彼女が欲しがった嘘⑬

「テヘヘ……。バレちった……」


 俺たちが病室へ入るなり、彼女は頭を掻くジェスチャーをしながら、いつも通りのあざとい笑みを必死につくり上げようとしていた。

 声も掠れ、頬もこけており、日頃の彼女とはどうしてもギャップを感じてしまう。

 物々しいほどに体中に繋がれたチューブも、それに拍車を掛けている。

 何でも来週から、無菌室での治療が始まるようで、面会も制限されるらしい。

 やはり、これが彼女との最期の時間なんだと痛感する。


「『テヘヘ……。バレちった……』じゃねぇよ」


 俺も彼女に合わせて、いつも通りに振る舞う。

 その横で尾道が神妙な顔つきで、彼女を見つめていた。


「でもさ……。知ってたでしょ?」


 彼女がそう言うと、尾道はバツが悪そうに俯く。


「ご、ごめん。浜松さん……。でも、やっぱり羽島くんは知っておいた方が良いと思ったから」


「ヤダな、來茉ちゃん……。責めてないよ。それにバレちゃったのはアタシのみたいなもんだし」


 彼女は舌を出し、またいつもの調子で応える。

 その一言で、尾道は泣き崩れてしまった。


「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね……」


 そう言い残し、尾道は病室を後にした。

 そこからしばし、俺と彼女の間に沈黙が生まれる。

 

 季節は7月に入り、これから夏本番に差し掛かる。

 病室と言えども、控えめながら空調は効いており、無機質な稼働音が室内に響き渡っている。

 また、それに乗じるように一定のリズムで鳴り響く心電図の音は、否が応でも不安を助長させる。

 彼女が毎日のように、この重圧に耐えているかと思うと居た堪れない。


 先に沈黙を破ったのは、彼女だった。


「ねぇ、羽島っち……。アタシの病気聞いた時、何て思った?」


「……また騙されたって思ったよ」


「そっかそっか。だよね。作戦大成功! なんつって!」


 彼女は今日一番楽しそうな表情をした。


「他に言うことあるだろうが……」


「うん。ごめん、黙ってて……」


 謝られたところで、これが彼女の誠意のカタチなのだ。

 俺の都合を押し付けて、彼女を一方的に咎める謂れはない。


「チゲーだろ。結局、お前は自爆して、こうして俺に嘘がバレちまった。この騙し合い、俺の勝ちだ。ホラ。勝者を讃えろよ」


 俺の言葉に彼女は一瞬キョトンとする。

 そして、次の瞬間には吹き出して、嬉しそうに話し出す。


「ハハハ。そうだね! うん。そうだ。羽島っちの勝利だ。おめでとう! 羽島っち! いや〜、やっぱり羽島っちは最高だな〜」


 彼女は親指を立てて、グーサインをしてくる。


 欺瞞も欺瞞だ。

 俺の嘘など、とうの昔にバレている。

 だが、それでも彼女はこうして俺に話を合わせてくれている。


 そして、いよいよとばかりに彼女は核心に触れてくる。




「……ねぇ、羽島っち。脚本、完成した?」




 何となく予感はしていた。


 これが俺たちの分水嶺になると。


 何が正しい? 何を一番に優先するべきなんだ?


 正義、常識、責任、偽善、誠実、余命、目標、代償。

 

 キーワードは思い浮かべど、どれもピンと来ない。


 あの時、駅で彼女と交わした会話。


 少なくとも、まだあの時は俺も彼女もこの茶番を続ける意志があった。


 だが、それもこうして終わりを告げた、


 それなら、もう嘘を吐く必要なんてないんじゃないか?


 ありのままの現状。


 彼女にとって、理想のラストシーン。


 俺にとってのベストストーリー。


 それを今書き直していることをありのまま伝えればいいだけだ。


 しかし……。






「すまん、まだ出来てない……」


 俺はこの時、大きな間違いを犯してしまった。






「そっか。だよね……。羽島っち、忙しいもんね」


 この時、彼女が見せた何かを諦めたような痩せた笑顔が、いつまでも頭の中にこびりつき、消えることはなかった。




  ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇




 それから約1ヶ月後。

 彼女は、その短い人生の幕を閉じた。


 俺は医療の専門家でもなんでも無い。

 だから『病は気から』なんて言説が、どこまで通用する世界なのかは分からない。

 だが、もしこのとき俺が別の選択をしていたら。

 途中でもいい。出来損ないでもいい。

 最後まで嘘を吐き通し、彼女の生きる糧となるようなものを与えられていたら、また違った未来があったのではないか、などと夢想してしまう時がある。


 これは後悔とは少し違うと思う。

 いや。もっと正確に言えば、後悔をする土壌にすら立っていない。

 まだ何も終わっていないのだ。

 俺も。彼女も。

 結局、あの脚本は未完のまま、全てが終わってしまったのだから。

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