十六 瘴るもの


 白星の退路を余さず絶った赤い眼光の群れ。


 次いで聞こえる唸り声。


 低く重く、地の底から響き渡るかの如き不気味な合唱が、少女の身へ強く圧をかける。



 しかし当の白星はどこ吹く風。

 その思考は別の事柄へ向けられていた。


「よもや、これほど早く破るるとはの」


 自嘲混じりに一人ごちる。

 己が身にかけた隠形術の欠点を認識したのだ。


 どうやら相手は、この森、ひいては龍穴のぬしらしい。

 縄張り内の邪気が不自然に減ったと知れば、当然そこへ注意を向けよう。


 正体見えずとも、何かある、と怪しむだろう事は自明であった。


「かか。気を読む者ならあるいは、とは思うたが」


 術の運用に改良の余地やあり、と。白星は前向きに捉える事にした。


 存在暴かれた今、もはや隠形にこだわる必要もない。


 こつりと白鞘を地に打ち術を解除すると、ようやく周囲へ意識を向けた。


「どれ。きける口あらば、言の葉一つも交わそうぞ」


 温厚を自負する白星は、まず対話から試みた。


 生者を蝕む邪気を宿して、なお活動を続ける器である。

 人語を解する程度には、力ある者であろうと目星をつけたのだ。


 しかし相手から明確な返事はなく。

 敵意に満ちた唸り声が、津波のようにとめどなく押し寄せるのみ。


 すでに自我はなく、本能のまま縄張りを守っているに過ぎぬと見えた。


「健気なことよ。つまみ食いとて許さぬか」


 白星は軽く肩をすくめた後、ひょいと白鞘を担ぎ上げる。


「よかろ。どの道、この龍穴を前にしては退けぬ。もののついでに祓ってくれる」


 そう告げると、涎を垂らさんばかりの笑みを広げて手招きをしてみせた。


 赤目の狩人達はそれを挑発と見るや、口々に高く吼えて攻撃を開始した。



 殺到する幾多の影へ、白き残像が迸る。 



 ぎゃうん、と悲鳴じみた鳴き声が複数あがり、次いで闇がわずかに薄れて視界が拓けた。


 白星が第一波を鋭く薙ぎ払うと同時、周囲の邪気を呑み込んだのだ。


 元より心眼持つ身にして、闇は行動の妨げ足り得ぬが、打ち倒す者の顔は拝みたいという念が働いた。


 間を置かずして第二波が来襲した時、白星はすでに体勢を戻し、相手の姿を余さず目に映す。


 四方八方より地を蹴り、鋭い牙が並ぶ大口開いて迫る、四つ足の黒き毛並みの獣達。


山犬やまいぬの化生か」


 元々ここを縄張りとしていた群れが、集った邪気に呑まれて変じたのであろう。


 山犬にあるまじき、牛のような巨躯をもって襲い掛かるそれらを、白星は怯えも見せずに迎え撃つ。



 柄で正面の者の顎を打ち抜き、反動で背後を見もせず先端で一突き。

 続く左右の挟撃を浅く屈んでかわし、交差したところをまとめてかち上げ。

 勢いのまま立ち上がり、真上から降って来た者の鼻面をはたき落とす。



 黒き獣の攻勢が激しくなる一方で、白星の業は冴え渡った。


 決して自ら仕掛けず、振り切らず。

 回避の姿勢を、全て次の手の布石と成す。


 まさに攻防一体。

 筋力に頼らず、巧みな技と相手の勢いを利用して、最小限の動きでかわしざまに急所を穿ってゆく。


 さりとて一つたりとも殺しはせず。

 触れた端から邪気を奪う事で無力化し、得た気をすぐさま力と変えて、次の獲物へ叩き込む絶妙な加減。


 その一連の流れは、考えるまでもなく自然と身体が動いたものだった。



 白星は業を振るえば振るう程、自身が鋭敏に研ぎ澄まされてゆくのを感じていた。


 正確には、思い出してゆく、だろうか。

 こびりついていた錆が落ち、元あった型へと戻りつつある心持ち。


 かすかな記憶の揺り起こしと共に、戦闘行為に高揚を覚え始める。


 やはり自分は戦に紐付けられた存在なのだろうと、なんとはなしに想い馳せた頃。



 抜刀も殺傷もせず、その場より一歩も動かずに、全てをいなした少女の身のこなしを警戒してか、闇雲に襲い掛かる者はなくなっていた。


 未だ多数の赤い瞳が暗がりで揺れ、こちらの疲労を見定めるように覗っている。


 交戦が始まってより、初めて生じた大きな間。


 その隙を白星は見逃さず、白鞘を地面に突き立て一気に邪気を吸い上げた。


 少女を中心として嵐のような旋風が巻き起こり、見る見る内に闇のとばりが破れゆく。


 やがて無数の黒い巨獣の群れが、白日の元へと姿を晒した。


 夕陽に目が眩んだ山犬達は、怯え混じりに後退し、最後に残った邪気の渦へと次々身を投じてゆく。


 全ての者が飛び込んだ刹那、とぐろを巻くばかりだった邪気の渦が急激にうねりを見せた。


 ぐにゃりと歪に輪郭を崩したかと思えば、瞬時に天にも届きそうな大顎おおあぎとへと変じ、ぐばりと開いて白星の頭上を覆い尽くす。


 その圧倒的な威容は、夜空が落下するかの如く。


 牙まで真っ黒に染まった口腔が視界一面に迫る中、白星は不敵に笑っていた。


「かか。数多きは、まとめて叩くが定石よ」


 これをこそ待っていたとばかり、言い終わりに大きく息を吸い、すぐさま白銀の烈風と変えて吐き出した。


 たちまちに、大顎が根元からがちりごちりと凍り付く。

 さらには固まった端から、自重に耐え切れず、がらがらと崩落を始めた。


 かような形態となっても痛覚があるのか、雷鳴のような苦悶のが周囲へ轟く。



 はや、凍結させ切るのが先か。

 倒壊し、降り注ぐのが先かの二択。



 後者であれば逃げ場のない死地において、白星はおもむろに拍子を刻んでいた。


 凍て付いた枯草の舞台を踏み締め。

 慌てず騒がず、優雅ささえまとって、少女はさらりくるりと舞い踊る。


 髪を揺らし、袖を引きつつ、白鞘でかつりと地を叩いては、一定の韻をもって足を運ぶ。



 やがて巨躯の苦悶が高い悲鳴とすり変わった。



 白星が演じたのは、かつて己に奉じられた祓いの神楽。


 先の攻防で尖兵を殺めずにいたのも、繋いだ縁を絶やさぬため。


 その上で大顎を凍らせ動きを封じ、中心に宿る邪気を減じてみせたのだ。


 力の源である邪気を祓われ、大元の龍穴まで氷で塞がれた今、山犬はその肥大化した身を保つ事ならず。


 穴の空いた風船の如く、しゅるしゅると急速に体積を失い、偽りの夜天はしなびて地に堕ちた。


 残ったのは、龍穴の上で一かたまりになった氷付けの山犬の群れ。


 それらも邪気を抜かれて体が縮み、元の毛色を取り戻していた。


 明るみでよくよく見れば、山犬ではなく狼のようで、氷下に白んだ冬毛が映えている。


 それをうっとり眺めつつ、白星が龍穴の元へ歩み寄った時。



 ばきん、と。

 氷を内より自力で砕き、顔を覗かせる剛の者が一つあった。


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