三十三 変わるもの

「ほう。ほほう」


 新たに袖を通した着物の感触を確かめるように、白星は何度も頷いた。

 己の姿を角度を変えて、何度も見回しながら。畳の上を軽く舞っては着心地を入念に確かめる。



 ここは峠の茶屋よりところ変わって、熊野大社の門前町。

 その仲見世に連なる大黒屋本店の奥座敷であった。


 本来町に入るには通行手形が必要となるが、白星はすでにやんごとなき方と合流したという体で話が済んでいる。大黒屋である健速と共に関を抜けるには齟齬が出てしまう。


 しかし、それこそ本来の隠形の出番。


 もはや顔を見せるだけで門番も笑顔で通す大黒屋の後ろを、白星は完全に気配を断ち、何食わぬ顔でついてゆけばよいだけだった。


 関所を抜けた先はまるで別世界。


 峠の茶屋の賑わいなど霞んで見えるほどの、初めて見る大量の人の海でごった返す街並みが広がっていた。


 通りの左右に並ぶ建物も、全てが見た事も無き立派な構え。


 早速にも見物に繰り出したいのをやっとの事で抑え、白星は健速に追従して粛々と大黒屋本店へと到着を果たし、誰に見咎められることなく潜伏することと相成った。



 そして先程から白星が浮かれて披露しているこの着物。


 休憩もそこそこに、早速採寸して見繕ったものだった。


 大黒屋は甘味だけでなく、反物から日用雑貨、食料まで手広く商いをしており、ちょうど在庫にあったものを白星に合わせて仕立て直し、試着をしていたのだ。


「いかかでしょう。即興で拵えたものでして、具合悪うございましたらすぐに言うて下され」


 白星の横でにこにこと端切れを片付けている老婆の名は千歳ちとせ

 着物を手がけて五十年にもなる熟練の職人だった。


 彼女も須佐が生き残りの一人で、持ち前の器用さで様々な着物や巾着、小物などを世に送り出しては、大黒屋の繁盛を支えた功労者でもある。


「うむ。文句の付けようもない。ようやっと窮屈さから解放されたわ。これで存分に動けるというものよ」


 白星が満面の笑みで頷くのも自然なこと。


 一見は町娘が着るような白い小袖に似ているが、腰より下はぱっと見ではわからぬよう、内部が小袴のように別れており、大胆に動いてもめくれたり足に絡まる事も無し。

 上下も別組となっており、着脱も容易である。


 袖や裾の先には、派手にすぎない程度に洒落た薄紫の花柄が散らされており、これまで無地の服を着た切り雀であった白星は、その細やかな色合いに軽い感動さえ覚えた。


 当然のように須佐の舞いに精通した千歳が考案し、全身の動きを制限せぬように工夫が随所に凝らされた、見事な一着となっていた。


「それは重畳ちょうじょうでございます。着物も、貴方様のような名手に使って頂ければ本望でございましょう」


 目を細めて微笑む老婆は、ほんの数歩の足運びから白星の力量を見抜いていた。

 そうでなければ、出会ったばかりの舞い手へぴたりと合う一着を供する事などできはしまい。

 まさに老練の成せる眼力と、匠の技巧と言えた。


「うむ。まったく大した腕よ。人の技も、なかなかに捨てたものではないの」

「ほほ。須佐の民が一丸となり、お祀り申し上げた神器たる御方にそう言って頂けるとは、ほんに光栄でざいます。里の有様を見て一時は命絶つべきか悩みましたが、長生きはしてみるものですね」

「かか。もうしばし生きおれば、もっと良きもの拝めるやも知れぬぞ」

「それはそれは。大いに期待させて頂きましょう」


 柔和な笑みの中に、強い炎が宿るのを、白星は見逃さなかった。


 老いたりとは言え、長年を影の中で生き延びた武の民の姿がそこにはあった。


「御免。そろそろ着替えは終わっただろうか」


 ふと、襖の向こうに立った健速のおとないが響く。


「うむ。入ってよいぞ」

「では失礼する。おお、見違えたではないか」


 部屋に入って来た健速も千歳と同様に目を細め、何度も頷いてみせた。


「この上より隠形かければ、もし先の舞いを見た人々に会うても気付かれまい」


 白星が今まで着ていたのは、稚児向けの水干であった。

 それが今や、しっかり年相応の小袖に衣替えしたのだ。


 元より隠形により、全容は朧に包んではいた。

 しかし知人だとしても、余程注視していなければ、同一人物だと見抜けようもない変貌ぶりであった。


「……もう。白星ばっかり、新しい事にどんどん手を出して。ずるい」


 大黒屋の敷地内もまた、須佐の結界が強く根付いている。

 再び現出が可能となり、眠りより覚めた星子の第一声がそれだった。


「かか。霊体めが、ないものねだりをしよるわ」

「どうせ屋敷から出たら、私だけまた影の中で、町の見物もできないのでしょう? ずるいったらずるい」


 健速や千歳といった同郷の者がいる事が引き金となってか、いつになく強い口調で駄々をこねる星子。


「悔しければ、早う独力で顕現してみせよ」


 白星は白星で、からかうばかりで埒が空かない。


 見かねた千歳は、一つ提案を出した。


「星子様には、依り代でもお作り致しましょうか」


 千歳はいそいそと箪笥たんすへ寄ると、布切れや綿などを取り出してみせた。


「五芒の紋を刻んだお守りを器とし、一時いっとき意識を宿すのです。身動きは叶いませんが、ある程度の見聞きはできるかと。御霊をそのまま維持し続けるよりは、余程楽になるでしょう」

「本当に?」

「ええ。もちろん白星様のご協力あってのことですので、そこはきちんとお願いされますように」


 材料を選び始めた千歳に促され、星子は数秒ふくれっ面を晒したが、やはり外出の誘惑には勝てず。


「白星。お願い。私にもお外を見せて」


 殊勝に頭を下げるのだった。


「うむ。手段があらば、断る理由もない。里とは比べるべくもない、大きな町よ。きっと見応えあろう」


 白星としても、連れ合いが見聞を広げるのは望むところ。一も二も無く頷いた。


「それでは、しばしお待ちくださいな。縫うだけでなく、術も仕込まねばなりませんので、それなりにかかります」

「うむ。袖の内に納まる程度の大きさであれば、持ち運びも楽よの」

「ええ、ええ。そのように。失くさぬよう、首や腕に通せる紐も付けましょう」

「千歳さん、お上手! 母上みたい」

「ほほ。雪子様にほんの手解き致したのは、このばばですからねえ」

「そうだったんだ。私も、やってみたかったな」

「いずれ御霊として力が付けば、物を操る事もできましょう。その辺のものを、念力で投げ飛ばすような妖怪もいるくらいですから」

「かか。そこまでの域に達さば、もはや立派な神魔よ。人をやめ、わしと肩を並べるつもりかの」

「幽霊にもできることがあるなら、何だってやってみたい、と思う」


 裁縫を続ける千歳を囲み、かしましくも明るいやり取りが続く。


 健速は輪に入れずに苦笑したが、星子に笑顔が戻ったことに深い安堵を感じ、しばし優しい眼差しでその光景を眺めていた。

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