第10話 いやな予感は続きます
薄闇のなか、五尺刀を手に美子は草木をかき分けて進んでいく。
「グギャ!?」
「ゲギャギャ!」
聞き慣れた喚き声が聞こえた。
ただ、目に見える場所よりも遠くから聞こえたような、そんな印象を受けた。
単純に距離が離れているというより、あいだに薄い壁を一枚隔てたような感覚、というべきか。
緑人鬼は全部で5匹だった。
美子の存在に気づいた緑人鬼たちは、警戒するように身構え、互いに声を掛け合っていた。
そこへ美子は一気に駆け込む。
「ふっ……!」
一番手前にいた個体に肉薄し、刀を振り抜くと、首がひとつ飛んだ。
長大な五尺刀を軽々と振る美子の姿に、賢人は目を見開く。
「ギギャーッ!」
そこへ、仲間を殺されて怒り狂った別の個体が、耳障りな叫び声とともに飛びかかったが、美子はそれを紙一重でかわし、すれ違いざまに斬り上げる。
彼女たちのまわりを取り囲む木々の合間を縫うように銀色が一閃し、2匹目は逆袈裟に両断された。
「はっ……!」
刀を振り上げた美子は舞うように身体を
「グボゴォッ……」
次の瞬間には、3匹目の喉が貫かれていた。
「美子さん、強いな……」
美子は流麗な動きで緑人鬼たちを翻弄していた。
実戦経験が豊富でかなりの使い手と思われるルーシーやバートにも、引けを取らない動きだった。
なにより、草木などの障害物が多いなかで、あの長大な五尺刀を振り回せるというのが驚きだった。
彼女は、こういう場所での戦いに、よほど熟達しているらしい。
もし賢人に敵の姿が見えなければ、剣舞を待っているように見えただろう。
異常のある地域で、なにかの儀式をおこなうのが彼女の仕事と、勘違いしたかもしれない。
「シッ……!」
そうこうしているうちに、美子は緑人鬼を全滅させた。
「終わったのか」
まるで自分に言い聞かせるかのように賢人がそう言ったのは、あいかわらずあのいやな雰囲気が残ったままだったからだ。
(そもそも、ゴブリンが原因なのか?)
たしかにこちらの世界に魔物がいるというのは異常事態ではあるが、かといってゴブリン程度にあれほどのいやな感じを受けるだろうか?
この世界に存在しないはずのゴブリンを見て、無理やり自分を納得させただけではないのだろうか。
「賢人くん、終わったよ」
彼女はそう言いながら、五尺刀を鞘に収める。
あの長い刀を器用に扱うものだと感心しつつも、悠然とした足取りでこちらへ向かってくる美子の姿に、賢人は強烈な不安を覚えた。
「美子さん、早く帰りましょう」
「ん、ひとりでさみしかったかな?」
そう言ってからかうような笑みを浮かべる美子。
いやな雰囲気は、まだ続いている。
「そうです! ひとりでさみしかったんです! だから、はやくここから離れましょう!!」
「おいおい、どうした、すごい剣幕だぞ?」
首を傾げながらも少し小走りになった美子の背後でなにかが動いた気がした。
(なにかいる……? いや、ちがう……!)
彼女の背後でなにかが動いたわけではなかった。
その向こうに生い茂る草木、というより、背景そのものがブレたように見えたのだ。
その瞬間、賢人は背筋に寒いものを感じ、全身に汗を滲ませた。
極度の緊張のせいか、鼓動が速くなる。
「賢人くん、なにを見て……」
賢人の視線が自身ではなくその背後に向けられていると悟った美子は、小走りに駆け寄りながら振り返った。
その瞬間、景色が大きく歪む。
「なっ……!?」
突然の出来事に、美子の足が止まる。
そして間もなく、景色の歪みが収まり、そこに大きな人影が現れていた。
「バカな……なぜ、こんなものが……」
口から漏れた美子の声が、震えていた。
賢人は突然現れた存在に息を呑み、目を大きく見開いている。
「ぐるる……」
低いうなり声をあげるのは、2メートルを超える巨漢だった。
赤銅色の筋肉質な身体に、見る者を怯えさせるような凶相、そして頭から生える2本の角。
「
美子は絞り出すようにそう言ったあと、ちらりと賢人のほうを振り返った。
そして呆然と立ちすくむ彼の姿を認めるや、彼女は柄に手をかけ、赤鬼と相対するように低く構える。
「賢人くん、逃げろ!!」
彼女はそう言うと即座に抜刀し、赤鬼のほうへ踏み込んだ。
鞘から抜かれた刃が、赤鬼の脚を捉える。
「がぁ……!」
ふくらはぎを狙った斬撃だったが、それを察知したのか、赤鬼は咄嗟に膝を落とし、膝頭を外に向けて刃を受けた。
「くっ……!」
斬撃をはじき返された美子が、構えを崩す。
彼女の初撃は敵の膝にかすり傷をひとつ負わせるに留まった。
「うがぁ!!」
受けた痛みを不快に思ったのか、赤鬼はうなりをあげて拳を振り下ろす。
「ちっ……!」
初太刀を返されてバランスを崩していた美子だったが、かろうじて身体をひねり、それを紙一重でかわす。
その際、視界の端に、あいかわらず呆然とたたずむ賢人の姿を捉えた。
「賢人くん、なにをしている! はやく逃げるんだ!!」
再度名を呼ばれた賢人はようやく我に返った。
見れば、美子と赤鬼とが激しい攻防を繰り広げている。
彼女は赤鬼の攻撃をかわしながら、隙を見て刀を振っているが、どれも踏み込みが浅く、かすり傷を量産するにとどまっている。
「くそ……冒険者が情けない!」
賢人は自分に言い聞かせるようにそう言って、軽く頭を振った。
こちらの世界で、思わぬ敵と遭遇したことに、つい呆然としてしまったことを恥じる。
ただ、落ち着いてしまえばやるべきことはわかっていた。
「ふぅ……!」
彼は少し大きく息を吐いたあと、腰に差した短筒に手を回す。
美子を相手に暴れ回る赤鬼を見据えながら、姿勢を正し、銃を構えた。
「たのむから、効いてくれよ……!」
立射片手射の構えで撃鉄を半分だけあげるハーフコックポジションにし、狙いを定める。
あいかわらず動き回る赤鬼だが、身体が大きいので狙いやすい。
なにより加護を持つ賢人には〈射撃〉スキルがあった。
外す心配はない。
「すぅ……」
息を吸い、手に持った銃に魔力を込める。
問題ない。
あちらの世界と同じように、短筒へと魔力が流れ込んでいくのを感じる。
充分に魔力が込められたことを感じ取った賢人は、撃鉄を完全に上げ、引き金に指をかけた。
「くらえっ」
――バスッ! バスッ!
銃口から放たれた光弾が、赤鬼に向かって高速で飛ぶ。
「うぐぁぁっ!?」
1発目は肩に、2発目は胸に命中し、赤鬼は悲鳴を上げて仰け反った。
「よしっ!」
命中した部分の皮膚がわずかにえぐれ、血が流れ出していた。
致命傷にはほど遠いが、あちらの魔物と同じようにダメージを与えられることはわかった。
「賢人くん……?」
赤鬼が仰け反るのと同時に跳び退いて距離を取っていた美子が、呆然と賢人を見る。
「君は、いったい……」
美子が小さく呟いたが、その声は賢人には届かない。
「ぐるる……」
態勢を立て直した赤鬼は、うなり声を上げながら賢人を睨みつけた。
「完全にタゲられたな」
賢人はその威圧的な視線を受け止めながら、苦笑を浮かべる。
「さて……」
敵がまだこちらを警戒して動かないと見た賢人は、短筒の狙いをつけたまま軽く膝を落とし、足下に置いた防災バッグからシガレットケースを取り出した。
それを片手で器用に開け、未使用のミントパイプを取り出して吸う。
「ふぅ……」
あちらにいたときほどの効果はないにせよ、気持ちが落ち着くのを感じる。
「レッドオーガ相手にどこまでやれるかな」
恨みがましい視線を向ける赤鬼を見据えながら、賢人は撃鉄をハーフコックポジションに戻し、短筒に魔力を込めた。
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