第七話 『前編』

 聞き覚えのある声におどろいて振り返ると、そこにな不思議そうな顔の蓮花と汐莉しおりさんがたたずんでいた。


 何で二人がここに? 

 そう思い、でもすぐに理解する。

 今日は二人が会う約束をしている日だっけ。


 思いがけない遭遇そうぐうにまずいことになったぞ、と頭が警鐘けいしょうを鳴らし始める。

 今、このタイミングで彼女と会っていることがバレるのはよろしくない。

 幸い、待ち合わせの時間が少し過ぎたばかりでまだ彼女は現れていないが、それも時間の問題だ。  

 メッセージを送って待ち合わせ場所を変更しようか。でもすぐに気付いてくれるだろうか。そもそもなんと言ってこの場をはなれよう。

 じわりと背中をイヤな汗が伝うのを感じる。


 様々な言いわけが思い浮かぶもすぐに看破かんぱされそうで言葉が出てこなかった。


「ごめん、バスが遅れてて……って、汐莉しおりちゃんと、蓮花ちゃん?」


 声がした方に向き直ると待ち合せをしていた彼女が私たちの前に立っていた。


つむぎ、ちゃん……どうして……」

「あれ? 蓮花ちゃんたちも呼んでたの?」

「それは……」

汐莉しおりさん、せっかく誘って頂いたのにごめんなさい。急用を思い出したので私はこれで。汐莉しおりさん、つむぎちゃん、さようなら」


 それだけ言うと蓮花がサッと去って行く。

 蓮花は一瞬いっしゅんでこの場の状況を理解していた。


 とっさに追いかけようとして、一歩目で立ち止まる。立ち止まってしまうと、もう次の一歩をみ出すことが出来なかった。


 今の彼女に何を伝えても言いわけにしか聞こえない気がして、かけるべき言葉が思い付かなかった。

 私のしようとしていた事は、彼女との約束を反故ほごにする行為こういでしかなくて、例えそれが彼女のために行動したつもりであっても、了解をていない時点でそれは自分のエゴでしかないという事実に今更いまさらながらに気付く。

 こんな気持ちで彼女の前に立って、何を伝えるというのだろう。

 つむぎちゃんにあやまって、今日は家に大人しく帰ろう。


「ごめん、また今度……」

「追いかけなよ」

「え?」


 顔をあげるとつむぎちゃんと目が合う。

 初めて見せる、彼女の真剣な表情に、思わずつばを飲み込んだ。


「うん、私も追いかけるべきだと思うな」

汐莉しおりさん……」


 目が合うと対照的に柔和にゅうわな笑みを浮かべた汐莉しおりさんが大きく一度、うなづくとうつむく私の手をそっと取る。

 汐莉しおりさんが静かに語りかける。


「……綾音ちゃん、私も昔、ある行動をするべきかでなやんだ時があった。でもその時に背中を押してくれた人がいて、み出せたんだ。そうして良かったって思ってる。だから綾音ちゃんも……」

「……本当に、そうでしょうか? 余計よけいに関係を悪化させることになるのでは……」

「もしかしたらそうなるかも知れない。けど、今このまま何もしないであきらめて帰るよりも、ちゃんと向き合うべきだと私は思うな。だって、綾音ちゃんにとって蓮花ちゃんは大切な人なんでしょ? それならちゃんとお話をした方が良いよ。さっきの蓮花ちゃんの笑顔、さびしそうだったよ」


 静かに語りかける汐莉しおりさんの一言一言が私の深い部分に刺さる。

 ただ、だからこそ私たちを本当に心配してくれているのだという気持ちが伝わる。


「私もそう思う」

つむぎちゃん」

「蓮花ちゃんや綾音ちゃんから話を聞かせてもらっていたときから思ってたんだけどさ、何ていうかお互いを大切に思っているのは伝わってくるんだけど、本質をともなってないというか。時々二人の姿ってみたいに私には映るんだよね。相手を理解するためには本音をぶつけ合うことも必要だよ」

「ご、ごっこ遊び……」

「ちょっ! つ、つむぎちゃん言い過ぎ!!  あ、綾音ちゃんごめんね!」


 さっきまで大人な表情をしていた汐莉しおりさんがつむぎちゃんの頭を小突いてオロオロする。

 そんな汐莉しおりさんの態度の落差におどろいて、そんな二人のやりとりはどこか温かくもうらやましくて――でも不思議と勇気がいてくるのだった。


「ありがとうございます。行ってきます」


 頭を下げて今度こそ一歩をみ出す。

 二歩、三歩と速度を上げる。

 視線の先、小さくなっていく背中を見失わないように――今はただ、それだけを考えた。








          ◆◇


「しおちゃんはさ、友達とかいるの?」


 ご両親が都内に飲みに出かける日につむちゃんが私のアパートにへ転がり込んでくるのは日課となりつつあった。

 基本サバサバしている性格のつむちゃんの言葉には遠慮えんりょというものがない。


「友達……んー」


 たずねられて頭の中に同じ講義を受けている数人やゼミ仲間が頭にちらほらと思い浮かぶ。


「あ、おはようとか講義の課題終わったー? とか、定型句ていけいくのやりとりだけの人はのぞくからね。せめてよく一緒いっしょにお昼を食べるくらいの人」


 どうやら私にとっての友人枠はつむちゃん的には友人枠でないことが発覚する。

 新たな発見と小さなショック。

 うーん、一緒にご飯かぁ~、あ、お昼によく食事をするベンチで私のお弁当を狙ってくるハトのハト次郎(私命名)くんはどうだろう。


「ハト次郎くんかなぁ?」

「ハト次郎? 鳥料理のお店?」


 つむちゃんがきょとんとして小首をかしげる。

 こんなとき、普段大人びて見えるつむちゃんは途端とたんに幼く映る。

 そのギャップも彼女の魅力みりょくのひとつではあるけれど、本人には秘密にしている。


「とにかく、しおちゃんはもう少し交遊関係を広げたほうがいいんじゃないかな?」

「私はつむちゃんが居ればそれでいいんだけど」

「……だ、だからそういうのはいいって!」


 つむちゃんが早口でまくし立てるとぷいっと顔を背けてしまう。


「ご、ごめん。怒った?」

「怒っては、ない……はあ、本当しおちゃんは天然たらしだよね」

 てんねんたらしって何かな? まあいっか。

「とにかく! しおちゃんは私以外にも友達とか仲の良い人を作ったほうがいいって話。つむちゃんは私よりも先に社会に出るんだから、もう少し交遊関係をきづけるスキルを持ってないと、これから社会人になったとき付き合いに苦労するんじゃない?」

「社会人――上司との付き合い残業、クライアントの理不尽りふじんな要求、ゴルフ接待、山積みされて終わらない仕事、休日サービス出勤、となり同僚どうりょうによる書類の雪崩なだれ、やだなぁ……」

「いつの時代の話よ?」

「いやいや、歴史あるブラック企業に入社したらありえるかもよ? 常に最悪の事態を想定して危機管理意識ききかんりいしきをね……」

「どんなブラック企業よ? まずはそうならないようにちゃんとしたところに就職できるように行動をするべきだと思うけど。というか、仮にそんなところならサッサと辞めちゃえばいいのよ」

「ノーと言えない日本人!」

「強気に弱気な発言してるよこの人」


 つむちゃんがあきれて苦笑している。

 ああ、就職したくない、ストレス社会怖いよぉ。豆腐メンタルな私に優しい会社が見つかるかなぁ。


 うへぇ~っとうなだれていたら、つむちゃんが頭をもふもふしてくれた。


 はぁぁ、いやされる♪ チョロいと思われても、今の時代、エコでお手軽なのは良いことだと思うのでほにゃ~っと、たれぱ○だみたいにゆるまる。


 ゆるまりながらぼんやりと考えてみる。

 友達かぁ。まあ、つむちゃんの言うことにも一理あるのかもなぁ。でも友達とかってどうやって作るんだっけ? 昔のことを思い出すとなんとなく自分と似通った人同士でいつの間にか集まって勝手に遊んでいた気がする。少なくとも「友達を作るぞ!」 と覚悟を決めて作るものでもないと思う。うーん。


「とりあえずは身近な所から見付けてみればいいんじゃない?」

「身近……ええと、蓮花ちゃんとか?」

「お、いいじゃん。蓮花ちゃん可愛いし」


 可愛い。その言葉にのどの奥がザラリとして引っかかりを覚える。もちろんつむちゃんのことは信じてる、信じてるんだけど! だからと言って不安にならないこととは別なわけで、軽々しくそういう言葉を私の前で使わないで欲しい。


 つむちゃんは私が居なくても生きていけるかも知れないけど、私はつむちゃんが居ない世界なんて想像するだけで、目の前が真っ暗になる。


「つ、つむちゃんは蓮花ちゃんのこと好き?」

「え? まあね。性格もちょっと天然が入ってていじり甲斐がいがあるし。あの性格で好かれないほうがめずらしいと思うけど」


 つむちゃん大絶賛だった。自分から聞いておいて、ほおの肉ががれそうだった。

 小さくため息をく。

 しょんぼりする私に気付いたのか、つむちゃんがそっと私の頭をき寄せていた。


「つむちゃん」

「もう、そんな顔しなくても、しおちゃんが私の一番だから大丈夫だよ」

「う、うん……というか、そんな顔って?」

「へ? んー、例えるなら犬がワンチュールをお預けされてしょぼくれた顔」

「そ、そんな顔してないしっ!」

「あはは。でも、そんなしおちゃんの反応、私は可愛くて好きだなぁ」


 もう、そんなこと言われたらこれ以上否定出来ないじゃないか。なんだか私ばっかり彼女の手のひらでもてあそばれていて悔しい。

 むくれる私のほおをつむちゃんがつんつんして遊んでいる。

 どうにか仕返しできないだろうか? そうだ!


「……かぷ……」


 つんつんしていた指にみついた。


「……」

「……」


 見つめ合ったまま、無言……。

 いや、何か反応してよ。

 思い、つむちゃんの顔を見ると表情はそのままにほおの辺りの血流が良くなったらしくじわじわと赤味を増していく。

 その変化に気付き、自分が結構恥ずかしいことをしていることを再認識さいにんしきした。


 ど、どど、どうしよう、これ。

 お互いに固まったまま、しばしの時が流れ……静寂せいじゃくやぶったのはつむちゃんのスマホだった。

 つむちゃんが指を抜き取り、スマホを手に取る。


「だ、誰から?」


 気まずさをまぎらわせようと声をかける。

 つむちゃんは私の方を見るといつも通りの意地悪な表情をしながら応える。


「デートのお誘いを受けたよ」

「そ、そう……で、デート?! だ、誰から?!」

「綾音ちゃん♪」

「ふ、ふぅん。そ、そう……」


 うなだれる私に「あはは、冗談だよー」と軽く返される。「だ、だよねー」と返しながら、冗談じょうだんでもそういうのはやめて欲しいなと思う。


「というか、二人ともそんなに仲良かったっけ?」

「この前、連絡先交換してからちょいちょい相談されたり、やり取りしてた」

「へ、へー……」


 私の知らない間につむちゃんはあっさりと交友関係を広げていた。

 小さなショックを受ける。こういう所が彼女にからかわれる原因のひとつになっているのだろう。

 いつまでもこのままではいけないよね。よし!


「じ、じゃあ、今度蓮花ちゃんとで、でデートに行って来ようかな~」


 なんともまらない宣言をする。

 そんな私の決意もつむちゃんはメールのやり取りに夢中で、ようやく帰ってきた言葉は「どーぞどーぞ。いってらっしゃい」なんて薄情はくじょうなものだった。


 もーう! 

 つむちゃんのご両親が今日も都内に飲みに出かけてなければ、ドアから追い出してやるのに。

 なんて、出来もしないことを思うのだった。








           ◆◇


「今度、会えないかな?」


 たった一言、用件を伝えるだけの短い文面を何度も読んでは修正をしたり、元に戻してみたり、悩みに悩んで最終的に必要最低限の用件で送信をした。

 送信してしまうと、何だかどっと疲れてしまい、座っていた布団にそのまま寝転がった。


 送ってから、罪悪感に胸が痛んだ。


 でも、これは仕方のないことなのだ。

 だって、失敗するわけにはいかない。 

 二人の未来を明るいものにする、そのために最善と思える行動をしていかないと。


 そう自分に言い聞かせ、ごめんねとこころの中で謝るのだった。








           ◆◇


 利用客から返却された本を元の場所に戻していると汐莉しおりさんが声をかけてきた。


「あの、蓮花ちゃん」

「はい、何ですか?」

「えっと……」


 そこで口をつぐみ、視線をキョロキョロと警戒けいかいし、近くの本棚の裏にまで回り込んで左右を確認する汐莉しおりさん。

 警戒けいかいし過ぎて挙動不審きょどうふしんになっていた。

 汐莉しおりさんの背後に立ち声をかける。


汐莉しおりさん?」

「わあ?!」


 汐莉しおりさんが大声を上げて驚き、利用客ににらまれて頭を下げていた。

 なんかごめんなさい。


 汐莉しおりさんは咳払せきばらいをするとスマホを取り出して、画面を見せてくる。

 そこには綾音と時々行くドーナツ屋さんの新商品とコラボグッズの情報が表示されていた。

 私の好きなミッフィーのグッズ!


「可愛いですね♪」

「だよね! つむぎちゃんにはときどき子供っぽいってバカにされるんだけどさ、可愛いに年齢は関係ないと思うんだよね!」

「分かります!」


 お互いにうんうんとうなづきあって、しばしミッフィーの魅力みりょくについて語り合う。


「そ、それでさ……こ、今度良かったら、い、一緒に買いに行かない?」

「え?」

「あ、ああいや、む、無理にとは言わないけど、とま、どうせ買いに行くなら、好きな者同士で行った方が楽しいかなって……ダメ、かな」


 汐莉しおりさんが顔の前で両手を合わせてこちらをそろそろと見詰める。


「もちろん構いませんよ。その、汐莉しおりさんから初めて誘って頂いたので少しおどろいただけです。それじゃあ、今度のお休みにでも一緒に行きましょう」

「うん! ありがとう!!」

「し、汐莉しおりさん、声大きいです」

「ご、ごめん。」


 胸をなで下ろして、にこにこしている姿は小さな女の子のようで微笑ほほえましかった。


「よくミッフィー好きだって分かりましたね?」

「ペンケース、財布に、エプロンのポケットに差したボールペン……それ、みんなミッフィーだよね」


 どうやらバレバレだったようだ。


「でも、いいんですか?」

「何が?」

「だって、つむぎちゃんと行ったほうが良いんじゃないかなーって」

「いや、つむぎちゃんと行ったらまた子どもっぽいの集めてるってからかわれるからさ」

「ミッフィーに大人も子どもも関係ないです」

「ねー、そうだよね。女性誌とかでも付録ふろくとかでポーチとか付いてたりするし」


 そうして再び、お互いにミッフィーの豆知識について語り合った後、汐莉しおりさんがおもむろにたずねてきた。


「……と、ところで。な、何でつむぎちゃんのことをさっき聞いたの?」

「え? だっていつも一緒にいるじゃないですか。仲が良いんだなーって。休みとかもよく一緒にお出かけしてるってつむぎちゃんから聞いてますよ。二人ともお似合いですよね」


 そう、伝えると汐莉しおりさんがほおをじわりと染める。


「あは、そ、そうかな?」

「はい。たまに親友より親しいも感じがします」

「親友より?」

「ええ、まるで……」

「ほら! おしゃべりはそれくらいにしなよー」


 と、バイト仲間の田村さんに注意をされる。

 お互いの『すみません』が重なり、笑い合う。


「じゃあ、くわしい話はバイトが終わったらね」


 そう告げて汐莉しおりさんは窓口へと戻って行った。








           ◆◇


 ぼんやりと天井を見上げていた。

 布団に入ってもう三十分ぐらいはとうというのに、一向に眠気が訪れる気配はなかった。


 蓮花から汐莉しおりさんと今度会ったときに私たちの関係を話すという連絡を受けた。

 私も同席しようかとたずねたけれど、予想通り丁重ていちょうに断られてしまった。


 私が思うに、つむぎちゃんと汐莉しおりさんは私たちと近い関係にある気がする。

 いつもバイトで一緒いっしょのシフトに入っていたり、送りむかえもしているようだった。


 友達の本庄ほんじょう深谷ふかやのような場合もあるかも知れないけれど……というか、あの二人もはたから見たら付き合っているに等しいと思うのだが。


 とはいえ、つむぎちゃんと汐莉しおりさんが付き合っていたとして、私たちの関係を素直に喜んでくれるとは限らない。むしろ自分たちのほうが体感しているからこそ、反対される可能性も有りる。


 もし、うまくいかずに蓮花との関係がぎくしゃくしたとしても最悪、蓮花がバイトをめてしまえばそのコミュニティから脱することは出来る。

 もちろんそうならないようにベストはくすつもりだけど。


 そういう意味も含めて学校の友達よりも先に二人に話をするほうが良い気がした。


 ……改めて、私たちが結構なリスクを負っていることを再認識さいにんしきする。

 負う必要がないリスクだと言う人もいるだろう。   

 でも、私たちで必要だと決めたのだ。

 だから、それも覚悟かくごの上だ。


 ……うまくやれるだろうか?

 いや、うまくやれなくてもいい。とにかく二人に私たちの関係を理解してもらえれば。


 つむぎちゃんはどんな反応をするのだろう。


 考え出すと希望よりも不安の度合いがどうしても増して行く。寝坊をして遅刻ちこくすることがないようにと、なるべくいつも通りに過ごして眠りにくつもりだったのに、眠気は全然訪れなかった。


 そもそも、と構えてしまっている時点で、意識いしきし過ぎてしまっているのだろう。


「……ダメだ、全然眠れそうにない」


 ホットミルクでも飲もうと思いたち、リビングへと向かった。



           * 


 レンジで牛乳を温めているとリビングのドアが静かに開き、母親が入って来た。ほおがほんのりピンク色に火照ほてって見える。

 珍しくお酒を飲んでいたらしい。

 母親はカクテルとか弱めのお酒しか飲まない。

 お酒が体質的に合わないのだ。

 そんな母親がお酒を飲んでいるということは、父親に付き合ってのものだろう。

 普段父親をいいようにあつかっている割に、お酒の誘いには律儀りちぎに付き合う。

 父親が仕事に関する愚痴ぐちを家族にらしたことは一度もない。

 旅行先で陽気に話をしている時もあるが、普段家では言葉少なに静かに飲んでいる姿のほうが多い。

 そんなとき二人の間には、言葉はないのに、目に見えない親密しんみつな雰囲気が生まれていて、最近はその姿が何となく「いいな」と思っていた。


 私のそんなささやかな想いを無神経な言葉が両断するのだった。


「お、娘Aがいる」


 なんだ娘Aって、綾音だからか? それとも村人A的な? どちらにしても少し失礼な気がした。

 黙ってレンジに向き直る私に声をかけてくる。


「おーい、話してあげてるのに無視は良くないぞ」

 水を注いだグラスを片手に文句を言われる。


 別に話しかけて欲しいとはたのんでない。むしろスルーして欲しかった。というかそもそもそちらの声のかけ方に問題があったとは思わないのだろうか。思わないのだろうなぁ。

 無視を続けようか……でもしつこく話し掛けてきそうで面倒な気もした。基本、母親と向き合うと大抵たいていウザいことを言われるか、ちょっかいを出されるだけなのだ。


 最悪の二択だった。

 何であんな大人しい父親が、こんな騒がしい母親を選んでしまったのか謎だった。


 温め終わった牛乳をレンジから取り出す。

 母親は私のマグカップの中身をのぞき見て「なんだホットミルクか」とつぶやく。

 いちいち余計な一言が多い人だった。


「ココアにしたら?」


 一瞬いっしゅん、あの鼻を抜ける甘い香りの誘惑ゆうわくに負けそうになったが思いとどまる。


「……いい」


 その間を読み取った母親がうなづく。

 視線が二の腕に向いていたような気がして視線で「なにっ!」とにらみ付けるも、「いえいえ、なんでもないッスよ」と返される。

 これはこれでムカついた……ので、その勢いに任せて話を振ってみる。

 どうせこれを飲んだ所ですぐに眠れるとも思えないし、ちょっとぐらい相手をしてあげよう。


「しかしお父さんも物好きだよね。よくこんな騒がしい人を選んだものだよ」


 一瞬いっしゅん言い過ぎたかなと思い、ちらりと様子をうかがったが、母親はさして気に止めていないようだった。


「それだけ私が美人で魅力的みりょくてきだったからでしょ」


 とんでもない返しをされたので、っているせいにしておく事にした。優しいぞ、私。


「でもまあ、そんなに聞きたいなら、少しだけ話してあげよう」


 別にそれほど聞きたい訳でもなかったし、どちらかというと皮肉を込めて言っただけなのだが、いちいち訂正するのも面倒だったので黙っていた。


 母親はグラスに注いだ水を一息に飲み干すと話し始めた。


「高校時代、私は初めて親しい人が出来て付き合うことになったんだ」


 唐突とうとつに母親から高校時代の恋話こいばなをされる。

 まあそこまで話したいなら聞いてあげなくもないですけどね。別に興味ないけどね。うん、全然。


「付き合いは高校一年から始まり、大学時代には同棲どうせいをする仲になっていたわ」


 同棲どうせいって、おじいちゃんたちがよく許したなぁ。

 同棲どうせいとか厳しい世代な気がするし。

 お父さんは母親と大学の頃に知り合ったと以前に言っていたし、違う人なのかな。


「このままずっと付き合って、一緒いっしょに暮らしていくのもいいかもなって……そんな風に思ったりしていた。でもある時、相手が私に言ったの。子供が欲しいって」


 え? いや、その理由はおかしい。だって母親は私や琴美を産んでいて特に体に障害しょうがいを抱えていたりと聞いたことはない。

 だから子供が欲しいという理由で別れるのはおかしな話だった。

 なら、相手方に問題が……と、そこである種の考えが浮かんだ。

 もしこの考えが正しければおじいちゃん達が同棲どうせいを認めたのもに落ちる。


 でも、いや、まさか……。


「……あのさ」

「ん? なーに」


 聞きたいことはたくさんあった。


 その人って、女の人だったの?

 付き合ってみて、幸せだった?

 お父さんとその人、どちらとも結婚が出来たとしてどちらを選んでいたの?

 お父さんと結婚して良かった?


 でも、聞いてみたところで、それはもう終わってしまった話でしかなかった。


 黙り込む私を見詰め、母親がふっと笑った。


「なーに神妙な顔してんのよ。言っておくけど、私は今の自分とか超好きだからな。それよりあんたこそ大丈夫なの?」

「え?」

「最近のあんた、何か暗い顔してるじゃん。あ、もしかしてケンカでもしたの?」


 心配したかと思いきや、それを通り越して無神経な質問を平然と言ってのける。


「そんな訳ないじゃん。うまくいってるよ」

「そう? ならいいけどさ。もしケンカしたら意地を張ったりせず、あんたから謝りなさいよ。どーせケンカの理由なんてみーんなあんたが原因なんだろうしさ。ま、私ならとことんやり合うけどね」


 相変わらず言いたい放題言っているだけだった。

 さっきまで心配していた自分がバカらしく思えて、何だか体の力が抜けるのだった。


「なんて言うか、楽しそうですね」

「まーね、あんたたちにちょっかい出すのは私の楽しみのひとつだからね」


 私の二度目の皮肉もまったくかいさず、にひひっと母親は得意気とくいげに笑うのだった。


 その後、ホットミルクを飲んだからか、すぐに眠りにくことが出来た。








           


―――――――――後編に続く―――――――――

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