鬼の居ぬ間に

阿羅神

プロローグ








ハァ、ハァ、ハァ。



大きく肩で息をする。






ーー喰いたい

ーー喰いたい

ーー喰いたい


今すぐ、おまえに喰らいついて、瞼も瞳も頬も腕も足も、その、たちの悪い邪悪な心さえも、全て俺が喰いつくしてやる。












(ピッピッピッピッ)


 脈拍を監視しているモニタ音が、がらんとした室内に響いている。

 中央にえられているベッドや、脇にある備え付けの冷蔵庫やテレビはまるで息をひそめているような。



望月モチヅキさーん、おはようございます。血圧計りますねー。」



 突然、静寂せいじゃくを破るように入り口のスライドドアが開き、はつらつとした明るい声の看護師がすたすたと忙しげに入ってくる。



 そのまま部屋の端まで行き、ガラッと勢いよく窓を開けると、途端に淡いグリーンのカーテンがパタパタとはためいた。



 初夏の匂いをまとった風が、それまでは無機質だった空間に流れこみ、室内は一気に生気せいきを取り戻したかのようだ。


 太陽の欠片かけらがチカチカと天井に壁にとワルツを始める。




 望月モチヅキと呼ばれた老いた男性は、ゆっくりとまぶたを上げた。



「お誕生日おめでとうございます!」


 そう言って彼女は白衣のポケットから、ごそごそと何かを取り出し、そっと望月のてのひらに置く。



 望月はしわくちゃの細長い指でそれを目の前に近づけた。



 綺麗なピンク色の折り紙で作られた花だった。



「望月さん、今日午後から取材の方達が来ますよ。

 この時代に100歳まで生きるなんて素晴らしいわ!

 しかも望月さんは頭もしっかりされているし、足腰も丈夫ですからね!」




二ヶ月前の定期検診で、白血球の異常が見つかり、その後の精密検査で内臓のポリープが発見されたが良性のもので今は薬と点滴でかなり改善されている。

来月には退院出来ると担当医師は言っていた。




 

「後で着替えをお持ちしますね。望月さん男前だからテレビ映り、きっといいですよー。ふふっ。」



看護師はまるで自分が祝われてるかのように嬉しそうに興奮している。


 そんな彼女に、望月はニッコリと微笑んだ。








 ーーそう、今日で彼は、100歳の誕生日を迎える。






 昔、望月がまだずっとずっと若い頃、人類は未曾有みぞうの脅威を味わい、大勢が死に絶え、かろうじて生き延びた者達も長く生きることはとうてい無理な状況となった。







だから自分はとても貴重な存在なのだろう。





「じゃ、また後で朝食をお持ちしますね。お昼にはケーキが出るので楽しみにしてて下さいね。」



 彼女が室内から立ち去ると、望月は折り紙の花を胸に当てながら、また瞼を閉じうつらうつらと、ゆるりとした時の流れに身を任せる。











「カナターーー!」







ふいに、脳内に響く声に望月ははたと眼を開いた。

いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか。

壁の時計は先程とさほど変わらない時間を指している。






彼方カナタ、ちょっと待ってよーー!」








今度ははっきりと聴こえた。



あの学校の生徒か。

 




この病院は小高い丘の中腹にあるのだが、そのまま病院の前の道をまだ先へと登った所に高校の白い校舎が緑色の生い茂った木々の中、見え隠れしている。







ふと何を思ったのか、望月はゆっくりと身体を起こし始めた。


足腰が丈夫といっても、彼はなんせ100歳なのだ。



ゆっくりと慎重に起き上がり、壁に手を伝いながら時間をかけて窓際に立った。




4階から、見下ろした先の道路に男子生徒が後ろを振り返り立ち止まっていた。





そこへ女子生徒が駆け寄る。












2人の姿は、老いた彼の目にははっきりとは見えないが、

ただ、男子生徒の金色になびく髪の毛とカッターシャツの眩しい白が、望月の目に映り込む。 








ーー彼は、瞼を震わせた。















彼方カナタなんで起こしてくれなかったのー。もう、1限目の授業が始まってる時間だよ。あと歩くの早すぎ。」






やっと追い付いてきた月衣ルイがハアハアと肩で息をしながら、ふてくされたそぶりで言う。




月衣ルイひたいから流れ出た汗の滴が瞼に向かって走るのを拭ってやりながら、俺は呆れたようにため息をついた。



「起こしたけど起きなかったのは誰だよ。」






月衣ルイは同級で幼なじみでもある。



いろいろ事情があり、小5から俺の家の敷地内にある離れで暮らしている。





月衣ルイはとにかくよく寝坊をする。

だから一緒に登下校をする俺まで、遅刻常習犯になってしまった。






「あーあ、生活指導の大野オオノ先生に叱られちゃうね。今日は、私誕生日なのに。ふーっ。」







「そっか。今日は七夕たなばただよな。」






ぷくーっと頬を膨らませている月衣ルイの手を掴んで。






「今夜は天の川見ながら、祝ってやるよ。さ、走るぞ。」






「やったー!」



途端に月衣ルイは眼を輝かせながら、パッと明るくなる。








ふと上を見上げると、そばの病院の窓から老人がこちらを見つめていた。






(俺達の話し声、うるさかったかな。)







彼方カナタは、その老人に軽く会釈をすると、月衣ルイを握る手に力を込めて、青空と蝉の声を背に、駆け出した。















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