第6話

 ​────霊怪という化け物は、どこにでもいる。どこにでもいて、当たり前にいる。

 ぼんやりと靄を纏う影、人間に取り憑く鬼。

 様々なかたちで、この世界に潜んでいる。

 普通の人間では見えないから彼らを知らないわけで、化け物が見え、認知しているということは、それはもう普通ではなくなった証拠だ。


 俺は、二年前の事故で普通じゃなくなった。

 あのとき死にかけたことで、化け物がいる世界に一度足を踏み込んでしまったのだ。

 踏み込んで、そこから抜け出せなくなっている。


 そして俺が助けようとして、俺を助けてくれた後輩​────火縫篝ひぬいかがりもまた普通の人間ではなかった。

 彼女は鬼に取り憑かれた。

 鬼。二本のツノを生やし、血と暴力の化身のような、イメージそのままの鬼である。

 今は九割ほどの力を封じ込められているが、逆を言えば一割の力が残っている状況であり。

 つまり、一割、人間ではないということを意味していた。


 俺は、身体は十割人間で、全部が人間で、わざわざこんな滅茶苦茶な言い方をしなくても、人間そのものであるが​────自分の影には、カゲビトという霊怪が住んでいる。


 そうして、自分のなかに一つの疑問が生まれる。

 化け物を住まわせている俺は、果たして本当に、胸を張ってただの人間だと言えるのだろうか?


 もしかしたら。

 俺も彼女も、人間ではないことに、さして変わりはないのかも知れない​─────。

 



***




「ナミトお前、居眠りして怒られてやんの〜」


「うっせえ、ほっとけ」



 六時限目、居眠りをしてしまった俺は見事に先生に見つかり、大目玉を食らった。現代文を担当している矢代やしろ先生は俺の居眠りを見つけるなり、今回の授業で問題が出る度に俺を指名するようになった。

 問題を出す度に先生の眼光が震えがるほど鋭くなり、何度か本気で泣きそうになってしまった。


 そんな地獄の授業もホームルームも終わり、放課後のチャイムが鳴り響く。


 俺を煽ってきたのは一年生からの友人である犬守夷汰いぬもりひなただ。右手に紙パックのカフェオレ、左手に下敷きをパタパタさせながらやって来る。俺はうざってえと睨み付けるが、夷汰は変わらず意地の悪い笑みを浮かべたままだ。

 下敷きの風のせいで、焦茶色の髪はぼっさぼさに乱れている。



「何? もしかしてエロい夢でもみてた?」


「みてねえよ。握り潰すぞその紙パック」


「残念、もう空でした〜」


「うぜええ・・・・・・! いつもの二倍増しでうぜえ・・・・・・!」



 夷汰はヒラヒラと手を振る。その様子に更にイラッとしながらも、もう突っかかる気力もなくスポーツバッグを肩にかける。

 彼は「お?」ときょとんとした顔で俺を見る。



「何? もー帰んの?」


「帰る。用事があるからな」


「え〜! 俺がガチャ引くとこ、見守って欲しかったんだけど!」


「おう、じゃあ爆死するように祈っておく。じゃあな」



 俺は夷汰に背を向け、ひらりと手を振り教室のドアを潜り抜ける。数秒後、不満を孕んだ声で「じゃあなー!」と声が聞こえた。


 廊下は教室よりも気温が高い。じめった空気と、首をつたう汗が気持ち悪い。

 不快な暑さに顔を顰め、俺はワイシャツの襟をパタパタと扇いだまま、昇降口に向かう。

 全学年同時下校のため、廊下は混雑している。人口密度が高く、余計に暑さが増していた。


 下駄箱で上履きを脱ぎ、スニーカーに履き替えて外に出る。刺すような陽射しが目に痛い。

 校門に辿り着いたところで、彼女を見付けた。



「かがり。ごめんな、待たせて」


「いいえ、私もさっき来たので。行きましょうか、先輩」



 今日は廻迷さんに頼まれた霊怪の調査が入っていた。目的地は今では廃校になった小学校だ。いかにも霊怪が出そうな場所である。


 今回の目的地まで、俺と篝は徒歩だ。

 二人肩を並べて、俺たちは歩き出す。


 正直、女子と二人で帰るというシチュエーションは初めてなので、それはもう暑さ関係無いのではという勢いで汗が止まらないほど緊張していた。そんな俺とは反対に、彼女はいつもと変わらない表情で歩いている。


 無駄に緊張してる俺が馬鹿みたいじゃん! と心の中で叫びながら、決して表に出さないようにと努める。


 小学校まではうちの学校よりはそう遠くない。

 横断歩道を渡り、細い道に入ったところで、俺は口を開いた。



「・・・・・・なあ、かがり。ずっと聞きたかったんだけどさ、俺の腹の治療ってどうやってやったんだ?」



 腹を擦りながら彼女に問うた。

 篝は思い出すように口元に手を当てながら、ぽつぽつと言った。



「ええっと・・・・・・何を言っていたかは覚えていないのですが、何かを唱えながら御札を先輩のお腹に貼っていましたね。それでめぐりさんの血を少々垂らして、徐々に傷口が塞がっていきました。凄かったですよ、先輩の治療」


「廻迷さんの血を使ってたのか!? そっか・・・・・・ますます頭が上がらないな・・・・・・」



 廻迷さんから霊怪の調査を頼まれてからちょうど二週間が経った。調査は廻迷さんから篝に連絡がいき、篝から俺に伝達が来るようになっている。


 調査の仕方は様々だ。

 廻迷さんから最初から目的地を言われ、そこを調べたり、街を巡回し、霊怪が「集まりやすい場所」を探すときもある。

 廻迷さん曰く、集まりやすい場所というのは街のいたるところにあるらしい。特に、路地裏などの暗い場所なんかには。

 何でも、人間は暗い場所に恐怖を感じるから集まりやすい、と言ってた。確かに電気や太陽で明るい場所に、人間はあまり恐怖を感じない。


 筋は通っていると言えるだろう。



「本当、二人と知り合ってから世界の見方が変わったよ。廻迷さん、本当に魔法使いみたいだよな」


「あ・・・・・・私もそれ、最初の頃にめぐりさんに言ったことあります。けれどすごく否定するんですよね。絶対に魔法ではないって」


「へえ。何でだろうな?」


「私も陰陽師のことは詳しくは知らないのですが・・・・・・陰陽師の使う「術」は、魔法ではなり得ないそうです。魔法とは無から有を生むものを指すそうで、あの人たちは札の力を使って戦ったりしているので、そういうところで魔法とは呼べないっ言ってるのでしょうね。陰陽師ならではの主観ですね」


「そうなんだ・・・・・・それでもすげえな」



 彼女たちの言う「術」とは、魔法ではなくて魔術、というものに近いのだろう。あくまでも勝手な予測だが。


 篝は少しだけ楽しげな声音で続けた。



「めぐりさん、あんな感じの人ですけれど、実は凄腕の陰陽師なんですよ。霊怪を退治する瞬間を何度も見ていますが・・・・・・刀の腕も、使う術も、他の陰陽師よりもずっと凄いみたいで」


「まあ・・・・・・凄い人だってことはすぐに分かったな。あの人、たまに笑い方滅茶苦茶怖いし」


「ふふ。怒られちゃいますよ?」



 篝はくすくすと笑った。


 楽しげに笑う姿を見て、俺は安心した。人見知りな彼女が、自分に心を開いてくれていることに。

 嬉しかった。彼女は案外、心を開いた相手には人懐っこいのかもしれない。


 曲がり角を曲がれば、小学校に到着するのはすぐだった。

 木造建築の小学校は、廃校になっているだけあって不気味な雰囲気を放っている。あちこち窓ガラスも割れていて、明らかに幽霊が出そうな見た目だ。



「・・・・・・嫌な、気配がします」



 と。足を止めて、篝は学校を睨み付けながら呟いた。



「やっぱりそういうのって分かるのか?」


「・・・・・・はい。私のなかの鬼が、そう感じているので・・・・・・」


「そう、なのか・・・・・・」



 霊怪最上級に君臨する鬼は、九割の力を奪われてもなお、彼女の身体に影響を与えている。

 急に姿を見せる影の霊怪を住まわせているだけの俺には、そういう気配は全くと言っていいほど感じられなかった。


 篝は身体を俺に向けて、強い声音で口を開いた。

 目線が思ったよりも鋭く、初めて見た表情に心臓がどきりとする。



「先輩はここで待っていてください。私一人で行けますから」


「何言ってんだ。俺も行くに決まってるだろ」


「危険な霊怪がいるかも知れません! 先輩にはリスクが高すぎます!」


「その危険な霊怪がいたら、かがりはまた鬼の力を使おうとするだろ? それは駄目だ」



 鬼の力を使おうとした篝を、廻迷さんは強く叱ったのだ。そのことを思い出したのか、彼女は唇を噛んで、何も言わなくなった。

 不満げな顔で、彼女は俺を見る。



「危なかったら、今度こそ一緒に逃げよう。かがりが封印を解こうとしたら全力で止める。見張ってるからな」



 俺は先に昇降口へと入った。

 校内はじっとりと暗く、重たい空気が広がっていた。あちこちに蜘蛛の巣が張っている。

 一歩踏み出す度に、ギシギシと今にも床が抜けそうな音が鳴り、余計に不気味さを引き立てる。


 篝は俺よりも一歩後ろを歩いていた。



「・・・・・・なあ、かがり。一つ、聞いてもいいか」


「はい、何でしょう?」


「かがりはさ。・・・・・・俺と同じく、死にかけてこっち側に来たのか?」



 前を向いたままのため、篝の表情は見えない。

 だが今、彼女がどんな顔をしているかは目に浮かんでいた。



「・・・・・・いいえ。私がこうなったのは・・・・・・私が鬼に、願ったからです」

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