龍宮忌憚『決まり』
九環 兎盧
第1話
百目鬼高校弓道部には妙な決まりがいくつか存在している。
『道』が名前に着く部活では少なからず変な掟が設定されていたりするのだが、うちは特にそこが顕著で悪く言えば合理性に欠けるルールが僕たちに対して重石のように課されていた。
まず一年生は道場まで走っていかなければならないこと。ホームルームが完了したのと同時に僕たちの部活動は始まっていた。他のクラスメイトが和やかに雑談をしている中、弓道部員は皆、重たい鞄を持って廊下から玄関まで直行。可能な限り先輩たちよりも先に道場に着いてその日の練習のための下準備をしなければいけなかったのである。
他の部活動生たちが楽しそうに話しながら部室に向かう横を必死に走り去っていくのはそこそこに辛いものがあった。
次に一年生は昼休みは必ず道場の掃除と的場の整備に来なければならない。このルールのため昼休みは他の生徒たちよりも時間的な余裕が少なく、次の時限が体育だったときにはかなり忙しない昼休みになっていた。ただ、このルールに関しては全くの合理性に欠けるとは言いにくく、一年生が面倒な雑用をするというのはどの部活でも少なからずあることだろう。ただ辛いものはやはり辛い。
他には、一年生が矢などを運ぶ時に近道を使っては行けないとか、先輩の影を踏んでは行けないだとか色々とあった。
その中でも異彩を放っていたのが道場にいる時に肩を叩かれたら絶対に反応をしてはいけないというルールだった。
なんでかはわからなかったが先輩たちは僕たち一年生が外でゴム弓で練習をしている時によく肩を叩いてきた。
そこで返事をしたり、振り向いたりしたら
「反応しちゃいかんよ」
と注意を受ける。なんでも射型中の集中力を鍛えるためのトレーニングらしくそれは練習以外の時間でも度々行われていた。例えば、練習開始の際に行う黙想の時間に後ろから肩を叩かれたり、掃除をしている時に肩を叩かれたりなど、それは完全に日常に組み込まれていた。
1年生同士でも肩の叩き合いが推奨されており、若干ふざけ混じりではあるものの皆真面目にそのルールを守っていた。
そんな中でも特に真面目にルールに従っていた人物がいる。
僕がいつものように部室棟前でゴム弓を引いていると後ろから肩を叩かれた。振り返ると同じ一年生である迫田が真面目くさった顔で
「振り向くな、集中せんか」
と説教を始めた。痩せ気味の体型の迫田はその小さな目でよくほかの一年生を見張っていた。リーダー気質、というよりはリーダー気取りといったほうが正しいだろうか。元野球部らしく弓道部を主に構成していた他の文化部あがりの部員とは少し質が異なっていた。
「精が出るね」
迫田は僕の冷やかしを無視して今度は別の人の肩を叩きに行った。なんとも滑稽に思ってしまうのは僕のひねくれた性分からであろう。
彼が次に肩を叩きに行ったのは白神さんという女子だった。白神さんは妙に艶やかな黒髪を首元まで伸ばしたどこか恐ろしさを感じさせるほど端正な顔持ちの女の子で、迫田の行動は傍から見れば下心を察させてしまうようなものだった。
しかし、迫田の顔持ちはやはり真面目そのもので、その行動が極めて純然としたものであることが読み取れた。
とんとん、と不躾に肩を小突かれたにも関わらず白神さんは澄まし顔でゴム弓を引いている。暫く、迫田はそれをじっと見たあとすぐに、次へと向かった。
僕は二回ほど、射法八節を繰り返した後、少しだけドギマギしながら白神さんへと歩み寄った。先程の迫田のそれと違って下心混じりであることは否定できない。
「白神さん、白神さん」
「ん」
白神さんがこちらに振り向くのと同時に彼女の持つ綺麗な黒髪が妖艶に靡いた。思わず息を呑んでしまう。
「どうしたん」
白神さんは不思議そうに僕を見つめている。
「あ、いや…さっき迫田に肩を叩かれとったよね?」
「あー…迫田くんやったんやね、あれ」
「あっうん」
「真面目やねぇ」
「ははっ…」
こういう時、口下手な自分が酷く憎くなる。そもそも女子と話すことは得意じゃないが、どうにも白神さんと話すと更に間抜けなことを仕出かしてしまう。下心慢心で話しかけたというのになんとうい様だろう。
「それにしても、変なルールよな…」
「なにが?」
「いや…ほら肩を叩くヤツ」
「あぁ…まぁそうやね」
「他にも変なルールばっかだけど、こればっかりは特に変やと思うわ」
「変、どんなところが?」
「えっ」
「どんなところが変やと思った?」
唐突な疑問に思わず戸惑う僕を白神さんはじっと見つめてくる目に吸い込まれるような錯覚に陥った。
「どうしたん?」
きょとんと白神さんが首を傾げるのを見て、ようやく僕は正気を取り戻した。
「あっいや…だってなんか他のルールとなんか違う感じがしたけ…」
「どこが?」
「えーっと…なんというか、ほら、なんか合理性に欠けとるし、それに弓道部のルールともなんか異質な感じがするんよ」
「へぇ…」
「弓道部のルールってさ、なんか礼節とか信仰とか伝統とかに拠る部分が多いやん。 でもこのルールはちょっとそういう所とは別にあるというか」
「じゃあ、本当に集中を鍛えるためにやっとるんやない?」
「いや、それもちょっと変やなって…
集中力を鍛えるために恒常的に肩を叩き合うなんて聞いたことないわ。 しかも黙想中にもするなんて逆に礼節に欠けとるとも言えるし」
「えっ黙想中にも?」
「えっ、うん」
何故か白神さんは少し驚いたような表情を浮かべた。何か変なことでも口走ってしまっただろうか。
「白神さんは黙想中にされたことないん?」
「いや、あるけど……本当に?」
「えっ」
白神さんが何を驚いたのか益々わからなくなった。僕も白神さんも黙想中に叩かれたというのであれば何もおかしい所はないではないか。
「ね、四谷くんってさ…」
「おい、練習中にぺちゃくちゃ話すな」
白神さんが何かを言いかけた瞬間、迫田の注意が僕達の会話を引き裂いた。迫田は白神さんの背後で不機嫌そうな顔をぶら下げて立っていた。
「四谷お前彼女作りに部活しとんか?」
「……はぁ?」
当たらずも遠からず、である。実際、白神さんに話しかけたのは下心からであるのだから。
「変な事言うなちゃ。ちょっと射型で気になるところがあったから話してただけやん」
「そーそー」
僕の嘘に白神さんが乗ってくれた。その事実に若干胸が躍ったが、目の前の迫田は益々不機嫌そうに睨みを強めた。
「一年生同士で射型を教え合うのはだめっち言わ!とろうが。 そんなんやけ巻藁に上がれないんよオマエら」
巻藁とは束ねられた巻に向かって弓矢を引く稽古の通称であり、現在僕たちが練習しているゴム弓の二つ上の段階の練習のことだった。迫田を含む三人の一年生が今その段階で、一年生の大半がその一つ下の実物の弓を使った射法八節の練習、そして僕と白神さんの二人だけがゴム弓を使った稽古に甘んじていた。
「……関係ないやろ。入った時期の問題や」
実際、白神さんと僕は一年生の中でもかなり後に入部した。僕は元々部活に入るつもりが無かったのだが、担任の教師から部活に属することを強く奨められたため、比較的楽そうだった弓道部に入部したのだ。つい二週間前のことである。それから一週間後に白神さんも入ってきたのだ。なんでも白神さんは幼い頃から弓道をやっているらしいが、部活の練習の決まりから特別扱いはされずに他の部員と同じように練習を行うことになったらしい。
結果として白神さんと僕は二人寂しくゴム弓を引くことになったわけである。
「関係ないことないわ。 俺や山田とかは二週間で弓を引いとった。でもお前や白神は未だにゴム弓止まりやん。 結局は真面目に練習してないからやろ」
「……」
上からの物言いにむっとするが、実際練習の成果が芳しくないのは事実であるので上手い反論が思いつかない。
すると何も言えずに迫田を睨んでいる僕を後目に白神さんが微笑みながら口を開いた。
「そういう迫田くんは、随分と暇そうやねぇ。 いや、人の粗を探すのと肩を叩くので忙しいんかな」
「はぁ?」
思わぬ反撃に迫田は顔を歪めた。しかし構わず白神さんは迫田に詰め寄り、なぜか迫田の左手を握った。
「なっ…」
迫田は頬を真っ赤に染めた。しかしそんな彼の顔を一瞥もせずに白神さんは迫田の掌をじっと観察している。
「迫田くんの手、綺麗わね。 ちょっとゴツゴツしてるのは野球やってたからかな」
「何を…」
「四谷くんのも見せて」
「えっ」
戸惑う迫田を他所に、今度は僕の方へと歩み寄ってきた。そして同じように、左手を取り僕の掌を観察し始めた。予想外の急接近に胸が高鳴る。
「ふーん…マメが出来とるね…」
「あっうん」
「中学の時ってなんか部活やっとった?」
「いや、帰宅部、やった」
「よね。 女の子みたいな手やし、迫田くんのと比べるとちょっと頼りない感じするもん」
「えっ」
いきなりの飛び火に血の気がひいた。まさか、変に話しかけたのが癪に触ったのか、それとも下心がバレたのか。
しかし、白神さんの態度は飄々としていて悪感情が含まれているようには思えなかった。いや、それを推し量れるほどの経験が自分にあるとは思えないが。
「でも、マメが出来てるっていうのは練習を頑張ってる証拠よ。まぁ手の内が甘い証左でもあるんやけど、最初のうちだしそれはしょうがない。破れちゃ痛いからあとで軽いテーピングしてあげる」
「あ、ありがとう」
やはりどうやら杞憂だったようで、彼女は暖かい笑顔を僕に向けてくれた。そして次に迫田に顔を向けた。
「迫田くんの方はちょっと手が綺麗すぎるね。よっぽど手の内が整ってるんかな。 それとも…」
──いうほど弓を引いてないんかな?
刹那、迫田の顔が真っ赤に茹で揚げられた。何か言いたげに口をむずむずと動かしたが、すぐに顔を背け、そのまま道場へと歩いていった。恐らく道場内にある巻藁に弓を引きに行ったのであろう。
「怒っちゃった」
白神さんはまるで鈴のような笑い声を鳴らした。
「……白神さん、弓道詳しいやね」
「まぁちっちゃい頃からやらされてるしねぇ」
「好きなん?」
「弓道が?……うぅん、あんまり。 ただ他にやりたいこともないし? それに弓道やってたらお爺ちゃんとかが小遣いくれるし」
白神さんは悪戯っぽく笑った。他の女子よりも大人びた顔立ちなのに、こんな可愛らしい表情も出来るんだ、と心の中でうっすらと感心した。
「へぇ…」
「あっ、忘れてた。 テーピングしなきゃだったんだ。確か道場に救急箱があったはず。 付いてきて」
白神さんは悪戯っぽく笑い、僕の左手を握った。その右手はすごく柔らかくてまるで雪のように白かった。
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