幕間

幕間 爆発事故の調査報告

 警視庁のとある一画。

 あまり人の行き来がない場所に、資料係はあった。


 室内にはその名に恥じぬよう、膨大な数のファイルが保管されている。

 ただ、一見して年代物と思われる紙資料が並ぶさまは、情報のデジタル管理が進む昨今にあっては、むしろ違和感があった。


 室内の作業スペースで、天川美子はひとつのファイルを開いていた。

 彼女は資料に目を落としたまま、電子タバコを咥えて大きく息を吸う。


「……ふぅ」


 そして不機嫌そうな表情のまま、薄い煙を吐き出した。


 庁内は全面禁煙だが、美子はこの室内でのみ電子タバコの利用許可を勝ち取っていた。

 そんな彼女の背後から、近づく者がいた。


「センパイ、またあの爆発事故の資料見てんッスか?」


 そう言って彼女の見る資料をのぞき込んだのは、美子の後輩である東堂だった。

 長身でそれなりの体格を持つ、好青年だ。


「ああ、ちょうど消防から調査報告書があがってきてな」

「あ、そういや見たことない現場写真ッスね」


 東堂が資料に興味を持ったようなので、美子は彼にファイルを手渡した。


「何か気づくことは?」


 少し間を置いて、美子が尋ねる。


「そッスねぇ……とりあえず店のど真ん中で爆発が起こったってのは、最初の報告どおりッスね」

「そうだな。ほかには?」

「んー……改めて見るとえげつないッスね。床はがっつりえぐれてるし、頑丈そうなテーブルやら椅子やらが、粉々になってるじゃないッスか。天井にもでっかい穴が空いて……。それに、このプロパンガスのボンベもべっこりへこんで……って、あれ?」


 そこで東堂は顔を上げ、美子を見た。


「ちょっと待ってくださいッス。原因は、プロパンガスの爆発ッスよね?」

「そういうことにはなってるな」

「じゃあ、このボンベはなんッスか?」

「というか、そもそも店の中央にガスボンベを置くやつがあるか?」

「ありゃ、ってことはセンパイ、最初っからあやしんで……それでちょこちょこ資料を見てたんッスね?」

「いや、普通に考えればわかるだろうに。だから現場の指揮官もいの一番に我々へと連絡してきたのではないか」

「へへ、すんませんッス」


 あまり悪びれる様子もなしに軽く謝る後輩に、美子はため息をつく。

 そして、電子タバコをひと吸いしたところで、ふたたび東堂に目を向けた。


「それで、ほかに気づいたことは?」

「ほかにって言われても……店の真ん中でなにかが爆発したってのは、間違いなさそうッスけど」

「なにが爆発したのだろうな?」

「なにがって……不発弾とか?」


 そう答えながらも、東堂はそれが間違っていることを自覚していた。

 もしそうなら、自分たちのところに話が来るはずはないのだ。


「原因は、爆発かな?」

「いや、なにかが爆発でもしないと、こんなひどいことには……」


 そう言われてもう一度現場写真を見た東堂は、強烈な違和感を覚えた。

 爆発現場にはあるべきなにかが、足りない。


「あっ……! なんつーんッスかね、その、ガスにしろ爆弾にしろ、なんかが爆発したんなら、こう、もっと焼けたりしてないとおかしいんッスよね?」


 その答えに、美子は軽く頷いた。

 ガスや火薬、その他可燃性の物質が爆発した場合、粉々に吹き飛んだテーブルや椅子は、焼け焦げているはずなのだ。


「そういうことだな。つまり爆発とは別の理由で、衝撃波が発生したと思われるのだ」

「なるほど……」

「あと、こっちを見てくれ」


 美子はそう言うと、穴の空いた天井の写真を差した。

 穴からは、無残に引きちぎられたケーブルが、何本も垂れ下がっていた。


「この上にはオフィスがあるのだが……」

「オフィス? ああ、そういやここ、センパイのがいる――いてっ!?」


 美子を軽くからかおうとした東堂の顔に、小さな衝撃が走った。

 視界の端でなにかが落ちるのが見えたので下を向くと、床には電子タバコの吸い殻が落ちていた。

 おそらく、美子が指で弾いたのだろう。

 美子は、なにごともなかったかのように話を続けた。


「このオフィスの電子機器が、すべてダメになっていたようだ」

「ダメにって、この衝撃でッスか?」

「いや、物理的な衝撃を受けて故障したのはほんの一部だけらしい。だが、オフィスほぼすべての電子機器が、まるで強力な電流を流し込まれたかのように故障してしまったようだ」

「ほぼ?」

「ああ。たとえば電卓や、置きっぱなしにしていたスマートフォンなどは無事だったが、充電ケーブルをつないでいたものはダメだったようだな」

「それって、雷が落ちた時みたいな?」


 東堂の問いかけに、美子は小さく首を横に振る。


「それだと、やはり配線のそこかしこに焼け焦げたあとがあるはずだが、それもなかったようだ」

「なるほど……じゃあ、センパイの読みどおりってことで、こいつは無駄にならなそうッスね」


 東堂はそう言うと、小脇に抱えていたバッグから、かなり厚みのあるA4サイズの封筒を取り出した。


「うむ、ごくろうだったな」


 封筒を受け取った美子は、そこから中身を少しだけ引き出す。

 それは、戸籍謄本の束だった。


「これだけの量、大変ではなかったか?」

「なんの。上がひと声かけりゃオンラインでぽちーッスわ」


 事件が持ち込まれた場合、彼らはまず関係者の情報を集める。

 それはべつに犯人捜しをするためではない。

 この手の事件は、とにかく人間関係が深く影響しがちなのだ。

 今回の場合だと、騒動の中心となった中華料理店の従業員や上階のオフィスの社員だけではなく、店の常連や会社の取引先の人員、さらにはその親類縁者にまで調査の手は及ぶ。


「それで、気になる人物はいたかね?」

「何人かいたッスけど、中に特別気になる人がひとり」


 戸籍の束には、いくつか付箋の貼られたものがあった。

 そのほとんどが薄い黄色のものだったが、中にひとつだけ赤の付箋があった。

 美子はその赤い付箋の貼られた戸籍謄本を引き抜く。


「ほう……」


 謄本を目にした美子が、珍しく表情を変えた。


「どうやら詳しい話を聞かなければならないようだな」


 そう言った美子の口元に、小さな笑みが浮かぶ。


 彼女が手にした書類の氏名欄には『石岡イネ』と記載されていた。

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