第三章

第1話 本当に実家まできたみたいです

 例の雑木林から自動車を走らせて家に帰り着いた賢人は、防災バッグを肩に担いで玄関の戸を開けた。


「あら、おかえり賢人」


 ドアが開け放たれているせいで、玄関を入ってすぐに居間の様子が見て取れた。

 玄関に背を向けるかたちで座っていた姉が振り返り、賢人を出迎える。

 その奥に、スーツ姿の凜々しい女性の姿があった。


「やあ、おかえり。おじゃましているよ」


 言うまでもなく、天川美子その人だった。

 彼女はメッセージにあったとおり、本当に石岡家を訪ねてきたようだった。


「あ、うん。ただいま、ねえちゃん。あと、いらっしゃい、天川さん」


 ふたりの出迎えに、少し戸惑う様子を見せながらも、賢人は応えた。


「っていうかアンタ、お客さん待たせてどこほっつき歩いてたのよ」

「いや、それは……」


 どう答えたものかと思案する賢人だったが、その前に美子が口を開く。


「いえ、違うのですよ。私が約束もなしに突然訪ねてきたのであって、賢人くんは悪くないのです」

「あらそうですか? にしても……」


 一度きょとんとして美子を見た姉だったが、すぐ賢人に目を向け、表情を険しくする。


「アンタここ何日もどこ行ってたのよ? おばあちゃんの見送りにも来ないで」

「ばあちゃんの見送り? ちょっと待って、何のこと?」

「旅行よ、旅行」

「旅行?」

「なに、アンタほんとに知らないの?」


 聞けば祖母は、知人数名とともに豪華客船での長期旅行に出かけたという。

 洋上ではどうせ通じないし、せっかくだから世俗のことは忘れたいと、携帯電話の類も持っていないのだとか。

 一応緊急時には旅行代理店を通じて連絡は取れるらしいが、できればやめてくれと念を押されているようだ。


「いや、いつ帰ってくるんだよ?」

「さぁ、世界一周とかいってたから、半年だか1年だか、そんな感じだったと思うけど」

「そんなに!?」

「だってほら、旅行会社もフェリー会社も大変だったじゃない? だからここぞとばかりにいろんなプラン立てて、お客を取り戻そうと必死なのよ」

「はぁ……そっか……」


 できれば祖母に話を聞きたかったが、どうやらそれは叶わないらしい。

 緊急事態と称して連絡をとれなくもないが、そこまでするほどのことかどうかも判断に困るところだった。

 というか、あの祖母のことなので、賢人からの連絡は受け付けない可能性も高いだろう。


「ふぅ……しょうがないか」


 そんなわけで賢人は、祖母に事情を聞くのは後回しにすることにした。


「で、結局アンタはどこに行ってたのよ? おじいちゃんの形見のスーツまで引っ張り出してさ。就活でもしてたわけ?」

「いや、これは……」

「おばあちゃんは気にしなくていいって言ってたけどさ、そりゃ気になるわよ」

「あー、その、またいろいろ落ち着いたら、話すよ、うん」

「ふーん……」

「あの、ところでさ、なんで姉ちゃんがいるの?」

「なんでって、家の掃除やらなんやらが必要でしょうが。そんなの賢人にやらしときゃいいって言ったんだけど、アンタは留守がちになるからっておばあちゃんに頼まれたのよ」

「そ、そうなんだ……」


 姉に対する申し訳ない思いとともに、祖母への疑問が湧き起こる。

 やはり、彼女はなにかを知っているのだろう。

 だが、いまは確認できそうにない。


「まったく……あたしが来たおかげで美子さんは待ちぼうけを食らわずに……」


 姉はそこまで言うと、慌てて美子のほうを見た。


「ごめんなさいね、美子さん。用があるのにあたしばっかり話しちゃって」

「ああ、いえ。かまいませんよ」


 恐縮する姉にそう告げたあと、美子は賢人を見て、軽く眉をひそめた。


「そんなことより賢人くん、随分疲れているようだが、大丈夫か?」

「そういやアンタ、なんだかくたびれてるわね」

「ああ、いや、別に」

「なんというか、長期の出張から帰ってきたような、そんな様子だぞ?」


 言われて始めて、賢人は自身の疲労を自覚した。

 あちらでいたころは適度に休息を取っていたが、それはそれとして積み重なる疲れがあったのかもしれない。


「私は急がないから、少し休んではどうかな」

「……そうですね、そうします」


 賢人は帰ったら祖母に話を聞こうと思っていた。

 だが、いざ帰ってみれば肝心の祖母はおらず、かわりに美子がいるというよくわからない状況だった。

 事態を飲み込むためにも、少し時間が欲しかった。


「そ。じゃあそれ、脱ぎなさい」

「え?」


 居間を出ようとしたところで姉に呼び止められ、そう告げられた。


「おじいちゃんのスーツ、クリーニングに出しといたげるわよ」

「いや、でも……」


 いきなりの提案に戸惑いながら、賢人はちらりと美子を見た。


「あら、お客さんの前で失礼でしたね」

「いえ、私は気にしませんので」


 そう言われても、さすがに客人の前に下着姿になるわけにもいかない。

 賢人は姉に促され、居間を出た。


「それじゃあ美子さん、自分の家だと思って、くつろいでいてくださいね」

「ええ、お世話になります」


 姉は最後に美子と挨拶を交わし、居間を出てドアを閉めた。

 賢人は観念したように息を吐くとネクタイを外し、スーツとベスト、スラックス、そしてシャツを脱いだ。

 その際、ジャケットの内ポケットに入れていたシガレットケースは取り出し、防災バッグに入れておく。


「へええ、アンタってけっこういい身体してんのね」


 Tシャツとトランクス、靴下のみという格好の賢人を見て、姉が感心したように呟く。

 言われてみれば、下着が少し窮屈になったように感じた。

 半月ほどとはいえ、異世界の草原や森、ダンジョンを歩き回ったおかげだろう。

 レベルアップはあくまで能力補正のみなので、身体のつくりには影響しないはずだ。


「あ、忘れるとこだった。れいみょうしゆ、アンタの部屋に置いてるわよ」

「霊妙酒って、あの?」

「そう、あの」


 霊妙酒とは十数種類の生薬を配合した薬酒であり、古くから滋養強壮剤として親しまれている商品だ。

 石岡家には昔から常備されており、賢人も愛飲していた。

 家を出てからも、ふと薬局で見かけたときに買い、疲れたときなどに飲んでいる。

 五芒星をベースにした無国籍なロゴマークが妙にカッコいいなと子供心に思ったことが、ふと頭をよぎる。


「なんでまた?」

「なんでっていわれても、おばあちゃんが、言えばわかるって」

「言えばわかる?」

「なんだったかな……たしか、バッグに空きができたんなら入れといたらどうかって」

「ああ」


 そのひと言で、賢人は祖母の言わんとするところをなんとなく察した。

 バッグとは例の防災バッグであり、あれに入れろということは、おそらく異世界に持っていけということなのだろう。

 水やようかんのように、なにかしらの効果があるに違いない。

 こうなると祖母の不在が本当に悔やまれる。


「なんだかよくわかんないけど、伝えたから」

「ああ、うん。ありがとう」

「それじゃ、くれぐれも失礼のないようにね」


 それだけ言い残して、姉は帰っていった。


「さて……」


 さすがにこの格好で美子の前に出る勇気はない。


「天川さん、またあとできます」

「ああ、気にせずゆっくり休んでくれたまえ」


 ドア越しに言葉を交わしたあと、賢人は防災バッグを片手に部屋に入った。


「これか」


 部屋の片隅に、霊妙酒の瓶が置かれていた。

 ケースからは出されているが、未開封のようだ。


「入るかな?」


 あちらの世界で消費したぶんとは別に、ペットボトルの水やようかんのいくつかをルーシーに預けていた。

 賢人がいないあいだのダンジョン探索で、なにかあったときに使ってもらうためだ。

 そのおかげでバッグには充分に空きがあり、1000ミリリットルの瓶に入った霊妙酒を、問題なく収めることができた。


 それから賢人は、バスルームに入ってシャワーを浴びた。

 あちらではもっぱら浄化施設を使ったので、こうして湯で身体を洗い流す感覚が懐かしい。

 できればゆっくりと風呂に浸かりたいが、さすがに美子を待たせたままというのも申し訳ないので、軽くシャワーを浴びるだけに済ませた。


(そういや、あっちにも風呂ってあるのかな)


 思い返せばそんなことを考える余裕もなかった。

 一度ルーシーに聞いてみようと思いながら、賢人は身体を拭き、下着を身に着けた。

 それから部屋に戻り、ジャージを着て床に寝転がった。


(ひとやすみしたら、天川さんのところにいかないとな)


 そう思いながら目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出す。


 ほどなく、彼は寝息を立て始めた。

 どうやら自分で思っていた以上に、疲れているようだった。


――――――――――

本日より書きためている分を毎日更新します。

三章の途中までですが、キリのいいところまでは更新できるかと思います。

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