アイスコーヒー

夏谷奈沙

第1話

 早く大人になりたい。

 小さい頃、毎日のように考えていた。



 小学一年生くらいの時、私は「大人は自分の行きたいところに行けていいなあ」と思っていた。


「ゆき、今日どこに行きたい?」

「ゆきねー、マザーぼくじょう行きたい!」

「うーん。そこはちょっと遠いから今日は無理かなあ」

「えー、なんでー?」

「ごめんね、そこはまた今度。そうだ、ゆきの好きなアイス食べに行こっか」


 私の両親はよく私の行きたいところを聞いてきた。でも聞いてくるのにほとんどが「また今度」になってしまっていた。

 今なら行きたいところに連れて行ってもらえなかった理由とか、二人が求めているであろう回答を返すことができる。しかしそのころは小学一年生くらい。全然理解出来なくて困らせてばかりだったと思う。


 なんでダメなの? なんで聞いたの?


 お父さんやお母さんは、自分の行きたいところに行けるのに、私はなんでダメなの?


 大人になったら私もいけるのかな?


 早く大人になりたい。そう思い始めたのは多分この時。


 結局その日、私が行きたかったマザー牧場には連れて行ってもらえず、ぶすくれながら家の近所のカフェにお母さんに連れられた。

 そこのカフェのバニラアイスは私の大好物だったけど、喜んで食べるような気分になれなかったし、私は一つ気づいていた。

 お父さんがお仕事の日に、私の行きたいところに連れて行ってもらえない時は必ず来る。お母さんが私の機嫌を取るためにここに来ると言うことを、幼いながらに察していた。

「ゆき、アイス溶けちゃうよ? 食べないの?」

 バニラアイスが私の前に届けられてもなおブスくれる。

 でも大好物が私の鼻と目をくすぐって誘ってきたことと、せめてもと私を喜ばせようとするお母さんに申し訳なくなった。

 少し間を置いてから「食べる」とこたえてその通りにする。

 どうしたら大人になれるかな?

 小さいながらに「大人になるためには」を考えていたそんな時。


 カランカラン。


 耳に軽やかな音が響いて、私の目に黒く透けたものが見える。

 お母さんの大好物のアイスコーヒー。

 あの音はアイスコーヒーの氷が溶けて、氷同士がくっついたものだった。


 みつけた。


「お母さん、それ、ちょうだい」

 前に好奇心でほしいと言った時、お母さんに「大人の味だから」と貰えなかった。

 ダメと言われることを覚悟しながらおねだりをする。

「ゆきちゃんには、まだ早いよ。大人の味」

 お母さんの言葉に合わせてまた、カラン、と少し氷が溶ける。

 コーヒーにまで「まだ早い」と言われている気分になった。

「ちょっとだけ。ちょっとだけだから」

 コーヒーが飲めたら私は"大人"になれるのでは。そんな気持ちをすぐに諦めるわけにはいかない。

 お願いのポーズをとると、しょうがないなという顔をしてコーヒーを渡してくれる。

 恐る恐る、ストローで黒い液体を吸い上げる。

 やっとの思いでそれを口の中に含ませた瞬間、とても苦くて、たまらなくなってすぐにストローから離れる。

「うげー!」

 お母さんみたいに静かに飲むはずが、思わず変な声が出てしまう。

 とても飲める味ではなくて、すぐにお母さんにコーヒーを返す。そんな私を見ていたお母さんはくすくすと笑っていた。


 これが「大人の味」で、これが飲めるようになったら"大人"になれるのだとしたら、きっとまだ私は子供なんだと思い知った。

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