第123話 愛しの我が子 リディアの気持ち

 リディアは一人尋常ではない痛みに耐えていた。

 よく産みの苦しみは鼻からスイカを出すと言われるが、それは異世界人のリディアも同じだった。

 尋常ならざる痛みが波のようにリディアを襲う。


「ううっ! や、やっぱりもう駄目っ! アーニャ、助けて……」


 先ほどは愛する夫に心配をかけまいと笑顔で戦場に送り出したが、本当は来人にそばにいて欲しかった。

 隣で慰めて欲しかった。

 しかしここに来人はいない。

 いつしか彼女の目からは涙が溢れていた。


「リディアさん! 大丈夫ですから! しっかりして! まずは同じリズムで息をするんです!」

「う、うん……。ふっ……。ふっ……」


 アーニャの助言に従い静かに息をすると少しだけ痛みが和らぐ。

 少し落ち着いたところで外からは声が聞こえてきた。


『増員構え! 異形だ! 壁に近づかせるんじゃねえぞ!』


 この声は愛しい夫の声。

 そう、今夜は大規模襲撃スタンピードが起きる夜なのだ。

 森からは数万を超える異形が壁を破ろうと大波のように押し寄せているのだろう。


「ほら、ライト様も頑張ってますよ。リディアさんも負けてはいけません。私がそばにいますから。安心して元気な赤ちゃんを産みましょうね」

「うん……。ありがと、アーニ……。うっ!?」


 ――ズキィッ!


 再び痛みの波が襲ってくる。

 これは出産が最終段階に来ていることを知らせる痛みだった。


「あぁぁぁぁぁっ!? 痛い! 痛いよ!」

「リディアさん! ごめんなさい! 服を上げます!」


 ――チョキッ


 アーニャはリディアの性器の一部にハサミを入れる。

 これは現代でも行われている会陰切開というものだ。

 しかしリディアは陰部を切られたことにすら気づいていない。

 それ以上の痛みの中に彼女はいたからだ。

 そして会陰切開をするには理由がある。


 一つ、赤ん坊が母親の骨盤より大きく産まれにくい場合。

 そして二つ、お産が進まず赤ん坊が苦しくなった場合だ。

 アーニャはかつての主人の家で出産に立ち会ったことがある。

 その際に会陰切開をしないと母子共に命が危ないことも理解している。

 リディアが感じている痛みは普通の出産ではないと判断したのだ。


「クルルル! アーニャさん! 頭が出てきてます!」

「よし! ウルキさん! 潤滑剤をお願いします!」


 ――ドロッ


 ウルキは瓶の中の液体をリディアの陰部に塗り始める。

 地球でいうローションなのだが、この世界では主に出産の時に利用される。

 潤滑剤のおかげで赤ん坊と膣壁の摩擦が軽減された。


「リディアさん! もうすぐです! いきんでください!」

「う、うん……。んんんんんんっ!?」


 しかしリディアがいきむと同時に外からは轟音が聞こえてくる。


 ――ドゴォォォンッ!


『壁が破られた!』

『くそっ! こんなデカイ奴が来るなんて聞いてねえぞ!』

『皆の者! 狼狽えるな! ライトが戻ってくるまでここは死守する! かつて世界を救った魔術、異形に見せつけてくれるわ!』


 村民の悲痛な叫びに続きセタの激励が聞こえてくる。

 異形の襲撃は予想以上のものらしい。 

 無敵だと思われたオリハルコンの壁が破られたのだ。

 来人がいればいくらでも壁は修復出来る。

 だが今のラベレ村はゆうに50万㎡を超えている。

 異形の数は数万を超え四方から襲いかかる。

 壁を破られたのは一ヶ所ではないのだろう。 

 その広い敷地を来人一人で修復するために走りまわっているのだ。


(お願い! みんな今は頑張って!)


 アーニャは祈るようにリディアから出てきた赤ん坊を取り上げようと奮闘する。

 しかし頭が半分出たところで動きが止まってしまった。


(ど、どうしよう! このままじゃ危ない!)


 動きが止まれば産道内で圧迫され続ける。

 これは死産の原因の一つで、例え生きて産まれても障害が残る可能性がある。

 リディアに残された時間は少ないと判断した。


 そこでアーニャが取った行動だが……。


「リディアさん! 可愛い赤ちゃんをライト様に見せてあげなくちゃ! 私達にも元気な赤ちゃんを抱かせてください!」

「はぁはぁ……。うん! 私の赤ちゃん! ミライ! ママ、頑張るから! んんんんんんんっ!」


 リディアは最後の力を振り絞る! 


「出てきました! もう少し!」

「リディアさん! ミライちゃん! 頑張って!」

「んんんんんんんっ!」


 そして次の瞬間、アーニャとウルキの腕には……。


 




















 ――オギャァァァッ





 産声が部屋の中に響き渡る。

 産まれたのは耳の長い女の子だった。


 アーニャは血で汚れた赤ん坊の顔を布で優しく拭く。 

 そして最後にリディアと赤ん坊の最後の繋がりであるへその緒を切り落とした。


「よ、良かったぁ……」

 

 アーニャは赤ん坊を抱いたまま、腰を抜かしてしまった。

 震える手で抱きしめる赤ん坊……ミライはフニャフニャと泣く。

 まだどちらに似ているか判別はつかなかったが、エルフとして産まれてきたことは長い耳を見て分かった。

 

(おめでとうミライちゃん。きっとママに似て可愛い子になるわね)


 ミライはリディアの子ではあるが、愛する来人の血を半分引いている。

 そう思うとアーニャは母としてミライに対する愛情が湧いてくるのを感じる。

 よく妻同士で自分達の子は皆の子と同じだと話していた。

 元々皆子供は好きだったが、ミライは特別に可愛く思えた。

 アーニャはミライの頭にキスをした後に、母親であるリディアのもとに。


「リディアさん、おめでとうございます。可愛い女の子ですよ」

「はぁはぁ……。ミライ……。私とライトさんの子……」


 リディアは震える手を我が子を優しく抱きしめる。

 胸を出し乳首をミライの口元に添わせると、ミライはリディアの母乳を飲み始める。

 リディアは感動のあまり、痛みを忘れてしまう。

 そして人生最大の喜びを感じ、涙が滝のように溢れだした。


『くそ! もう持ちこたえられん!』

『まだだ! 諦めるんじゃねえ!』

『そ、村長はまだ来ないのか!?』

『皆の者! 耐えるのだ!』


 ふと外から声が聞こえてきた。

 アーニャは窓から外を見る。

 外では身長5メートルはあろうかという大きな異形が十体程暴れまわっていた。

 その周りでは村民達が必死に応戦しているが、多くの者が傷ついている。

 魔王セタですら何度も打ち据えられ立ち上がるのがやっとであった。


(ど、どうしよう。今こっちに来られたら……)


 アーニャ一人なら応援に向かうことは出来る。

 これでも彼女はラベレ村では最強の一角だ。

 力だけなら来人に次いで二番目に強い。

 だが今はリディアとミライを守らなければならない。

 

 しかしアーニャは村民とセタを見殺しには出来なかった。

 ここはウルキに任せて私も戦おう。

 そう思った次の瞬間!


「こらー! てめえら、俺の村で好き勝手に暴れてんじゃねえ!」

『ウルルオォイ……?』


 ――ブンッ! ドシュッ!


 一閃。来人が振り抜いた一撃で異形の首が飛んだ。

 来人は戻ってきた。別の場所の壁の修復を終えたのだろう。

 彼は怒りの形相で自分の三倍はあろうかという異形を槍で切り裂き、突き刺し、次々に屠っていった。


(す、すごい……。ライト様ってあそこまで強かったの?)


 我が夫の底知れぬ強さを目の当たりにして驚くと同時に安心感を感じる。

 ここはもう大丈夫だ。

 

「アーニャ、どうしたの……?」

「ふふ、何でもありませんよ。きっともうすぐライト様は戻ってきます。ミライちゃんと一緒にお迎えしてあげましょうね。それまで少し休んでてください」


 リディアからミライを受けとると、彼女は疲れたのか静かに目を閉じた。

 

 アーニャはミライを窓の外で戦う勇敢な父の姿を見せる。


「ミライちゃん、あの人があなたのお父さんよ」

「食らえ! 化物が!」


 ――ドシュッ!

 

 来人の槍が最後の異形を貫き、大規模襲撃スタンピードは終わった。

 



 

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