第3話 これが俺の教え子たち(山神朋子の場合)

 陽加の家を後にし、夕暮れ時で少し混み始めた幹線道路をバイクで走る俺は今から向かう生徒のことで頭がいっぱいだった。何故ならその子はある意味、陽加よりも厄介で何をしでかすか分かったもんじゃない重度の困ったちゃんだからだ。


「頼むから今日は普通に勉強してくれよー? ……と言ってもアイツのことだからそんな簡単には行かないんだろうがなぁ」


 憂鬱になる気持ちをなんとか押し殺し、俺は次の生徒である山神朋子やまがみともこの元へバイクのアクセルを回した。


「相変わらずすげぇとこに住んでんなぁ、アイツ」


 俺は目の前にそそり立つ周りのビル群とは一線を画すほど巨大なタワーマンションの前でバイクを停車させ、ヘルメットのバイザーを上げた。


 彼女の父親はこの国に住まうものなら誰もが知っている超有名会社の取締役で、母親はどこぞの営利団体の理事長をしているのだとか。いわゆるスーパーセレブ一家だ。だからこんなアホみたいにバカ高いマンションに居を構えるのも納得なのだが……。


「こんなところにアイツんだもんな。一体どういう気分で毎回俺の授業受けてんだろ?」


 俺は首が痛くならないうちにさっさとマンション下部へと進み、車寄せにしては広すぎると思われる石張りのスペースへと足を踏み入れた。


「ええと、アイツの部屋番号は確か——」


 大きな自動ドアをくぐり、左横に設置してあるテンキーのついた装置に彼女の部屋番号を入れる。


「はい。山神ですが」


 備え付けのスピーカーから透き通った美声がした。朋子の声だ。


「朋子か? 俺だ。九重だ」


 俺が返事をしたその瞬間、スピーカーから流れる声の質が変化した。


「せっ、先生〜〜!! 遅いじゃないですか! 何をしてたのですか!? 私は先生に何かあったのかと思い気が気じゃなかったんですよ!? 今だってほら、こうして——」


 これ以上は長くなると思い、申し訳ないが俺は彼女の言葉をさえぎることにした。


「あー、悪い悪い。ちょっと色々あってな。待たせてすまん。それより今日も俺バイクで来たんだが、いつも通り来客用の駐車場に止めればいいのか?」

「あっ、はい。そうですね。話はコンシェルジュに通っているので案内に従ってもらえればいいと思います」

「了解した。いつもありがとな」

「はうッ——!! 突然の先生からのありがとうボイス! あぁ、何故私は今インターホンの録音機能をオンにしなかったのか! 先生もう一度お願いできますか?」

「言わん。その録音機能は犯罪防止のためのものだ。くだらないことに使うんじゃない」

「もう、先生のいけず! でもそんなところが先生の魅力の一つでもあります。あぁ、先生! 早く! 早くこの部屋に来てください! 朋子はもう待ちきれません! どれくらい待ちきれないかと言うと先生のことを思うだけで私の下着からいやらしい愛え——」

「すぐ行きまーす」


 彼女がまだ言い終えていないタイミングで俺は乱暴に通話終了のボタンを押し、ブツリと通話を遮断した。


「……ったく。何を言おうとしてたんだアイツは」

 

 俺は朋子が話を通してくれたであろうコンシェルジュに挨拶をかわし、丁寧な案内を受けながらバイクを駐車しエレベーターで彼女の待つ最上階へと昇っていった。


 真っ赤な絨毯の敷かれた静寂な内廊下を歩き、ようやく部屋の前にたどり着いた俺はツヤ消しのかかった呼び鈴のボタンを押した。


 音までこだわっているのかとツッコミたくなるような奇妙なピンポンの音を皮切りに、玄関の奥からこの場に似つかわしくないドタドタと床を踏みならす音が近づいて来た。


「ようこそおいで下さいました先生!」


 重厚な玄関の扉を開け放ち、明るい光を纏いながら晴れ渡るような笑顔で出迎えてくれたのが俺の二人目の生徒、山神朋子である。


 腰元まで伸びた枝毛の存在しないサラサラの黒のロングヘアー、目尻にかけてキリッと締まった意志の強そうな琥珀色の瞳。骨格からまるで違うのだと感じさせる小さな顔面と華奢な手足。そして今、身を包んでいる真っ白なワンピースが彼女のはかなさをさらに底上げしている。ほんと黙っていれば息を飲むほどのお嬢様なんだがなぁ。黙っていれば。


「待たせて悪かったな朋子」

「いいえ。先生もお忙しいでしょうから。私は先生に来てもらえただけで一安心です」


 ん? あれ? 変だな。いつもだったら開口一番ドギツイ下ネタを口にしてくるはずなのに。さっきのような。


「……? どうかしましたか? 先生?」


 ぼーっとしていた俺を見て朋子がキョトンとした様子で伺う。


「あっ、いやなんでもない」


 そのまま何事もなく朋子に催促されるまま玄関を上がり、彼女の家にお邪魔した。

 だが、俺はこの時気付くべきだった。玄関の鍵を施錠するその瞬間、彼女がとてつもなくイヤラシイ笑みを浮かべ小さく『クスリ』と笑ったことを……。

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