嫌いなわけじゃないけれど、特に話すこともなくて、ぎこちない年長兄妹の話

蓬葉 yomoginoha

嫌いなわけじゃないけれど(以下略)の上

 松次・・・21歳。一子長男。両親不在の家では大黒柱的存在。

 柚希・・・17歳。二子長女。寡黙。そこには理由があるけれど、この話では明かされません。

 ちなみに、一子長男は、一番目の子どもかつ長男ということです。



「ただいまー」

 すっかり深夜。誰もいないだろうと思って小声で言って家に入る。

 想像通り、リビングには誰もいなかった。普段、窮屈きゅうくつなくらい人のいる場所なだけに、こんなに静かで広く感じるのは、なんとなく不気味だ。

 あまり似合っていない、負の自信のあるスーツを脱いでワイシャツ姿になる。

「ふー」

 キッチンの椅子に座り、ベルトもネクタイも外す。

 机の上には最近になって台所に立つようになった次妹いもうと栗花りつかからの置手紙があった。



 お帰りなさい! わたしはもう寝ます。もしお腹空いてたら冷蔵庫にごはんあるから食べてね! 



「はいよ」

 空腹もあったけれど、それよりも強い眠気に目を閉じかけて、ふと気づく。


「あ……?」

 違和感を覚えてあたりを見る。

「何で電気……」

 そう。リビングに入ったときに電気をつけた記憶がない。ということは、初めからついていた?

 おかしい。皆寝ているはずなのに。


 最悪の想定までして、立ち上がりかけたそのとき、風呂場の方から鼻歌と足音が聞こえてきた。

「♪ー♪ー♪」

「あ……?」

「好きだーったのよあーなた……。むねのおーくでず……えっ」

 髪の毛をタオルで拭きながら姿を現したのは、柚希ゆずきだった。向こうも誰もいないと思ったのだろう。一糸しかまとわぬ姿だ。

「……!!」

 みるみるうちに頬を染め、次の瞬間、彼女は浴室に戻って行った。

「……ああ……」

 俺は顔を覆って溜息をついた。何でこんな、疲労に疲労を重ねたような思いをしなければならないのか。いや、別に向こうが悪いわけじゃないんだけれど、俺が悪いわけでもない。

「はあ……」 

 再びため息を吐く。静かな部屋に、それはやけに響いた。




 着替えた柚希がリビングに入ってきたのはそれから十分後くらいのことだった。

「……おかえり」

「うん……。ただいま」

 元々柚希は寡黙かもくな性格で、沈黙なんて頻繁ひんぱんなことだ。けれど、今はジト目気味にこちらを見つめる視線が怖い。

「悪かった」

 とりあえず謝っておいたほうが良いだろう。そう思って、何が悪かったのかはわからないものの、俺は言った。

 お風呂上がりの、ウェットな長い黒髪を撫でて柚希は俺を見た。

「別に、いい。私も勝手に、誰もいないって思ってたから」

「……うん」

 沈黙が落ちる。


 いつからだっただろう。柚希との会話に困るようになったのは。


 家族の多いことの弊害を一つ上げるとするなら、関係性に若干、濃淡のうたんの差が生まれることだろう。もちろん学校のクラスほど深いものではないけれど、仮に俺と柚希がふたり兄妹きょうだいだったら、こうはなってないんじゃないか。

 所詮兄妹、そんなことはないかもしれないかもしれないが。


 向かいに座る柚希は水の入ったグラスを口に運んで一息を静かにもらし、再び机の上を見た。

 たまらない静けさに、俺は口を開く。

「学校は、どう?」

「え?」

 口をいた言葉は、まるで思春期の娘を相手にする父親の常套句じょうとうくだった。柚希は戸惑ってしまったようで、瞳を右往左往させている。

「ほら、部活とか、あるじゃん」

「うん……。まあ、普通、だけど」

「……うん」

 こんなに盛り上がらない会話も珍しい。


 そういえば昔から俺と柚希は、あまり喧嘩をしたことがなかった。それはよいことでもあるけれど、でもその分、本音でぶつかってこなかったということでもある。

 柚希と一番長い時間を過ごしているのは、両親が亡くなった今となっては俺だけだというのに。

 机の向こうでそう思っていると、突如意を決したように柚希が口を開いた。

「ふ、風華ふうかが」

「ん?」

「風華と、弁当食べた」


 風華というのは柚希の従姉いとこの名前だ。つまり俺にとっても従妹いとこにあたるわけだけれども、同級生でしかも同じ部活に所属している分、柚希の方が関係性はい。しかし、突然どうして彼女の名前が出て来たのか。


「う、うん」

 不思議に思いながらも俺は頷く。

「それから、小テストやって、昼休みにお菓子食べて、部活なかったから放課後はすぐ帰って、途中で蕾菜らいな桜華おうかと会って、駄菓子屋寄って帰って来た」

「そうか」

 話している途中で、ようやくさっきの質問に答えているのだと気付いた。

 自分からしておいて申し訳ないが、まさかこんな詳細に答えてくるとは。

「まあ、なんだ。平和な一日だったんだな。……ってばっかな気もするけど」

「ん……。おいしかった」

「なによりかよ」

 柚希は頬を染めて笑った。

 食事の話になると機嫌がよくなるのは昔と変わらないところだ。


 

 シャワーを浴びて戻って来ても、柚希はいた。

 体育座りでソファの隣の肘置きに寄りかかり、ニュースを眺めている。

「まだいたんか」

「いちゃ?」

「やじゃないけど、明日も学校だろ」

「……」

 気を利かせたつもりなのに、柚希はプイっとテレビの方を向いてしまった。

「おいおい」

「久々に帰って来たのに……」

 呟くように、柚希は言った。

「は?」

「兄さん、雪葉ゆきはさんのとこばっかりいて、あんまり帰ってこないでしょ」

「いや、それは、まあ、申し訳ないけど。……えっと」

 今のニュアンスだと、久々に帰って来た時くらい一緒にいたい、というような、そんな感じになると思うのだけれど。


 ……いや、考えすぎだな。

 東京とか、遠くから帰省きせいしてきたんならわかるけれど、たかが週一の帰宅で普通そんなふうにはならないだろう。


 柚希は何も言わず、ニュース画面を見ていた。NBAの試合報道。女子バスケ部に入っている柚希には興味があるのかもしれない。

「すごいな、ダンクだぜダンク」

 大して知りもしない競技の、浅い感想をぶつけると、「え?」と柚希がこちらを見て首をひねった。

「いや、ほら、テレビの」

「……あっ、ほんとだ。すごい」

 向き直った彼女は小さくそう言うだけだった。肩透かしを食らったような気分になる。

「なんじゃそりゃ。お前ガッツリ見てたのに何で今気づいたふうなんだよ」

 そう言うと、柚希はカカカカと顔を赤くして、俺の前に立った。


「え?」

「む……」

「いや、なに」

「ん……」

「むんって?」

 

 うぐぐと声にならないうめきをこぼした柚希は、俺の側から離れた。かと思うとやはり階段の上の自分の部屋にはいかずに、キッチン側の椅子に座った。

 最初のリビング脇から俺の前に。そしてキッチン側の、最初に座っていた椅子に。

 なんなんだこの不審な、というより不必要な行動は。

 そう思っていると、柚希は眉をググっと寄せて俺を見上げた。


「兄さん、何で今日帰って来たの」




                          2011.12.27

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