Act.3:[ジャスティス] -正義の末路- ③





   夕暮れの空が国中を見下ろしている。

 街を潤す商人達にも、必死で生き抜く街人達にも、戦争に赴く沢山の兵士にも、そんなものには興味が無いと逆走する凸凹コンビにも、全ての人々に平等に注がれる明るい光。

 その穏やかさが薄れ、森を徘徊する「実験体崩れ」の時間になる前にと。エニシア、ジャッジ両名は、遥か遠くにある王城へと繋がる街道を低速で進んでいた。

 人通りは既に疎ら、立ち並ぶ店も徐々に閉まり始めていると言うのに、二人は未だに宿を見付けられていないのである。

「お主が無愛想なせいじゃぞ」

「君のその口調と態度のせいじゃない?」

「何を言うか。この幼子を前に同情の欠片すら見せずに追い払うなんぞ、普通の人間がすることではないであろう。お主のそのふてくされた態度がじゃな…」

「まぁ、ぶっちゃけ僕のせいもあるかもね」

 エニシアが肯定したのには他に理由があるのだが、ジャッジはエニシアが持論を認めたと受け取った様子だ。

「ならばここで練習じゃ。にこりと笑って見せるが良い」

「楽しくも無いのに笑うなんてつまらないこと出来ると思う?」

「馬鹿を言うでない。世を渡っていくのに、作り笑顔の一つも出来んでどうするのじゃ」

「世を渡って行く気が無いから出来ないんだよ」

「そんなんでは何時まで経っても宿屋が見つからんではないか!ほれ、彼処に良い見本が…」

 くだらない論争の末、ジャッジは前方を指差して一瞬の固まりを見せる。エニシアがつられてそちらを見ると、確かに柔らかな笑顔が佇んでいた。一見して女優のようなその女性は、些か豪華過ぎる服を翻しながら此方に近寄ってくる。そうして実にゆっくりと、気の抜ける様な声を出した。

「あれ~?」

「やはりティスか。久しいの」

「ジャッジ~?久しぶり~。相変わらず可愛い姿ね?」

「お主も相変わらず、のんびりしておるようじゃの?」

 何処かで見たことのあるやり取りを前に、エニシアはソッポを向くことで面倒な状況から離脱しようと試みる。しかしそんなこともお構い無しに二人の会話は続行された。

「うん~?でも今から、一回アイシャのトコに帰らなきゃなの」

 ティスの言葉を受けて、若干ながらエニシアの耳が反応する。

「ほう…。パートナーでも失ったか?」

 更に続いたジャッジの台詞に疑問を覚え、エニシアは仕方なく二人に向き直った。

 何処までも気の抜けるような表情、そして声色を持つその女は、淡い水色を基調にした姿をふわりと翻す。

「正解~。ところでジャッジ、このお兄さんはどなた様~?」

「わしのパートナーじゃよ。ほれ、自己紹介くらいせんか」

 予想通りの展開。しかしそれに眉をひそめるだけのエニシアに、ティスの何処か妖艶な眼差しが張り付いた。

「自己紹介はいいよー。それより、あなたの正義はなぁに?」

「またこの手の質問か。君の知り合いには面倒なのしかいないみたいだな。ジャッジ」

「正義を司る者として、知りたいと思うのは普通だと思うよー?」

 正義…つまり、ジャスティス。それを悟りつつ、エニシアは面倒を全面に押し出す。

「僕に正義なんてない」

「ないー?何も無いのー?」

 変わらぬ調子で確認するティスへの頷きは、前例通りジャッジによって遮られた。

「エニシアにとっては人殺しが正義なのではないのか?」

「いいや。あんなの、ただの趣味」

「では何故人を殺める?」

「だから。趣味。理由なんてないって、最初にも言った筈だよ」

 ため息と共に言い切ったエニシアに、ティスの深い青の眼差しが近付いて行く。

「ふーん…。ねぇ?人を斬ってる時の自分は好きー?」

「さぁ。考えたこともない」

「じゃあ考えてみて?」

「面倒だな」

「お主は口を開けば直ぐそれじゃの」

 ジャッジの皮肉を受けて考え直したのか、それとも単に気が向いたのか。エニシアは珍しくすらすらと言葉を並べた。

「別に好きじゃない。そもそも、そんな風に自分に酔うこと自体何かが可笑しいし。…僕が好きなのは、斬られてる他人の方かもしれない」

「じゃあ、あなたのジャスティスは、あなたに斬られてくれる人ー?」

「気色悪い正義だな。そんなの願い下げだよ」

「うん、でもねー?あなたは、斬られてくれる人が居なくなったらどうするの~?」

「それはつまり、人類が滅亡するってこと?」

 あっけらかんとした問いかけに、ティスの瞳が丸くなる。

「あなたはどういう人にでも斬りかかるの?」

「そうだね。気が向けば」

「じゃあ、気が向いたらわたしも斬る?」

「そうだね。気が向いたら」

 覇気の欠片も無い会話が途切れたのはほんの数秒。その間にも夜は刻々と迫っている。

 ティスは無意識に前のめりにしていた体を垂直に戻すと、視線をそのままに声を漏らした。

「ジャッジー?」

「なんじゃ」

「この子、面白いねー?」

「そうか。お主の眼鏡に適うとは思わなかったのう」

「だって、本当に…」

 何処か嬉しそうに、何処か不思議そうに。

「この子は正義を持っていない」

 ティスは瞳を輝かせた。まるで新しい玩具を手に入れた子供のように。

 エニシアは背筋に嫌なものが走るのを感じ取り、真意を確認するべく疑問を吐き出した。

「正義なんて、語る奴のほうが珍しいんじゃないか?」

「そんなことないよー?人って言うのはね、気付かなくても何かしらの正義に基づいて行動しているものなのー」

「へえ。それは知らなかったな」

 薄れない眼光を注視するエニシアを気にも止めず、ティスはジャッジに問いを投げ掛ける。今度はきちんと、彼を見下ろして。

「ところでジャッジー?これから何処に行くの?」

「こやつはアイシャを探すと言うておる。難なら、一緒に来るか?」

「そっかぁ。そうだなぁ…」

 一瞬の間。そこに流れる三つの空気は如何にも別々の色を持っていた。

「ちょっと行きたいところができたから~。後で追い付くよー」

 意図も簡単にそう言ってのけたのは、最初から微量変化を見せたティスの空気。

「そうか。さて、エニシア。明日は何処に向かう?」

 悪戯にそう問いかけるのは、然も楽しそうな子供らしからぬ口調の主。

「知らないよ。知ってるのは君だろう?あいつの居場所」

 やる気も覇気も、抑揚すら持たないエニシアの声には、無駄だと分かっていながら二人への苦情が籠められる。

 ティスは元から浮かべていた笑顔を殊更嬉しそうに切り換えると、迷うことなく真っ直ぐに右腕を伸ばして見せた。

「じゃあ、あっちね?ジャッジ」

「これティス…」

「大丈夫よー」

 ジャッジの台詞を遮って、ティスは人差し指を自分の口元に添える。

「彼はまだ、知らないことが多すぎる」

 小さな囁きに瞳を細めたエニシアと目を合わせぬよう、ジャッジは早々に彼女に背を向けた。

「ほれエニシア。早よう宿を探すぞ?」

「君は、僕に何か隠してる訳だ」

「隠してなどおらん。お主が拒否しているだけじゃろう?」

「…どうしても僕を裁きたいらしいな?」

「さぁて。どうかの?」

 今まで見た中で最も皮肉で大人びた笑顔。それは先程から「噂の殺人鬼」と囁かれ続けるエニシアに、確かに恐怖を植え付けた。

「なんなんだよ…君達は」

 普通ではないと端から理解していた筈の、しかし異様なまでの嫌な予感。

 エニシアは自分の直感に抗うべきか、それとも素直に従うべきか。「予め一つしか答えが用意されていない」選択に直面することになった。





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