Case 1 ~軽薄男子③~

「あぁ、それで構わない。俺か? 大丈夫だ。ちゃんと店内見渡せる位置にいるから。何かあったら隙を見て連絡くれ。じゃあな」


 5月も終わりに差し掛かり、初夏の爽やかな陽気は影を潜めつつある。

 直近では、雨こそ降ってはいないものの、日に日に湿度は高まり、梅雨の足音がぽつりぽつりと聞こえてきた。

 そんな中、俺は豊橋さんと米原の初デート(笑)の主戦場である洒落臭いカフェに来ており、彼女たちの来店を待ち伏せている。

 彼女の成長をこの目で見届けたいという野次馬根じょ……、もとい責任感からか、本来の予定よりも早く現場についてしまい、コーヒー一杯でかれこれ1時間近くも粘っている。

 改めて、店への罪悪感を禁じ得ない。

 ふと真横のウィンドウに目をやると、季節外れのニット帽を目元まで被り、腕組をした痩せ型の男が薄っすらと映っていることに気づく。

 一端の不審者として板についてきたものだと実感し、何とも言えない物悲しさに襲われる。

 密会が盛り上がるのは大いに結構だが、今日に関して言えば極力短期決戦でお願いしたいものだ。

 あまり長期戦にもつれ込むと、時季が時季なだけに頭皮にも優しくない。


 取り留めのない物思いに耽っていると、カランコロンと、来客を知らせる鐘の音が店内に鳴り響く。

 入り口の方へ視線を向けると、まるでこの世の春を謳歌するかの如く幸せそうな表情で一方的にまくし立てる男と、引きつった笑みを浮かべながら相槌に終始する女が入ってきた。

 傍から見ていても、非常にバランス感覚の乏しいカップルであることは明々白々だ。

 スタッフに誘導され、二人は俺が陣取る席の通路を隔てて、向かいの席に辿り着く。

 すると、米原は着席するかと思いきや、ある提案を持ちかける。


「あー、俺トイレ近いからコッチ座っていい?」

 

 そう言いながら、米原は自然と豊橋さんにソファー席を譲った。

 なんと言うか。

 基本に忠実というか、本当に小癪な奴だ。

 普段はガサツでデリカシーの欠片もない輩だが、こういった面ではやたらと気が回るところは実に憎たらしい。

 だが、多少のあざとさがあるとは言え、こうしてナチュラルな気配りが出来る点は、一人の男としての甲斐性なのかもしれない。

 まぁ要するに、大変参考になります米原パイセン!


「は、はい。!」


 うーん、豊橋さん。

 米原の意図に気付いたのは立派だが、礼を言ったらせっかくの計らいが無駄になるぞ。

 ただまぁ……。

 こう言っちゃなんだが、米原が勝手に気を遣っただけだ。

 何故、相手方のエゴで、こちらの行動が制約されなければならないのだろうか。

 そう思えば、社交とは斯くも面倒なものである。

 一体、何重に尊重し合えば良いのか。

 まさに忖度の無限地獄だ。

 

「よし! じゃあ何か頼もうか!」


 米原は豊橋さんの反応を気に留める様子もなく、彼女にメニューを差し出す。

 すると、間髪を入れずに畳み掛ける。


「ゆずティーが美味しいらしいよ! あ。あとはキャラメルマキアートも看板メニューなんだって! どうしよっか?」


 なるほど……。

 事前にリサーチした上で具体的な選択肢を絞ることで、相手の心理的な負担を軽減する狙い、か。

 決断を下す、という行為はどうにも消費カロリーが高いらしいからな。

 普通に勉強になるから、本来の目的を見失いそうになる。


「そ、そうですね……。私、ゆずティーがいいです!」

「そう? じゃあ俺も同じヤツにしようかな。アイスでいいかな?」

「は、はいっ! お願いします!」


 すると米原はスタッフを呼び、注文に移る。

 注文を終えると、場は再び米原の独壇場へと化した。

 さて。

 ここまでは米原のリードもあり、順調そのものと言っていい。

 だが、いつまでも主導権を握っていられると思うなよ。

 そろそろ、こちらからも仕掛けさせてもらおう。


「そう言えばさ……。って、何でこの仕事選んだの?」


 やはりな。

 俺の時とは状況が大きく異なるが、彼女のバックグラウンドを知る上で避けては通れない話題だ。

 このタイミングで切り出したのも、ある程度信頼関係が構築されたと判断したからか。

 最もソレを言うなら、豊橋さんの方がイニシアチブを取り、この足で会社のショールームなりに連行する立場なのだが。本来であれば。

 返す返すも、歪な時間だ。


「は、はい。えっと、そうですね……。ちょっとヘビーというか、こんなこと出会ったばかりの方にお話しするコトでもない気が……」


 米原の問いかけに対して、豊橋さんは困惑したような表情を浮かべ、俯きながら応える。


「そ、そうなんだ……。ご、ごめんねっ! ヘンなこと聞いちゃって!」

「い、いえっ! で、でも、何だか米原さんにはチョット話してみたいかも……、ですっ!」

「掛川さん……」


 ん?

 アレ?

 安っぽくない!? この展開。

 いや、待て。

 彼女の会社のマニュアルよりはだいぶマシなはず……、だよな?

 ここまで思い描いていた展開ではあるが、こうして改めて目の前で繰り広げられると、恥ずかしさでコッチが顔を覆いたくなる。

 ベタではあるが、雑ではないと信じたい……。

 俺の憂慮を他所に、豊橋さんは淡々と、米原の問いに応え始める。


「実は私、借金があるんです」

「えっ!? そ、そうなんだ。ち、ちなみにいくらくらい?」

「…………」


 恐る恐ると言った様子で米原が問いかけると、豊橋さんは口を噤む。

 世の中には、総量規制というものがある。

 俺自身直接聞いたわけでもないが、学生の身分で組めるローンなどたかが知れてるはずだ。

 だが具体的な額を聞かれ彼女が黙り込んだことで、米原はそんな常識も忘れ、勝手に膨大な額を妄想しているのだろう。

 そして、借金があるという事実だけを伝えることが、今後の展開で非常に重要なファクターになってくる。


「いやっ。ごめん! 答えなくていいよっ! また余計なこと聞いちゃったね!」

「いえっ! 私の方こそごめんなさい! いきなりこんな話しちゃって。でも、それの返済で今困っているんです。頑張れば稼げるって聞いたから始めたんですが……。だからイケないと分かってても、選り好みしてる場合じゃないって思ってて……。自分でもスゴく矛盾しているって思ってはいるんですが……」


 ところどころ脚色は混じっているが、完全な嘘というわけでもない。

 彼女の動機の部分をズラしただけに過ぎない。

 話の核をデート商法云々ではなく、借金にフォーカスすることでよりスリリングな展開をお届けする狙いだ。


「そ、そうだったんだ……。何ていうか、大変だったね……」


 どうやらこの話は、米原にとってそれなりに衝撃だったようだ。

 だが、ここからがお前の腕の見せ所(?)だ!

 米原よ。

 お前の彼女に対する本気度を見せてもらおう。


「そ、それでですね……。実はあまり良くないところから、お金を借りていて……」


 豊橋さんがそう言うと、米原は露骨に黙り込む。

 当然フェイクだ。

 まさに初級編に相応しい、非常にベタな筋書きだ。

 ここまで香ばしい展開だと、怪しく思っても無理はない。

 しかし、米原は既に豊橋さんの人間性に触れ、ある程度の人となりを理解してしまっている。

 彼女は嘘がつけない人間だ、と。

 実際に一度彼女を看破してしまった。

 言ってしまえば、これは嘘のような本当のような嘘だ。

 そして、米原ならきっと……。


「そ、そうなんだ」

 

 どうした?

 いつもの威勢の良さはどこへ行った?

 反応に窮する米原を尻目に、豊橋さんは更に畳み掛ける。


「はい……。私ホントに世間知らずでそういう世界に詳しくなかったんですけど……。米原さん。関○連合って知ってます?」


 彼女が問いかけると、またもや黙り込んでしまう。

 ココからでは見えないが、米原は顔面蒼白となっていることだろう。

 無理もない。

 まさか彼女の口から、我が国最大手の半グレ集団の名が飛び出すとは思うまい。


「あの……、米原さん?」


 彼女の生々しい話を聞き、言葉に詰まる米原の顔を覗き込むように、豊橋さんは呼びかける。


「あ、ごめん。ちょっと色々とビックリしてた」

「そ、そうでしたか! それで、ですね……、どうやらその関○連合さん?の系列の貸金業者さんから借りちゃってて……。取り立ての方も、チョットんです」


 情報を処理し切れないのか、の中身を具体的に想像しているのか、米原は一層意気消沈する。

 そんなターゲットの姿を見て、後悔している暇はない。

 ここからが本当の意味で男の真価が試されるところだ。


「仕事の方もあんな感じだし、取り立ての方もキツイし、でも誰にも相談できないし……。私どうしたらいいか分からなくて」


 これに関しては多少脚色されてはいるものの、彼女の本音だ。

 こんなことをしていて何だが、米原には先輩として奇譚のない意見を彼女にぶつけて欲しいところだ。

 しかし、米原はなおも口を噤む。


「ごめんなさい……。米原さんには関係のない話でした。やっぱりこれ以上、米原さんにご迷惑をおかけするわけにはいきません。今日はこれで」


 そう言って彼女が席を立とうとすると、米原はフゥと深い息を吐き、意を決するように言葉を零す。


「あのさっ! キミがどれだけ借金を抱えているかは知らない。ぶっちゃけ貯金もあんまりないし、俺が建て替えてやるとかカッコいいことも言えない。でもこれだけは言わせて……」


 そうまくし立てると、米原は息を整え、ゆっくりと続ける。


「この話をキミから聞いた以上、俺はだ。俺、あんまり頭良くないし、どこまで役に立てるかは分からないけど、出来る範囲で協力する。だからさ……、『関係ない』なんて寂しいこと言うなよ」


「米原さん……」


 さて、どうしたものか。

 いや、路線としては俺の思い描いていた通りなのだが。

 しかし、一つだけ計算外のことがある。

 米原パイセン、格好良過ぎませんか?

 普段のヤツの姿を知っているからこそ、一人の男としての真っ直ぐさに感心してしまう。

 同時に、俺の心の中を疚しさ・後ろめたさが順調に侵食していく。

 

「あの……、なんて言っていいか分かりませんが……。兎に角ありがとうございますっ!」

 

 普段の挙動不審さは影を潜め、真っ直ぐに米原を見据え、謝辞を述べる。


「うんっ! 一緒に頑張ろう! 俺の会社の同僚にさ。陰キャなんだけど、俺と違って頭が良い羽島ってヤツがいるんだけど、ソイツにも意見を聞いてみようぜ!」


「そ、そうなんですねっ! ははっ……。それはとても心強いです!」

 

 そうだ。米原は昔からこういう奴だった。

 この殺伐としたご時世、こういったピュアで損得勘定なしで付き合える同僚は貴重だろう。

 そう考えれば、俺の社会人生活もそう捨てたものではないのかもしれないな。

 だから、さり気なく俺に陰キャレッテルを貼り、面倒ゴトに巻き込もうとしたことについては、格別の慈悲をもって不問としよう。

 米原の思いがけない急な提案に何とか顔色を変えずに踏ん張った豊橋さんを尻目に、スタッフが注文の品を運んで来る。


「おっ! キタね。うまそー」

「そ、そうですね! 近頃、暑いですから、シーズン的にはピッタリですね!」


 特に決着がついたわけではない。

 だが、それでも一定の方向性が決まったことは、二人の安心感に繋がったのだろう。

 二人は喜々とした雰囲気でゆずティーを口に運ぶ。

 そして、再び米原のペースで歓談が始まった。


「今日はありがとう。楽しかった! 家どこ? 送ってくよ」


 その後、二人に特段変わったことはなかった。

 取り留めのない談笑に終始し、今日についてはお開きを迎えることになる。

 俺は米原がトイレへ向かった隙を見計らい、会計を済ませ一足先に店の外へ出たのは良いが、格好が格好なだけに道行く人々の面妖なものを見る視線がただひたすらに辛かった。

 が完成するまで、俺はこういった視線へ対する耐性を身につける必要があるのかもしれない。

 そんな下らない物思いに耽りつつも、俺は店の影から二人のやり取りを見守る。

 米原の申し出に、豊橋さんは食い気味に応える。


「い、いえっ! 実はこの後予定がありまして……。今日はここで失礼します!」

「そ? 了解! じゃあ気をつけてね。また何かあったら連絡してよ! こっちはこっちでイロイロと調べとくからさ」

「は、はいっ! あの……、今日はホントにありがとうございます! 私もその……、楽しかったです!」


 豊橋さんは深々と頭を下げると、米原は柔らかな笑みを浮かべ、そのまま最寄りの駅の方角へ消えていった。


「どうよ? ソコソコ良い男だろ?」


 特に含みはない。

 俺は等身大の意味を込めて、米原の後ろ姿を見つめる豊橋さんに問いかける。


「は、はい。そうですね……。でも、だから余計に悪いことしてるなって感じちゃいます……」

「だよな、俺も思った」

「ちょっ!? 羽島さんが最初に言い出したんですよね!?」

「あー、大丈夫大丈夫。心配すんなって! ちゃんと最後まで見届けるし、アンタにだけ責任押し付けたりもしねーよ」

「それなら良いんですが……」

 

 良心の呵責に苛まれているのか、豊橋さんは力なく呟く。

 彼女は心の芯から善人なのだろう。

 そう思えば、やはり彼女はこの仕事に向いていない。

 そんな仕事をある意味で強要している俺自身、改めて業の深さを実感するものである。


「んじゃ、俺も帰るわ。帰って今後の展開煮詰めにゃならんしな」


 彼女らの一連のやり取りから生まれた後ろめたさを隠すため、俺は早々に別れを切り出す。

 

「は、はい。じ、じゃあ、お気をつけて!」

「おう」


 俺は振り返ることもなく右手を挙げ応える。

 そうして一歩、二歩と彼女との距離が遠ざかる。






「あ、あのっ!!」






 大凡、今までの彼女のものとは思えない声のボリュームに一瞬たじろぐ。

 だが、それほど気に留めていないといった様子を装い、ゆっくりと振り向く。


「ん? どした?」


「あの……、羽島さんは私の成長のため、とおっしゃいましたよね?」


「……まぁ、そんなところだな」


「そうですか……。あの! 率直に伺いますが、何で私のためにそこまでしてくれるんですか? 正直、かなり危険な橋ですよね。これって……」


 俺自身、その問いに対する答えを持っていない。

 いや。きっと、持っていないわけではない。

 稚拙なシナリオで嵌められそうになったから?

 不器用な彼女に同情したから?

 違うな。

 本当は、最初から全て分かっている。

 だが、もしそれに気付いてしまえば、俺が俺じゃなくなる気がした。

 もっと厳密に言えば、それはを裏切ることに繋がる。

 そんな自意識が頭の中を巡り、豊橋さんの成長のため、などと取ってつけたような動機で自分自身を騙している。

 それが今の俺なのかもしれない。

 豊橋さんに心の内を見透かされたような気分になり、いたたまれなくなる。

 だから俺は、極めて的外れな揚げ足取りで、本題から逃げざるを得なかった。


「なぁ、豊橋さん。その、ってのは止めた方が良い。別にキレイ事を言うつもりはねぇよ。ただな。テメェんとこのをテメェで貶すのは商売人として不味い。そういう商法もあるのかも知れねぇが、アンタには10年早い。先輩ビジネスマンとしての忠告だ」


「は、はい……。ごめんなさい」


 俺の八つ当たりにも等しい小言を聞くと、豊橋さんはまた俯いてしまう。

 そんな彼女を見て、後悔の念に駆られ、慌ててフォローに走る。


「ま、まぁ、そうだな。今日の米原の様子を見る限り、楽しそうにはしてたからな。そういう意味でデート商法プレイヤーとしては成長したんじゃねーの?」


「それ……、褒めてるんですか?」


「いや、分からん」


「何ですか、それ。目的とも違うし、メチャクチャじゃないですか」


 そう言うと、クスリと彼女が笑みを浮かべる。

 今まで見た中で、一番自然な笑顔のような気がした。

 そんな彼女を見て、俺自身の表情も綻んでしまう。


「じゃあ、今度こそまたな。帰り気をつけろよ」


「はい! あのっ……、これからもよろしくお願いしますっ!」


「……あぁ、よろしくな」

 

 余計なお世話の極み。

 客観的に見て、そう言わざるを得ない俺の取り組みも、彼女にとって塵ほどくらいの意味はあるのかもしれない。

 そう頭の中で自身を正当化しながら、俺は帰路についた。

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