第二話 『前編』

 四月三十日、ゴールデンウィーク前日、私は同じクラスの女友達二人と昼食をとっていた。


「そーいえば、今年のゴールデンウィークって五連休なんだねぇ」

 クリームパンをパクついていた深谷ふかやが、ふと顔を上げ、頬にカスタードクリームを付けたままつぶやくように言った。

 隣にいる本庄ほんじょうがその頬を拭ってあげている。


 二人は産まれた病院から一緒という、生来からの幼馴染みだった。

 私みたいに高校から知り合った人は、初め、その異様な光景に驚いたものだが、それも毎日見ていたら自然な光景となっていた。

 慣れってすごい。


 天然でぬぼーっとしている深谷と背が小さくてサバサバしたフットワークが軽い本庄。

 お互い全然タイプは違うけど、だからこそみ合うのか、いつも行動を共にしていた。


 頬を拭き終わった本庄が応じる。

「ああ、そうだな…ていうか、今更過ぎないか、その話題?」

「いやぁ、私って、月が変わってからしばらくしてカレンダーめくるタイプだし。だから気付いたのこれでもちょっと早い方だぞ」

えへんと深谷が胸を反らすと、私と本庄よりも豊かな胸が少し揺れ、ちょっとムカついた。

「それはタイプというより、ただのズボラなだけだろ」

 本庄の冷静な指摘も深谷はどこ吹く風、無表情にそうかな? と、のんびりつぶやいている。

「特に先の予定とかないしなー」

「はあ……あんたはそういう奴だったわ」

 相変わらずのマイペースぶりに本庄が呆れている。

 と、そこで本庄が首をかしげる。

「ん? というかお前、この前ゴールデンウィークにあたしん遊びに来るって言ってなかったか?」

「……はて? そうだっけか」

「もういい、お前来るなよ」

「ウソウソ、イクイクイキタイヨ~」

 深谷が本庄のそでを引っ張りながらすがりつく。

「感情ゼロの棒読みじゃねーか……ってこら、やめい、伸びるわ」

 本庄が深谷の額にチョップしていた。

「あう」

 今日も相変わらずの平常運転のようだ。

 私は二人の夫婦漫才みたいなやりとりを傍観ぼうかんしつつ、今日の放課後蓮花とゴールデンウィークの遊ぶ日にちを決めようと密かに思うのだった。


 放課後、お互いの降車駅で待ち合わせをする。

「いたいた…」

 先に駅に到着して待っていた蓮花れんかは、本屋の漫画コーナーにいた。

 両手を後ろに回し、漫画の森を散策し、気になるタイトルがあると手に取り、裏側のあらすじや帯のコメントを読んでいる。


 私はしばしその光景を見詰めてから彼女の肩にそっと手を置いた。

綾音あやね?」

 蓮花が嬉しそうに振り向く。

 その頬に人差し指が刺さる。

 うわぁ、ぷにぷにしてる。

 呆気に取られる彼女に構わず、更にその頬をぷにぷに…。

「や……ちょっ……」

 我に帰った蓮花がほおを朱色に染め始める。

 手で払われるまでぷにぷにした。


 本屋を後にした私たちは駅前ロータリーにあるミスドに入った。

 ドーナツの並ぶショーケースに立ち、さて何にしようかと考えつつ蓮花を見る。

 彼女はトングを手に、迷わずイチゴチョコで表面をコーティングされたポンデリングをトレイに乗せていた。

 私は迷った末にいつも食べているエンゼルフレンチに決め、妹用に同じものを一つ購入することにした。


 二階に上がり、窓際の席に横並びに座る。

 私はドーナツをくるんでいた紙で持つと一口食べる。

 柔らかい生地をかじると、中に入っているクリームがふわりと舌に乗る。

 あま~いと思いつつ、空腹ということもあり、もくもくと止まらなくなりそうになる。

 蓮花を見ると、ポンデの丸い部分を一つ千切っては、口でむぐむぐ、ニコニコ食べていた。

 なんか幼稚園児みたいだ…。

 けど、可愛い…。

 私がじっと見詰めていると、視線に気付いた彼女が小首を傾げ、視線で訊ねてくる。

「蓮花って、すごぉく美味しそうに食べるね」

「そ、そう…かな? そういえば、時々お兄ちゃんに、お前は好きなもの食べてる時は本当に子供みたいだよなって、言われてるかも…」

 なんか、お兄さんと気が合いそうだな。

「ねぇ、綾音もそう思う?」

 彼女が不安げな表情で見詰めてくる。

 その表情に見惚れていたら、やや反応に遅れて取りつくろう余裕がなかった。

「ん、んー、そ、そんなことないんじゃない?」

「ちょっ、棒読みなんだけどっ?!」

 彼女がふーんだ! と顔を背けてしまう。

「そんなねなくても…」

「拗ねてるんじゃなくて、怒ってるの!」

 違いが分からない。

 私は一つ息を吐くと、周囲に人が居ないことを確認し、蓮花の手のひらに触れる。

 ぴくりと反応するが、抵抗はない。

「一つ、伝え忘れてたことがあるの、聞いてくれる?」

 彼女がこちらに顔を向け、こくんと頷く。

 その耳元がわずかに赤みを差し始めている気がした。

「おいしそうにドーナツを食べる蓮花のこと、私は好きよ」

「…あ…う、うん……あ、ありがと……」

 彼女が少し俯いて、照れ隠しにえへへと笑いかけてくる。

蓮花の幸せそうな姿を見ていると、こちらもポンデを食べてみたくなった。

「その…さ、良かったら、ドーナツを一口ずつ交換しない?」

「あ、うん…いいよ」

 蓮花の承諾しょうだくを得て、まずは自分のドーナツを取ると、彼女の口元に差出す。

「えっと…自分で持てるけど…」

「そうだけどさ、蓮花に私が食べさせてあげたいの」

「う…なんか、恥ずかしいかも…て、あんまり見ないで」

 私の視線を感じてか、彼女が注意してくる。

 私はごめんごめんと顔を少し背ける。

 蓮花が前屈まえかがみになり、脇の髪を指先で押さえながら小さな口を開く。

 化粧っ気のない彼女の唇は、桜貝のようにつやめくピンク色をしていてた。

 小さな口の中より覗く舌に糸が引くのが見えて、どきりとした。


 いつか……遠くない将来、蓮花は誰かとキスをするのだろうか。

 その唇は、どれくらい柔らかくて、温かい熱を含んでいるのか……その時、彼女はどんな表情でせてくれるのか……。

 その誰かのことが、少しだけ、うらやましいと、思った。


「ん…おいし……」

 蓮花が幸せそうに微笑みかけてくる。

 こちらまで気持ちがなごんでくる、そんな笑みだった。

「じゃあ…今度は私の番ね」

 彼女がドーナツを一口大に千切り、私の口元に持ってくる。

 私が受け取ろうとすると、手を避ける。

 私がいぶかしげに見詰めると、蓮花は一つ咳払いをして…

「あ、あ~ん」

 悩ましげな声を……じゃない、その…つまり…「はい、あーん」ていう、あれだ。

 よく、恋人同士が相手にご飯などを食べさせてあげる行為。

 それを蓮花はしようとしていた。

 されてみると、思いのほか恥ずかしい。


「あ、あのさ、蓮花…」

「あーん」

「ちょっと、恥ずかしいんだけど…」

「あーん」

「普通に手のひらに…」

「あーん」

「……」

「あーん」

 彼女が何を言ってもあーんしか言わないRPGのモブキャラみたいになっていた。

 そんなに私にあーんをしたいのか。

 さっき私がした時は黙って差し出しただけで、彼女は恥ずかしがっていた。

 同じ立場になってみて、先程の彼女の気持ちがよく分かった。

 ……あ、私も「あーん」て言えば良かったなぁ…。

 よし、次は私もそうしよう。

 そんな小さな後悔と新たな決意をした。


「はーやーくーしーてー」

 蓮花が若干不機嫌になりつつある。

「いや…でも…」

「いやでもじゃなくて、あーん」

 うぅ…正に問答無用だ。

 と、彼女が眉根まゆねを寄せ、瞳をうるませてくる。

「…その…綾音が、嫌なら……強制は、しない…けど…」

 いや、大分強制されてませんでしたか蓮花さん……。

 そう思いつつも、そんな表情をさせてしまうと、だんだんと罪悪感めいたものが生まれてくる。

「ごめん、嫌じゃないよ…」

 私はあきらめて蓮花の指先に口を近付けた。

 ドーナツの表面にコーティングされているイチゴチョコの甘い香りがする。

 口を開くと、彼女の指がそっと伸び、舌の上に乗せた。

 もぐもぐとドーナツを食べている間、蓮花がまじまじと見詰めてきて、頬が熱くなるのを感じた。

「あの……そんなに見詰めると、恥ずかしいんだけど…」

「うん、知ってる」

「それじゃあ…」

「私も、さっき綾音にされたからさ」

 ニコニコ顔で小さな仕返しを宣言された。


 でもまあ、仕方ないかなと思う。

 私は蓮花のいろいろな表情を近くで見るって決めたんだから…。

 これくらいは、覚悟しないとね…。


 ドーナツを食べ終えると、ゴールデンウィークの予定を確認する。

 お互いに両親の実家に行く予定があり、遊べるのは後半の4日と5日だけだった。


「せっかくの休みなのに…」

 蓮花がガックリと肩を落とす。

「仕方ないよ、まだまだこれから遊ぶ時間は作れるからさ」

「うん…」

「それじゃあ、今日はもう帰ろうか」

 トレイを手に席を立とうとすると、彼女が私の服のすそを控え目に摘まんできた。

 振り返り、どしたん? と視線で訊ねる。

 蓮花は視線を泳がせてぼそぼそと話し出す。

「…えっと…その……あ、会えない日に、電話…していい?」

「いいけど、そんなに毎日、話すことあるかな?」

 とりあえずは、明日から三日間、毎日電話をしたいということだろう。

 お互いにそんなに特筆とくひつするような日常は送っていないと思う。

「えぇと、頑張る」

 頑張ってまで電話で話す必要、あるのかな…。

 なんとか口に出そうになったそのセリフをおさえる。

「うーん」

 私の声が否定的に聞こえたのか、蓮花が顔を背け、俯くと、前髪をいじりながらぽそりと呟いた。

「あ、ああ綾音の声……き、きき、きき聴きたいから…」

 カミカミに告白して、照れ隠しにえへへへーとこちらを見る。

 火照ほてった頬が熱そうだった。

「あ、そ、そそそう…なんだ。う、うん、い、いいんじゃない?」

 こちらまでカミカミになり、照れ隠しにあはははーと笑いながら、同じく頬が熱くなっていた。

 お互いに、熱が覚めるまで、しばらくえへへへーとあはははーの状態が続いた。


 蓮花が最寄り駅に着くと、恋人繋こいびとつなぎをした指先を一度、強くきゅっとにぎってきた。

 私も手をより強く握り返す。

「…それじゃあ、またね」

 蓮花が別れの言葉を告げる。

「…うん、またね」

 蓮花がホームに降り立つと、こちらを見て胸の前で小さく手を振った。

 私も控え目に振り返す。


 いつもの光景、斜陽しゃように照らされる蓮花の笑顔はきれいで、どこかはかなげで淋しそうだった。


 明日から三日間、しばしのお別れ。

 …もう少し、一緒に居たいな…。

 そう思ったら、自然に足を踏み出していた。


 電車のドアが閉じる。

 目の前に立つ彼女が不思議そうに私を見詰めていた。

 なんて言おう。

 そのままの想いを伝えるのはさすがに恥ずかしい…。

 顔を背け、考えを巡らす。

 巡らせて、巡らせて…私は、カバンからウォークマンとイヤホンを取り出した。

 頬が火照ほてってくるのを感じ、隠すようにうつむいて、消え入りそうな声で伝えた。


「えぇと、その…蓮花に聞かせようとして忘れていた歌があってさ…」


 わずかに顔を上げ、横目で蓮花を見る。

 彼女はぽかんとこちらを見詰めた後、口元に手を添えて、クスリと笑った。

「うん、聞きたい、聞きたい!」


 改札を抜け、駅舎を出ると彼女の手をそっと握った。

 彼女の家までの道のりを歩きながら、私も存外ぞんがい寂しがり屋だなと、思いました。











―――――――――続く―――――――――

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