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……

 デッキはキロ単位で広がっており、一目では端から端までを見渡すことはほぼ不可能だ。

 この艦を狙って襲ってくる異形と戦う際には、中央部の艦橋を中心に陣形を展開している。そうすることで、艦そのものからの転落リスクは格段に減るのだ。

 今夜は晴天。満天に星が煌めいている。

 月は出ておらず、星の灯りだけが視界を埋める様に、原理は吸い込まれそうな錯覚を覚えた。彼の右眼の瞳孔が星を捉えようと収縮する。

「軌道データを見れば、この辺りとは言ったけれど。しかしその確証はどこにもないんだけどさ」

 亜友が困ったように漏らす。確かなデータを基に動くことを原則にする彼女がそういう行動をとること自体、その思考ルーティーンから外れていることを自覚していた。

「まあ、そんなこともあるだろうさ。直観は大事にするべきこともある」

 原理は曖昧に返す。どこか意識が向いていないのは、違うところを凝視するように眺めているからだろう。

「何か見える? 忌方君」

 杏樹の問いに、んー、と返事になっていない声を返す。彼には今感じている予感の言語化が出来ていないような感覚だった。それに対して杏樹ははてと唸る。

(彼はそういう感覚は鋭いはずなんだけれど。異形種ならばすぐに解するだろうし)

「敵、なのかな。濁った気配は判別できないな」

 首を捻る原理。その動きに合わせて彼の首にかかっている鋼鉄のリングがちゃり、と鳴る。

「距離もかなりあるし、相当な存在規模だな」

「見えないのね?」

 端的な問いに、原理はああと答える。艦のレーダーでも捉えきれていない存在を感知できるのは、彼自身の天稟ではあるけれど。それを回避することが出来ない海上では、あまり意味のない才能のような気がしていた。

 杏樹のそんな考えを知らぬ原理は、その感覚など覚悟を決めるための猶予時間くらいにしか捉えていないけれど。

「とりあえず、戦闘準備はしといた方が良いな。相手の間合いが判らないし、どういうレベルの相手なのかも判別できない。……五人じゃあ、厳しいと思う」

 言ったところで、この五人は殆ど武装など持ち合わせてはいないのだけれど。

 格闘系異能者、精神系異能者、呪術師二人、魔術師。

 武器と言える武器を必要とするのは杏樹くらいのものだ。彼女も普段から武器は携帯しているので、準備など今更ではある。

「うーん。霊符の用意はあまりないけど、大丈夫かなあ」

「お姉ちゃん、私の貸そうか?」

 空に対してそんな風に言うけれど、亜友の提案に緩やかに首を振った。

「大丈夫。それは亜友の生命線だから、不用意に受け取るわけにはいかないよ」

 命の責任は負えないから、とともすれば無責任な発言になってしまっているように原理は感じたけれど、しかし自分の命を最優先にすることは、戦闘部隊員全員の共通認識だった。

 そこに他者の意志が介在する余地はない。


 きら、と遠くで赤い光を灯したのを、原理の眼が捉えた。

「何か来る。空中を移動しながら」

 言いさした瞬間、原理の全身にざわりと皮膚の縮むような強烈な悪寒が走り抜けた。耳の奥で、ごうと重い音が響いたような気がしたけれど、それが何なのかはわからない。

 その感覚が引いていくと同時に、艦の上部で警報音が鳴る。艦のソナーでも異形の存在を検知したようだった。

 原理はポケットから骨伝導イヤホンを取り出し、装着する。通信機能を使い、司令部の情報が入ってくるように設定されていた。

「迅い!」

 吃驚しながら、捉えた相手に向かって原理が全力で甲板を踏み切った。

 真っ直ぐに突っ込んでくる異形の頭部に向かって蒼く輝く右拳を撃ち込もうとして、タイミングを外してしまう。

 がつ、と音を立てて大きく後方に弾き飛ばされる。ウェイトで勝る異形の存在が彼を払いのけると、その後方で構えていた空の両手に煌めく碧い爪が奔る。

「碧天牙刃・乱閃!」

 空気を切り裂いて真っ直ぐに進んでいく刃を、しかし異形は大きく上昇することで躱してみせた。反射と切り返しがあまりに速い。あっさりと空のリーチからは外れてしまった。

 それでも、杏樹の左手に握られた拳銃の射程からは外れてはいないけれど。

 連射される白い閃光を受けて、赤く光る眼が、杏樹に向いていた。

「……………」

 しかしそれを受けても彼女は怯むことがない。その精神が図太いということではなく、そういう異能を使っているだけの話だった。

 銃をホルスターに戻し、右手で柄だけの刀を抜いた。刀身が霊力で構成される携帯武器は、杏樹の戦闘スタイルにはしっくりと合っているのだ。

「――斬天」

 ぴし、と音を立てて目の前の空間を断ち切る。

 異能を使わない戦闘技術は、彼女が最も優れているだろうが、それでも異形には届かない。

 刹那の一閃ですら、躱されていた。

 異形がその背に備える赤黒い翼を広げる。そこにライムグリーンの光が灯り、翼を起点に暴風が巻き起こる。

 空と杏樹はその風に圧されて後退する。半分吹き飛ばされてしまったような感じではあるが、それでも体勢を崩すような惰弱さは持っていない。

 空中に居る異形を狙って直下から跳び上がる原理が、異形の胴体の中心に生える太い腕を右腕で捉えた。

 めきり、と双方の腕が軋む。

「ぐっ……!」

 蒼い光を散らして落下していく原理に意識を向けさせて、その背後に高速で跳び上がった亜友が回り込んでいた。

「翼を貰うよ、これは厄介だからね」

 白い光の筋が走る両腕で異形の翼を掴む。そのまま体重をかけながら圧し折ってしまおうと考えるのだけれど、その翼の骨は鋼鉄と思えるほどに硬かった。

「うぐぐぐぐ……」

 異形が疎ましそうにぎいぎいと軋るような声を発する。そのまま翼を羽ばたかせずに上昇し、亜友を風圧で振り落とす。落下しながら空中で姿勢を直し、舞い上がる異形を睨めつける。そんなことには構うことなく、異形はどす黒い殺意を撒き散らす。

 それを阻害するように、周囲の海面から無数の氷柱が異形に向かって伸びあがっていく。

 尸遠の魔術だった。氷を操る彼の術式は、周囲に無尽蔵の水が存在する海においては圧倒的に有利に働くのだが。

「如何せんスピードで劣るからな……」

 個体を相手にすると不利ではあった。

 迫りくる氷柱を異形は難なく躱し、それを足場に登ってくる原理の姿を視界に収めた。

 というか、それこそが原理と尸遠の組む意味ではあるのだ。氷を足場にした立体的な動きを、空中で飛び回る異形相手に使うことは、果たして的確なのかは判らないけれど。

 かんっ、と踏み切って。

 跳躍した原理は直線軌道で異形に近づく。全身の力を強化する異能が、彼を強力な異能者に仕立て上げている。

「斬り込み役として、仕事は果たさないとな」

 副隊長でありながら先陣を切る、その役割は全部隊の中でもかなり特殊ではあったが、しかし彼はそこに対して疑問はなかった。それこそが自分の役割だと知っているから。

 異形は周囲の氷柱を避けながらさらに昇っていく。その複雑さに最大速度は出せておらず、それなら原理の速度でも追いきれるものだった。

「捉えた!」

 右手が、異形の脚を掴む。巨大な鳥を模した異形の脚部には鋭い爪が生えているが、そこをすり抜ける手が脚の付け根に伸びていた。

 異形が吼える。大音量の重低音に脳が痺れるが、そんなことで意識を切るほど原理も常人ではなかった。

 身体を回転させて左足で喉を蹴り上げる。

 がぼ、と奇怪な音を立ててその口から黒い血が弾け飛ぶ。しかし、それだけで。

 意識を逸らしても次の瞬間には黒い殺意が自分に向いている。

 それでいい、と原理は笑った。

 異形がその嘴で原理に噛みつこうとする一瞬前に、その首が真横から伸びる氷に縛られる。

「ひひ」

 尸遠の氷が異形の意識に空白を作る。

 原理の右耳からは、すでにカウントが聞こえていた。

 勝負を急ぐ気はなかったけれど、しかし動きを止める瞬間はどこかで必要になる行動でしかなかった。

「ゲン!」

 呼ぶ声に合わせて異形から手を放す。その離れた瞬間に、デッキから飛んできた亜友に体躯を抱えられ、その場を離脱する。

 抵抗する異形の手足に杏樹の銃弾と空の碧天牙刃が減り込む。異形であっても生きていれば、霊力による攻撃は有効だ。

 カウントゼロ。

 デッキ中央にそびえる砲塔から、真白いレーザーが撃ち出される。

 人間にはどう頑張っても出せない出力の攻撃は、しかしタイミングが重要なのだった。

 夜を裂く霊力の光が異形を呑み込んで、その体躯を融かしていく。人間では耐えきれず、そして異形ですら形を保てないその光の奔流に、周囲の氷までも吹き飛ばす。

 デッキに戻ってきた原理は、その光の中に何かを見つける。異形の身体から吐き飛ばされ、海に向かって放物線を描いて落ちていく何か。

 それが何なのかを知ることは、原理の視力が無ければ不可能だった。

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