彼女が欲しがった嘘①
受験、就職、結婚、出産、等々人生の節目は複数ある。
無論、節目の定義など人それぞれではあるが、何事も横並びが良しとされる日本社会では、必然的にそれも横並びとなる。
その第一歩として挙げられるのは、受験だ。
時代は変わりつつあるが、依然として学歴社会・大卒一括採用文化が根付く日本では、選んだ大学の良し悪しというものは少なからず進路へ影響するだろう。
俺自身も、それなりに悩んだものだ。
……だが今思えば、ソレが何だという話だ。
人生単位で見れば、受験なんかより難しい問題などクサるほどある。
そもそも答えがある問題など、問題ですらないということに、学生時代は気づかないものだ。
だから、つい受験如きで一端にやり遂げた気分になり、まるで人生の全てを知り尽くしたかのような全能感まで生まれてしまう。
だが、そんなちっぽけな自尊心も、一歩社会に出ればものの見事に粉砕し、ゴミクズに等しい価値にまで暴落してしまう。
そこで這い上がるなり、引きこもりになるなりは人それぞれだが、それも含めて人生だ。
結局のところ、面倒ゴトに巻き込まれるタイミングこそが、本当の意味での節目と言えるのかも知れない。
最も俺自身は、ある厄介な女によって、面倒ゴトに巻き込まれることになるのだが……。
いや、面倒ゴトというには、少し語弊がある。
確かに煩わしく思うことも多かった。
だが、同時に『楽しかったか?』と聞かれれば、誠に遺憾ながら首を縦に振らざるを得ない。
彼女との日々は、それだけ得るものも多かった。
話は、俺が大学へ入学した頃まで遡る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「わぁーっ! ココが陰キャの巣窟、映研かぁ〜。失礼しまーすっ!」
本当に失礼なヤツだ。
しかし、自覚があるだけ幾分マシと考えるべきか。
あと、世の全ての映画愛好家に謝れ。
開幕早々、全てのインドア男子に宣戦布告するかのようなセリフを吐き、そいつは俺の前に現れた。
おかげで部室内は、この世の終わりかのようなピリついた空気に変質してしまった。
俺のとなりの席で某映画雑誌を読み耽っていた会長も、親の仇に向ける目で入り口の彼女を睨んでいる。
無視だ、無視。
彼女とは人種が違う。
ここへ来たのも連れの付き合いとやらで、ほとんど冷やかしみたいなもんだろ、恐らく。
一刻も早くこの場を去って欲しいという、俺の儚い願いはものの見事に打ち砕かれる。
「あっそれ! 見たことある! ウチにDVDもあるよ!」
女は俺の背後に立ち、俺が読んでいた雑誌のページを指差す。
彼女が入室してきたことにより、部室は香水の匂いで充満する。
ほのかに漂うバニラ系の香りに、一瞬でも『良い匂い』と思ってしまった自分を全力で殴りたい。
当の本人は、そんな俺の心境を全力で無視するかの如く、ニコニコと無邪気な笑みを浮かべ、こちらを見ている。
亜麻色のボブヘアに、ゆるく掛けられたパーマ。
純白のレース素材のロングワンピース。
その攻めた性格に反して、中々清楚なビジュアルだ。
コレが所謂、ゆるふわ系女子というものなのか。
それにしても、何なんだこの女は。
さっきまで入り口付近にいたのに。
気配を消す特別な修行でも積んでるのか?
辺りを見渡すと、先輩たちをはじめメンバー全員他人の振りを決め込み、ただひたすらに嵐が過ぎ去るのを待っていた。
お前ら……、覚えてろよ。
「あ、あぁ。これか? まぁB級もB級だけどな。観てみると結構ハマるよな」
「おっ! キミ分かってるね〜。教育しがいがありそうだよ、うんうん」
いや、待て。
俺はアンタから何を教わるんだ?
ひょっとして先輩なのか?
とは言え、この女から教わるものなど、一生使うことのない飲みのコールくらいだろう。完全に偏見だが。
「あっ! 今お前なんかに教わることなんてないって思ったでしょ?」
「何お前? エスパーなの?」
「はい、1ペナ! いきなりお前はないでしょ? 私が先輩だったらどうするの?」
「……じゃあ何年生なんだよ」
「えっ? 1年生だけど?」
「じゃあ先輩なわけねぇだろっ!! 俺も1年生だけどよ……」
「そっかそっか! 同い年さんか! ヨロシクね〜」
「それで……、結局お前は何しに来たんだよ?」
「おっと。イッケね! わすれてたっ!」
俺が核心に迫ると、彼女はどこぞのお菓子メーカーのキャラクターの如く、ワザとらしく舌を出す。
もう一度言うが、何なんだこの女。
「はーい、学生ちゅうもーく! この中で会長さんはいますかー!」
彼女が突如、部室の全員に呼びかける。
もはや、場の空気を支配しているのは彼女と言っていい。
「お、俺だけど……」
恐る恐るといった様子で、会長は挙手する。
「あ! アナタが会長さん?」
「う、うん……」
そして、彼女の次の一言で、場は完全に凍りついた。
「アタシ、映研に入会しまーす!」
嫌な予感は的中したとばかりに、会長は顔を強張らせる。
他のメンバーの反応も、似たり寄ったりだ。
「アレ? アタシあんまり歓迎されてない感じ?」
見りゃ分かるだろ、とは誰も言えずに場の空気は一層硬直する。
そして、副会長の女の先輩が取り持つように話し出す。
「ま、まぁいいんじゃないかな。ホラ、ウチ人数少ないし、賑やかになるのはいいことなんじゃないかなー、なんて。はは……」
「せ、せんぱい……。ありがとうございますぅぅ! 味方は先輩だけですよぉぉぉ!」
彼女はそう言って、副会長に泣きつく。
副会長も、そんな彼女のノリに合わせて、優しくその頭を撫でている。
こうなってしまったからには、今さら『お前はダメだ!』とは誰も言えまい。
「……んじゃ、もう会員ってことでいいんだよな?」
俺が彼女に近づき問いかけると、彼女は振り返り、満面の笑みで応える。
「うんっ! そういうことでっ! キミ、名前は?」
「あー、俺は羽島 望だ」
「アタシの名前は浜松 朔良! ヨロシクね! 羽島っち!」
彼女はニコリと眩しい笑みを浮かべ、勝手に人の名前を改竄してくる。
それが俺と彼女のファーストコンタクトだった。
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