16-6 ドッペルの父
そして、ドッペルはモモウラ教授(ドッペルゲンガー)を追った。
教授は下の階に逃げ込んだだろう。まだこの建物内にいる。
エレベーターはいつ止まるか分からないので使えない。
ドッペルはコの字型になっている折り返しの手すりを掴んだ。
両側の階段の間にある一メートル幅の空間に、勢いをつけて身を躍らせる。
浮遊感、の後に重力に従って体が落ちる。
手を伸ばし、一階下の反対側階段の欄干を掴むと、コアラのようにしがみついた。同時に両足で子柱に着地し衝撃を殺した。
下の階との距離を素早く目測する。再び体を捻りながら壁を蹴って……それを繰り返しながら下の階へ降りていく。
ショートカットだ。
「パルクール」の動画を思い出し、やってみたらできた。
ドッペルは思った以上に自分が動けることに内心驚いていた。頭に描いた通りに動ける感覚があった。
知能と運動能力は、幼児や知的障害者においては、明白な関連があるとされている。ドッペルは急激に知能が高まった現在の自分の状態を、平たく言えば運動センスも高くなっているだろうと推測した。
そして、次に掴んだ手すりを飛び越えた。
前転で衝撃を和らげ受け身を取りながら、踊り場に着地。
「着いた。三階か」
最上階からここまで六秒足らず。
深呼吸を一回。
廊下の突き当りのドアを一気に開け放った。そこは会議室だ。
奥には爬虫類のように目だけをぎょろつかせた教授がいた。
ドッペルは自分を奮い立たせるために、唇を噛んだ。慎重に肩の力を抜く。
「…………父さん?」
ドッペルの呼び掛けに、教授は迷子の子供のように視線を泳がせた。
「……父さん? 父さんだと? 私が……?」
ゆっくりと確実に頷いてみせた。
「そうだよ。あなたは俺の父親だった。ドッペルゲンガー製造計画に巻き込まれる前は、必死で俺の母さんを助けようとしていた人だった……」
「黙れっ。嘘だ、そんなことはっ。私はモモウラだ。私がオリジナルのっ……」
教授は虚ろにそればかりを繰り返した。右手には拳銃。
「……ごめん。俺は父さんのことを覚えてないんだ。だから、今のあなたに何て言ったらいいか正直よく分かんない……。
でも、もういい加減カズマを傷つけるのはやめてよ」
ドッペルは真っすぐに教授を見つめて、足を踏み出した。
撃たれるかもしれないという恐れは感じなかった。
子供の頃、モモウラ教授に引き取られて手術を受けた。
その時の教授がオリジナルだったか、ドッペルゲンガーだったかなど、ドッペルには関係ないのだ。
身寄りのない自分はこの人に縋るしか、甘えて気に入られて、良い成績を出すしか生きる術がなかったのだと思う。
例え、彼が何者だったとしても。
でも、今はもう違う。
カズマがいる。ジロウやダイヤは、自分がカズマでないと分かった後でも友達と呼んでくれた。
ようやく明瞭に生きる理由を得られた気がした。
誰かに与えられる価値ではなく、ドッペルゲンガー製造計画の被験者としての自分ではなく、固有の人格を持った一人の人間としての生きる理由。
どんなに辛くても俺の自由を諦めないでいてくれたカズマと軽口を言い合うだけの何気ない日々を生きたい。
やがて、教授が全身から力を抜いたのが分かった。
「……ふははは……。そうだ、そうなのだ、私はお前の父だ。さあ、おいで。お前が私の言うとおりにすればまた昔のように褒めてやろう。お前には私に縋って生きるしか道はないのだ」
――――――――――――――――――
*以下は、知能と運動能力の関連の根拠として参考にさせていただいた文献です。
・鈴木願和,「幼児の運動能力の発達に関する研究(6)一瓶動訓練と知能発達の関係一」,寓崎女子短期大学,1993年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pamjaep/35/0/35_406/_pdf
・奥住秀之,牛山道雄,葉石光一,「7つの課題からみた知的障害者の身体運動能力」,人類誌108(2),91-99,2001 https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj1998/108/2/108_2_91/_pdf
頭の良さと運動ができることを関連づけたのはちょっと強引だったかもしれないなと思いつつ、急に筋肉ムキムキになったりするわけではないので「咄嗟の体の動かし方に迷わない」という運動センスの意味なら知能と運動能力は関係しそうだな(してて欲しいな)と思いました……。
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