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……

「眠いな。いくら何でも寝すぎて眠いって、軍人として駄目だろう」

 欠伸を零しながら、原理は廊下を進んでいく。時刻は午前十一時を十分前に過ぎて、すでに昼食を摂るような時間だった。それでも彼は空腹ではなく、これは格闘系の異能者である原理にしては珍しいことだった。

「ん?」

 目的地の病室の前の廊下に、尸遠が寄りかかっている。

 近づいて声をかけると、やあと返してきた。

「遅かったね。ゲン君のことだから、また寝過ごしたんだとは思うけれど」

 しっかり見抜かれていた。

「そうだな。でも遅刻はしてないからいいだろ」

「結果を見るのが普通だからね。この程度で咎める方が狭量だよ」

 なんだか空とよく似たことを言うなあ、と思っていた。思考回路が似ているのだろうか。

「お前だけか、居るのは」

 その質問には「いいや」と首を振った。

「陽絵さんと四方さんが中に居る。あの子に服を誂えてきたみたいだよ」

 服。まあ、杏樹はともかく空は自分で衣服を作れるらしい。あくまで戦闘向けにチューニングした呪術様式だが。それでも普通の衣服が作れないこともないのだろうとは思っていたけれど。

「じゃあ、着替え中か。しばらく待つしかないってことなんだな」

 そういうこと、と返され、原理も尸遠と同じように壁に凭れる。そういえば亜友が来ていないようだったが、別に用事があるのだろうかと考える。

 十五歳で情報処理班主任になっている変わった人物だから、そこに不思議はないけれど。

「でもさー」と尸遠が呟く。「今更覗こうとかしなくったって、ゲン君もうあの子を全部見ちゃってるよね」

「言うな言うな、考えないようにしてたんだ」

 見るというか触れてしまっていたのだから、何とも言えない。仕方ないこととはいえ、原理には多少なりとも思考の端に残ってしまうくらいには刺激のある絵面だったのだ。

 まあ、それでも彼女の長い髪で隠れていたのは好都合だったが。

 尸遠もそれ以上追及してくることはなかった。

 冷静を装っていても、原理だって少年でしかないという、それだけだ。

「こんな往来でそんな話をしないの。品がないなあ」

 いつの間にか亜友が目の前に立っていた。視線が呆れの色に染まっているのが原理にはなぜか辛い。別に自分から振ったわけでもないのになあ、と天井を仰ぐ。

 亜友はそれだけ言って、自分も病室に入っていってしまった。

 俺はいつまで待っていればいいんだろうと思ってしまう。杏樹が指定した時刻は既に過ぎている。彼女が一度提示した時刻に合わせないのは珍しかった。



「こういう時、暇潰しの方法に事欠いてしまうのが悲しい世界だよな」

「君、読書とかしないの? ライブラリにいくらでもあるでしょ」

 尸遠の言うライブラリとは図書館のことではなく、艦のメインサーバーにある書籍データのライブラリのことだった。共有データなのでいくらでも閲覧できるのだが、原理は首を振った。

「とうの昔に飽きたよ。同じものの集まりがあるに過ぎないんだ、パターンさえわかってしまうとあとはつまらないよ」

 確かにねえ、と尸遠は笑った。

「それはしかし、生き急ぎすぎじゃないかい? どれだけ読んだっていうんだ?」

「ログが残ってるだけで五千冊。もう書籍から得るものはないよ」

 その数字に本気で驚かれた。原理が言っているのは小説や漫画のような娯楽作品だけだったが、それだけの読書量は尸遠にはなかった。

 それに加えて色々な実用書も読み込んでいたらしいし、現在と同じ明るくない性格のままで、あの環境を過ごしていた異常性が、どうにも不可解だった。

 原理は十歳の時より前に格闘技術を学んでいたらしいし、濃厚な人生だ。

「改めて驚異的だね、君は」

「そうか? 較べるもんでもないと思うけどな」



「で、話は終わった?」

 その声に視線を向けると、開いたドアから空が半分だけ顔をのぞかせている。いつものように楽しそうに笑っている。

「別にただの雑談だし、気にすることないだろ」

「こういうのはタイミングが大事なんだよ。おいで、準備できたから」

 手招きして室内に引っ込んでいく。それを見てから、二人は壁から背を離した。


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