき、そんなインドア派になっていく幼少期ですが、これを加速させる出来事が起きます。

そう、悪魔の写生会が再びイベントに組み込まれていました。

次は、プチ遠足写生会です。

近所の田んぼに行き、動いているコンバインを中心に田植えの風景を描くという難易度MAXのミッション。

「どこから、どう描けばいいのか? 誰か! 教えてくれ!」

隣の男子はそれはまぁみごとにお上手に描けていて真似をしようとしたが真似してると言われるのが恐くて何時間も考え続け白紙で幼稚園に戻りました。

白紙の用紙を提出すると職員室に連れていかれ、先生に「何でもいいから描いてごらん」と言われましたが、何を描けばいいのかわからず、その場で泣いてしまいました。困った先生は「お母さんでもいいよ」と言ってくれたのですが、私には無理でした。両脇に先生がいて、私を囲むので委縮してしまいました。

連絡を受けて駆けつけ母がやってきてようやく似顔絵を描いて解放されました。

キャラクター等の簡単な絵や創造で描くものは楽しいのですが立体やリアルなものを直接描くことが困難でした。

 皆と同じことが出来ないことが恥ずかしい、言わなければいけないことを我慢する子どもでした。

 お遊戯室なる多目的室があったのですが床を乾拭きしていた時に、床があまりにもつるつる滑るので雑巾より体が前に行ってしまい顔面を床に強打! 給食前だったのですが、鼻は痛いし、鼻血は出るし、まぁ、どんくさい子どもでした。

 私は、セーラームーンや特撮などアニメをよく見ていました。テレビの世界は本当に起こっていることという勘違いをしていて、欲しかったおもちゃを買ってもらっても使うことが出来ませんでした。

なぜなら、そのおもちゃを本物と思い込んでいて、人に向けて使ったら死んでしまうかもしれないと本気で思っていたからです。なので、持っていても振りかざしてみても、電源を入れるのに相当時間かかってました。

思い切って使ってみると光るだけというのにほっとした反面、残念な気持ちも少しありました。

 いつの頃だったかは覚えてませんが、遊園地で特撮ヒーローの舞台に母に連れて行ってもらった時の事です。ヒーローが出て来る前に敵が客席までうじゃうじゃ出てきて、宴会場みたいな靴を脱いで上がるような席だったんですね。自分もここにいたら殺されると思い、泣きながら母を置いて逃げました。

出入口の売店のおばちゃんに心配され、その後母が来てなだめてもらった記憶があります。その時、車輪がついている蝶々のおもちゃを買ってもらって落ち着きました。コロコロ転がすと蝶々の羽がパタパタするやつですね。先に棒がついていてお散歩させてる感じがして、好きなおもちゃでした。この時すでに殺される恐怖は忘れていました。

 幼稚園生の頃に話を戻すと、運動会の一週間くらい前に水疱瘡が出来て出れるか出れないかという判断が本当に直前だったんですけど、参加することが出来たんですね。それは楽しみでしたけど、半袖短パンなので水疱瘡の後がかなりすごくて嫌でしたね。しかも、この時周りより体格差がありましたし、友達もいましたけど、恥ずかしかったです。

 すごく人見知りでして、隣接する小学校の高学年が幼稚園生と触れ合う授業があり、ものすごく馴染めなかった記憶があります。自分が長女という立場だったので、年上に甘える、一緒に遊ぶが出来なかったんです。どうやって遊んで、どうやって接すればいいのかさえ分からず、孤立して小高い山で一人突っ立ていました。周りはうまく遊んでいるのに、なぜ遊べるのか疑問しかない。

必死に、泥団子を綺麗に強固に作るのかがこの時の自分に課した課題でした。

なので、人と遊ぶより自分との闘いが好きでした。

なにより、皆ではしゃぐのが苦手だった。プールに入るのにも皆で狭い中に入ってわいわい遊ぶよりも泳ぎたかった。

ここまでくると小さい変人な気がしてきます。まぁ、人はそう変わらないといいますが、今もあまり変わっていない気がします。

次はいよいよ義務教育編です。


 


 

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