彼女が欲しがった嘘⑨

「羽島さん、卒業おめでとうございます。社会人になってもまたメシ連れてって下さいね。あと、先月貸したゲームそろそろ返して下さい」


 月日は容赦なく過ぎていき、とうとう卒業の日を迎えることになった。

 まさか生粋のインドア少年だった自分が、これほど金太郎飴的なTHE・大学生になるとは思わなかった。

 入学する前は、絶対にそんな存在にはならないと固く心に誓ったものだったが、なったらなってみたでそれなりに楽しく、大学生活に少なからず、名残惜しさを感じている自分がいることに驚かされる。

 だが、悲しいかな。日々は続いていくし、後戻りも許されない。

 名残惜しさのあまり留年でもしようものなら、輝かしかった記憶もたちまち黒歴史に変わり、人生を棒に振るリスクすらある。

 だから、これから約一週間後に始まるワクワク社畜ライフまでは、全身全霊で現実逃避をする所存だ。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか後輩の安城は、大学生活最後のサークルの集会の場としては趣もへったくれもない言葉で現実に引き戻してくる。

 浜松流に言うならば、極めて風情のないセリフだ。


「お、おう。任せろ、安城! あと後半については本当にごめんなさい……」


 いくら趣がなかろうと事実は事実として受け止めなければならない。

 俺は素直に安城に謝罪する。


「羽島さんって、しっかりしてそうで貸し借りには意外にズボラなんすから」

「まぁそう言うなよ……。ていうか冷静に考えると、俺スゲェヤバい奴だな……」

「自覚あるなら、お願いしますよ! でも……、ちゃんと就職決まって良かったすね。俺、何気に心配してたんすから」


 安城の言う通り、こんな俺でも何とか内定まで漕ぎつくことが出来た。

 正直に言えば、内心何とかなると思っていたフシはある。

 景気も上向きというわけでもないが、数年前に比べると格段に求人数も増え、高望みさえしなければある程度の企業に就職出来るのではないかと、高を括っていた。

 元来、向上心とは縁遠い性分ということもあり、比較的早い段階でケリを付けることが出来た。

 既定路線といえば偉そうに聞こえるが、大学生活の締めくくりとしては想定の範囲内と言っていい。

 ただ一つを除けば……。


「そうだな……。俺も本気出せばこんなもんよ、ってところだな」

「ここぞとばかりに調子乗ってますね。まぁ今日くらいは大目に見ましょう」

「そうかい……。ありがとよ」

「でも、にはビックリしましたね。急に休学するなんて……」


 まさに青天の霹靂だった。

 浜松は4年生が始まったとほぼ同時に休学に入ってしまった。

 理由を聞いても『言えない』の一点張りで、取り付く島もなかった。

 『自分で映画を撮る』などと豪語していた姿も見ていたため、彼女には少し失望してしまったというのが正直なところだ。

 その後、連絡もロクに取れなくなり、よもや自然消滅すらも懸念された頃、一本のメールが入る。


 『あの約束、忘れてないよね?』と。


 その時は『それはこちらのセリフだ』とだけ返したのだが、それから返信がくることがないまま、とうとうこの日を迎えてしまった。


「アイツにも事情があるんだろうよ……」


 思わず、他人事のように応えてしまう。

 こちらとしても、腑に落ちないことが多すぎて、気持ちの整理すらついていないのだ。

 

「羽島さん、本当に良いんすか? これじゃあんまりっすよ……」



「あのさ……。羽島くん」


 その時だった。

 俺と安城が話す背後から、尾道が改まった様子で声を掛けてきた。


「どうした? 尾道」

「羽島くん。ちょっといいかな?」


 そう言うと俺の返事を聞くことなく、尾道は部室を後にする。


「あ! おい! 悪い、安城。ちょっと行ってくるわ」

「は、はい……」


 道を急ぐ尾道の背中を追うと、とある空き教室に辿り着く。

 尾道は入り口の前で立ち止まり、俺の到着を待っていた。


「スマン、待たせた」


 先走って行ったのは尾道の方だが、何やら尋常ではない彼女の様子に圧され、思わず謝ってしまう。


「うん、大丈夫」


 尾道は、その後もそこから動く気配はない。

 ゆっくりと教室の扉を締めると、彼女は俺に向き直る。


「羽島くん、ごめんなさいっ!!」


 尾道は深々と頭を下げ、謝罪してくる。

 開口一番何を言い出すかと思いきや、まさに寝耳に水だ。

 普段の尾道らしからぬ、気迫に動揺してしまう。


「えっと……。すまん。何のことだ?」

「羽島くん。1年生の時の合宿のこと、覚えてる?」

「まぁ、モノによるな……」

「じゃあさ。彼女……、ううん。浜松さんが、副会長のサプライズの時に倒れたって嘘吐いたこと、覚えてる?」

「あれは流石に忘れねーな……」

「アレさ……。実は嘘なんかじゃなかったの。彼女、あの時ホントに倒れたの」

「はぁ? ちょっと待て。それ、どういうことだ?」

「他にもさ……。行きのバスから降りて、一年生だけでロビーに集合した時にさ。壁にぶつけたって言っておでこにガーゼ張ってたでしょ? アレも嘘。彼女、自分の部屋に向かう途中で倒れたの……」

「そう、だったのか……」

「それでさ。私、その時彼女に体調悪いのかって聞いたんだよね。そしたらさ。彼女笑いながら、『倒れたことは誰にも言わないで』って言ったんだよね」


 尾道の告発により、あの時の違和感の正体が次々と紐解かれていく。

 正直に言って、頭が追い付いていかない。


「それでね! まだこの話には続きがあるの。倒れた時に彼女の鞄から常備薬も一緒に出てきてさ」


 ここまで聞いて、その続きを聞きたいとは到底思えなかった。

 だが、わざわざ人目から離れた教室に呼び出したからには、彼女は話すつもりなのだろう。

 彼女の俺を見る目がそれを物語っている。


「私の知り合いもさ、同じ病気だったから知ってたんだよね。羽島くん。彼女が何の病気か聞く気、ある?」


 今一度確かめるように、俺を見つめてくる。


「……当たり前だろ。アイツとは、恋人とかそれ以前にある意味みたいなモンだ。この先もアイツとはが残ってんだよ」


 俺らしいとも言うべきか。

 この後に及んで捻くれた言い方をしてしまう自分に心底嫌気が差す。

 そんな俺を見て、尾道はクスリと笑う。


「そっか。私、ちょっと心配してたんだ。ホラ。彼女急にいなくなちゃったでしょ? もし、羽島くんが怒ってたらどうしようって」

「いや、怒ってはいるからな、一応」

「それでもさ……、彼女のこと、捨てきれてないでしょ?」


 その聞き方は卑怯だ。

 こちらは捨てるチャンスすら与えてくれなかったのだから。


「ホントはもっと早く言うべきだったんだろうけど、彼女との約束もあったから……」


 尾道はそう言うと、俺の耳元でゆっくりと言葉を漏らす。






「慢性骨髄性白血病……」


 

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