七 荒れ狂うもの

八十 惑わすもの

 白星が伊勢湾を制してより、一月あまり。


 巨大亀の頭骨を御神体とした神社を新たに興し、その周囲へ大黒屋の主導の元、漁港を建てるという計画は順調に進んでいた。


 神社の御利益は豊漁と海運安全を掲げ、集った漁師の信仰を篤く集める事となった。

 無論、その信心は龍穴を通じ、全て白星の力と変わる。


 即ち漁港が賑わえば賑わう程、白星の力は増す一方。熊野と同じやり口である。

 相も変わらず、狡猾にして円満な縁の築き方であった。



 漁港の建設中、視察に来た帝都の使者には健速扮する大黒屋が対応し、相応の賄賂を握らせて、この地にある程度の自治権を勝ち取った。


 使者としても、代わりに領地を仕切ってくれる上に、税まで納めて貰えるとあれば渡りに船。互いに損のない取引であったろう。


 しかし、旅の術師との面会を強く求めた使者の追及は頑として誤魔化し、伊勢にはすでにおらず、行方はようとして知れぬと健速は言い張った。



 これも白星の策の一つである。



 今回の戦にて派手に力を振るった白星は、己が復活した事を敵方も察知したであろうと踏んでいた。


 故にそれを逆手に取り、此度の動乱は、遊歴しつつ各地で騒ぎを起こす前触れだと思わせる事を選択したのだ。


 使者としても、表向きは謝礼をしたいと言い募るものの、それは所詮建前でしかなく、深く追求することはできなかった。


 何故そこまで旅の術者にこだわるのかと問われて、始末し損ねた者かも知れぬ、などと言えようはずがないからだ。


 旅の術者は、あくまで謎の人物のまま伊勢を発った。

 こう報告する他あるまい。


 解釈は様々。

 今だ伊勢に留まり気を吸い上げているか。

 それとも漁港を囮に他の地へ逃れたか。


 帝都での議会にて、しばしの攪乱となることを見越した対応である。




 そしてその内容の一部、伊勢の地を発ったのは事実でもあった。


 健速らが伊勢の開発を進めて帝都の注目を引いている隙に、白星達一行はとうに東へ抜け、土蜘蛛八十女の支配地へ向かっていたのである。



「──いやあ、すげえ久しぶりに帰ってきだみでえに感じるなあ」


 懐かしい馴染みの風景に、打猿が目を細めている。


「そうだな。熊野でも伊勢も色々あっだし、みんなに土産話沢山でぎたぞ」


 同意する国麿も、味方の陣地が近いとあって、気が緩んでいる。


 一行は八田、五馬と並び立つという女傑、あをしろという姉妹が治める地と、目と鼻の先まで進んでいた。


 彼女ら一族の住処は、この地では知らぬ者のないという大きな湖の近くにあるという。


 流れ込む支流も多く、現に一行も緩く流れる大河の側を歩んでいるのだった。


「この川を下って行けばもう着くぞ。案内がいらなぐて楽な旅だったなあ」

「ここらの川は全部琵琶湖に通じでるからな。目を瞑ってても帰れるぞ」

「お二人とも、敵地を抜けたとはいえ、気を抜き過ぎでは? こうしてのんびりしていられるのも、白星様の隠形あっての事をお忘れなく」


 たるんだ土蜘蛛兄弟に活を入れるべく、福一が釘を刺す。


「直轄地からは離れましたが、巡回の兵はまだあるのでしょう?」

「ああ。少し前までは、しょっちゅう鹿島の兵が睨みを利かせにきでだなあ」

「でもな、ここ最近はとんと見なぐなっだようだと五馬様が言ってたぞ」

「ほう? いつの間にそのようなやり取りをしよった」


 川の流れを眩し気に眺めていた白星が、不意に興味を持って尋ねる。


「ありゃ、言っとらんがったか? 大黒屋の面子と一緒に、人に近い姿の土蜘蛛の若い衆も混ざっで伊勢に来たんだぜ」

「五馬様と大黒屋が手を組んでな。土蜘蛛は漁港の仕事を手伝う。大黒屋は取れた魚やなんかを渡すって話になったんだと」

「そういえば、阿佐達がうろちょろしてた気がする……」


 二人の言葉に、星子が記憶の引き出しからその場面を引っ張り出した。

 そして同時に、五馬が土蜘蛛特有の糸による情報伝達で、向かう里へ先触れを出したと言っていたのを思い出す。

 兵の巡回の情報を得たのはその時であろう。


 しかし白星が気付かぬのも無理はない。

 こちらはこちらで、健速ら須佐の生き残り達と入念な策を合議していたのだ。

 そしてそれ以上の負担をかけまいとする健速の思いやりが、土蜘蛛方の新規情報を語らせなかったのである。


「かか。あやつらしいの。大筋に関せぬ部分は省く。まこと効率的な男よ」


 聞かされていなかったことを微塵も気にせず、白星は笑う。

 知ったところで、大局が変わらぬのは事実であった。


「よかったね。土蜘蛛のみんなもちゃんとしたもの食べられるようになって!」

「ああ。いいこっだ」

「うんうん。全部白星の姐御のお陰だあ」


 喜色の浮かぶ星子の声に、土蜘蛛兄弟は白星を拝むように首肯した。


「よせよせ。まだぬしらの土地は変わらずであろ。これからのことへ頭を回せい」

「それもそうだな。気が早がった」

「おれもだ。すまねえ」


 白星は照れ隠しのように説教をすると、兄弟は揃って頭をかいた。


「ところで、これから行く里の頭首はどんな人なの?」


 しんみりした空気を払うよう、星子が明るく問いかける。


「ああ、あそこはかしらが二人いでな。あをしろって言うんだけどよう」

「双子の姉妹の割には、あんまり仲はよぐねえな。話し合いでの決定権は大体青が持ってて、白がそれに意見するって感じだ」

「二大派閥か。難儀なことよ」


 集団の意見が割れるとろくなことがないと、須佐の民との会議で思い知った白星が、自嘲めいて言う。


「おうよ。おれ達が八田の姐御の仇討に出る時も、青がでしゃばってきでな」

「里の防備はどうする! 死んだ者より生き残った者を優先せよ! とかな、今にも雷落としそうな顔で怒鳴り込んで来たんだあ」

「それは……気が強そうな人だね……」

「強いなんてもんじゃねえぞお。白が止めてくれなかったら、あそこで喧嘩になって──」


 星子の同情に応えようとした打猿の声を覆うように、遠くでぴかりと閃光が走る。


「なんだあ?」


 と問う声をかき消し、ぴしゃあんと轟く雷鳴が響き渡った。


 そしてぽつぽつと降り始める雨は、あっという間に土砂降りへと変化して全員を濡れ鼠にした。


「ぶわああ! なんだこりゃ! さっきまでえらい良い天気だったのによう!」

「まさかほんとに青が雷様を……!」

「ばか言ってんじゃねえ! ともかく、おれらはいいが、姐御と福一が大変だ!」


 とっさに二人は片方ずつ分担し、白星と福一を腹の下へと避難させる。


「ありがとうございます。ふう、びっくりしましたねえ」

「かか。まさに青天の霹靂よの」

「里まであとちょっとだ。悪いがこのまま抱えて走っていくぜ!」

「揺れるけど勘弁してぐれなあ」

「お構いなく。酔い止めを飲んでおきますので」

「うむ。わしにも構うな。全力でゆけい」


 こうして突然の豪雨の中、土蜘蛛兄弟は荷物を抱えて疾走を始めた。


 雨は弱まるばかりか、強くなる一方。

 稲光もひっきりなし。


 まるでこれから向かう先に、暗雲が立ち込めるような不吉さを孕んだ雨だった。

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