第36話 聖女

「ちっ、また触手が増えやがった」


厄災の至る所から触手が伸びだし、その数は優に50を超えている。

ガートゥ達もお互い上手く連携して攻撃を凌いではいるが、これ以上触手が増えればいつ決壊してもおかしくはない。


ちらりと彩音の方を見る。


めだった外傷は既になく。

ぱっと見、今すぐにでも起き上がってきそうにも見える。

だが未だに意識を取り戻していないという事は、見えない所にダメージが蓄積されているのだろう。


こればっかりは外見から判断する事が出来ない。


「まだかかりそうか?」


彩音の状況をリン達に尋ねた。

まだ時間がかかるようなら、俺も皆に加勢する必要があるだろう。


「もうほぼ全快状態です」


ティーエさんが回復の手を止めて立ち上がった。

リンも困った様な表情で此方を見てくる。


「ひょっとしたら、以前ドラゴンと戦った時と同じ様な状況なのかもしれません」


カルディメ山脈でドラゴンと戦った時の事を思い出す。

あの戦いの後、傷は完全に癒えていたにもかかわらず彩音は暫くの間意識不明状態だった。


あれと同じ状態ならかなり不味い。

もしそうなら、厄災との戦いで彩音の力は期待できないだろう。


俺は不安から爪を噛む。

彩音があてに出来ない。

それが心細くて、不安で仕方なかった。


「たかしさん……」


リンの不安そうな声ではっと我に返る。


くそっ!

情けない。


俺は両手で頬を勢いよく叩き、気合を入れなおす。

今こうしてる間にも、厄災は触手の数を少しづつ増やし、皆をじわじわと追い詰めていっているのだ。

不安に暮れている場合じゃない。


今までは、彩音さえ起きればどうにでもなると思考停止していた。

俺はそんな甘えを捨て。

冷静になって頭を働かせ、考える。


今戦っているのは覚醒した5人。

そしてその5人相手に厄災はまだ本気を出してはいない。

それどころか、俺には弄んでいる様にさえ見える。

この状態でリン、俺、覚醒したティーエさんが加わったとして果たして勝てるだろうか?


……うん、絶対無理。


やはり厄災を倒すには彩音の力が必須だ。

そうなると取れる手は一つ。


とんずらあるのみ!


俺は天井を見上げる。

今の俺なら天井をぶち抜いて49層への道を作るのはそれ程難しくないだろう。

そして全員で何とかして上に退避し、転移魔法でおさらばする。

無詠唱の今なら戦いながらの転移も楽勝だ。


「たかしさん、待ってください」


俺が翼を羽搏かせ、飛び上がろうとした瞬間ティーエさんに呼び止められる。


「逃げるのは最後の手段にいたしましょう。万一厄災が逃げた私達を追って地上に出た場合、帝国の首都は間違いなく壊滅する事になってしまいます」


首都壊滅か……

確かにそれは避けたい。


だが所詮、見ず知らずの赤の他人の命だ。

自分達や仲間達との命とでは、天秤にかけるまでも無いだろう。

それがどれ程甚大な数になろうとも。


そしてそれはティーエさんも基本同じ考えの筈。

そのうえで止めたとなれば……


「何か考えがあるんですか?」


「私はこれでも聖職者の端くれです。今の私では力及ばず、彩音さんを目覚めさせる事ができません。ですがたかしさんの助力が有れば、可能性はあるはずです。どうか私を覚醒させて下さい」


成程。

確かに、純粋な回復職であるティーエさんがヒーラーとして覚醒すれば、可能性は十分にある。

俺が逃げ道を作るのは、それを確認してからでも遅くはないだろう。


「わかりました」


そう答えると俺は彼女に手をかざし、ティーエさんを覚醒させた。

彼女の肉体が輝き、そのシルエットが少しだけ大きくなる。


ティーエ・アルバート

クラス:聖女


「…………」


思わず息をするのも忘れ、じっと彼女に見入ってしまう。

ティーエさんの外見的変化は僅かだ。

ほんの少しだけ歳をとった、ただそれだけの変化。


だが……美しい。


元々凄く綺麗な顔立ちだったが、そこに憂いや大人の色気の様なものが加わり。

正に絶世の美女と言って差しさわりないレベルとなっている。


少し幼さを残していた体型も、すらりと手足が伸び。

胸元も以前の細やかだった主張とは違い、これでもかとローブを押し上げその存在感を大きくアピールしていた。


元々100点満点に近い見た目だったが、メーターを振り切るっていうのは正にこの事だろう。


ティーエさんは自分の変化を一通り確認した後、彩音に手をかざす。

するとその手からは線状の光が放たれる。

彼女が手を動かすと、それに合わせて光の線がゆっくりと彩音の頭からつま先までをなぞっていった。


「どうやら意識不明の原因は、生命力が大きく低下しているからのようですね」


「生命力?」


「はい、命の炎とも呼ぶべきものです。恐らくは、圧倒的力ジャガーノート当たりの影響かと」


彩音は圧倒的力ジャガーノートをコントロールできるようになったと言っていた。

それは裏を返せば限界まで力を引き出せるという事だ。


無茶をして命をすり減らしたせいで意識が戻らないって事か。

俺達を逃がすために……


「そんな深刻な顔をしなくても大丈夫ですよ」


「それじゃあ!」


俺の言葉に答える代わりに、ティーエさんは呪文を詠唱し始めた。

彼女の周りに球形の輝く魔法陣が展開される。

陣に浮かぶ紋様はその様相を目まぐるしく変化させ、その動きが止まった瞬間、大きく光り輝いた。


天使の施しエンジェリック!」


ティーエさんの胸元から光る何かが飛び出し、宙に浮かぶ。


それはとても暖かい光りだった。

見ているだけで心が癒されるような、そんな温もりを感じる光。

ティーエさんが彩音へと手をかざすとその光は彩音の中へと吸い込まれ、彩音の全身が光に包まれる。


「これで……目を覚ます……はずです」


ティーエさんの息は荒く、その表情は辛そうだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


ふらつき、倒れそうになる彼女を咄嗟に支える。

その際胸が腹部にあたり、その感触とボリュームに思わずとおお!となってしまう。こんな非常時でも反応してしまう自分が悲しい。


「貴様たかし!姉上から離れろ!!」


ティータが離れた場所から怒鳴り声を上げた。

必死に戦っている最中だろうに、よく気づいたものだと感心する。


「ティーエさん、大丈夫ですか」


と、彼女に声をかけるよりも早く。

リンがティーエさんを俺からもぎ取ってセリフを奪う。


ふらついている人間を無理やり奪い取るとか、リンには後で説教が必要だな。


「大丈夫ですよ。只彩音さんに私の生命力を分けたため、少しふらついてしまっただけですから」


大丈夫だとだとは言うが、だがその顔色は明かに青い。

その辛そうな表情から、相当な量を彩音に注いでくれた事が分かる。


「助かったよティーエ。この借りは必ず返す」


背後から聞こえる懐かしい声。

俺はその声に振り返る。


「眠り姫じゃあるまいし、いつまでもグースか寝てんなよ!」


「ああ、ぐっすり寝たぶんは働くさ」


そう言うと、彩音は白い歯を見せてニカっと笑う。

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