第8話 JKと初夜2

 宅配の晩飯も食べ終わり、時刻は日を跨ぐ直前まで差し掛かった。

 この辺りに鈴虫や蛙の鳴き声なんて乙なものはなく、ただ車の通過音が夜の静寂を掻き消していた。それに混ざり込み、外から男女の仲睦まじい声が壁を超して耳に入る。


「………………ぁ」

「………………ぅ」


 僕と美玲は視線を泳がせた。

 どうしようもない居心地の悪さに耐えられず、僕は寝室に向かう。収納の取っ手を掴むと、隣の部屋から美玲の声が届いた。


「なに、してるんです?」


 僕は押し入れをまさぐりながら、端的に返答を言い渡す。


「客用の布団を取り出そうと思って」


 いつか彼女や友達が遊びに来た時にでも使おうと備えていた物だ。

 結局、僕には友達以上恋人未満の”セフレ”か、知り合い以上友達未満の”知人”しか関係を作れなかったけど。前者は言葉の通りで、後者は飲み会の人数合わせに呼ばれる程度の付き合いだ。


 まさか、女子高生を引き取り、自分自身が使う羽目になるとは想像もしていなかったが……。


 僕は嘆息をつき、目的の品を発見すると――


「お、あった」


 なぜか、美玲が押し入れを閉じてきた。

 僕が扉を開け直すと、美玲が再び閉め直す。

 それを数回繰り返した後、僕は眉間に皺を寄せた。


「なんのつもり?」


 美玲はやや不貞腐れた表情で答える。


「……その、毎日布団を出し入れするのは面倒だと思うんですよ」


「僕がやるから、美玲の手を煩わせることはないよ」


「……家に住まわせてもらう私じゃなくて、家主の瑞季さんが布団で寝るのはダメです」


「じゃあ君が布団で寝るかい?」


「むぅ……そういうことじゃないのに……」


 美玲の顔に機嫌の悪さが浮かび上がった。

 僕は彼女の要領を得ない回答に首を傾げ、「美玲はどうしたいの?」と問いかける。


「そ、その……二人でベッドを使えばいいじゃないですか……」


 美玲は両手の指先を擦り合わせて、恥じらう。

 その予想の斜め上を行く発言に、僕は思わず「いやいや」と反抗の弁を立てていた。


「よくないだろ。少なくとも、僕は付き合ってもない女子高生と同じベッドの上で寝る気はないよ」


 僕が饒舌に捲し立てると、彼女は口を窄めた。

 保護者の同意を得ており、いくら僕と美玲が恋人の振りをしているとはいえ、同じ寝具の上で寝るのは倫理的にも世間的にも良い行いとは言えない。


「成人の瑞季さんが女子高生を拾った時点で、もう今更の話じゃないですか」


「……それは言わない約束だろ」


「まあまあ、そういうことで。ほら、立ってください」


 脇下に手を滑り込まされ、僕は半ば強引に立ち上がらされた。

 そのまま美玲に押し倒され、ぼふん、ベッドに仰向けの形で倒れ込む。

 遅れて、僕の隣に美玲が飛び乗った。彼女の寝巻きから伸びる白い四肢が僕と接触する。


「えへへ、少し窮屈ですね」


 二人用のベッドなので床に落ちる心配はないが、些か手狭に感じるのは致し方ないだろう。


「今から布団敷いてもいいけど」


「む、この口は素直じゃないですね」


 美玲は親指と人差し指で僕の唇を上下に挟んだ。


「あまり生意気な事ばかり言うと、キスしちゃいますよ?」

「っ〜〜〜〜……」


 反射的に顔を後ろに引いて、美玲の拘束を解いた。

 そのまま半回転して彼女に背を向ける。


「あっ、もうっ……」


 美玲は不満の声を漏らして、ちょんと僕の背中に指を当てる。

 彼女が接吻に見せ掛け、僕に息を吹き掛けてきた時に察してはいたが……美玲は根からのSなのだろう。意外と強気な性格に加えて、積極的に迫り来る姿勢が何よりの証拠だ。


 これにメンヘラ属性が付け足されるのか……と。

 先の生活に一抹の不安が生じた。


「ねえ、瑞季さん、聞いてもいいですか?」


 美玲が真摯な声色で訊ねてくる。


「なにを?」


「初めて会った時のことです。瑞季さん、言いましたよね。私に声を掛けたのは『生きる意味を見出すため』って。あれはどういう意味だったんですか?」


「それは……」


 僕は開き掛けた口を閉ざした。

 なぜだろう?

 別段、隠し事をするようなことじゃない。

 僕は空っぽな心の持ち主だというのに。

 それなのに、美玲が僕に対して不得意な感情を持ったら……と、自分の過去を発露することを躊躇してしまった。


 僕が頭を悩ませていると、


「瑞季さんが優しいの知ってますから。嫌いになんて、なりませんよ」


 お腹の辺りに細い腕が伸びてくる。

 ぎゅっと優しく抱き締められ、心の温度が上昇した。


「わかったよ……」


 僕は観念のため息を投げ出して、記憶を懐古する。


「……僕は、自分の人生に折り合いを付けたんだ」


「折り合い……? それはどういう意味なんです?」


「端的に言うと、僕は自分のことがどうでもいいんだ」


 いや、どうでもよくなった、と言うべきか。

 僕は少し訂正をして、語り続けた。


「僕は他の人と価値観が違うみたいで、何をしても否定され続けてきた。偏差値の高い高校を志望した時も、いじめられていた女子を助けた時も、いつだって周りは僕を否定し続けた。だから――もう、何もかもどうでもよくなったんだ」


 美玲の抱擁の力が強くなる。

 結局、いじめられていた同じ教室の女子は転校してしまった。その時は酷く自分の無力さを痛感したものだ。

 合コンで持ち帰りされた話は、なんとなくしたくなかった。


「何を選んでも否定されるなら、いっそ周りに身を委ねようって。僕はそうやって自分の人生に折り合いを付けたんだ。空っぽな心で周りに同調して、誰かの役に立って、使い捨てられていく。でも、それでいいんだ。もう、疲れるのは嫌だから」


 そうして、僕の心は虚無に包まれた。

 まるで白と黒で彩られた世界を傍観するように、僕は人生を過ごしてきた。

 僕は僕を捨てたんだ。


 美玲の喉から掠れた声が発せられる。


「……それじゃあ、私を助けた理由は? 瑞季さんが『僕のようにならないでくれよ』って言ったの、どういう意味なんですか?」


 僕は息を整えてから、口を開く。


「……最初はただ、誰かの役に立つことで自分の存在を証明したかっただけなんだ……でも、美玲と会話を重ねる内に考えが変わったよ」


「………………」


「君は僕とそっくりだった。君を僕の二の舞にしたくなかった。君を僕と同じ道に引き摺り込みたくなかった。君を独りにさせたくなかった」


「………………」


「――美玲に寂しい思いをさせたくなかった。美玲に怖い思いをさせたくなかった。美玲に悲しい思いをさせたくなかった」


「っ………………」


「それが僕の本音だよ……こんな中身が空っぽの僕に言われても、信じられないと思うけど」


 言い終わって、僕は枕に顔を蹲めた。

 果たして、美玲は僕に嫌悪感を抱いただろうか? 幻滅しただろうか? 嫌いになっただろうか?

 怖くて、彼女の顔を直視できなかった。


「……信じますよ」


 美玲は絞め殺すくらい強く抱擁し、耳元で囁いた。


「だって、私の心が瓦解せずに済んだのは、瑞季さんのおかげですから」


「……そっか」


「はい、そうです。だから、必ず瑞季さんの心も私でいっぱいにしてあげます。溢れ返るくらい私で満たしてあげます」


「……ありがと」


「えへへ、どういたしまして」


 美玲は静かに僕の頭を撫でる。

 僕は顔を上げることができなかった。

 なんで、だろう。

 涙が溢れて止まらない。


 こんなにも報われた気がしたのは、いつぶりだろう。


 僕の選択が間違いじゃなかった。

 僕の行いが否定されなかった。

 それだけで、心が満たされた。


「……そろそろ寝ますか」

「うん、そうだね」


 小一時間ほど僕の頭を撫で続けた美玲は、「ふわぁ」とあくびを欠いた。


「おやすみなさい、瑞季さん」

「おやすみ、美玲」


 美玲は目蓋を閉じてもなお、僕の体を抱き締めていた。

 もはや抱き枕の代用かと思い始めてきたが……。

 こんな夜が、ずっと続けばいいのに、と。

 柄にも無く、そんなこと思った。

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