13-2 パパ
*
研究所、地下の防音室。
スミレはピアノの側に立つ、妹――レンゲの協力を求めて手を差し出した。
「……レンゲは……」
レンゲは言葉に詰まってから、すぐに冷静に探りを入れるような声音に変わった。
「……スミレが言った家族を守るって具体的にどうすることなの?」
そっか、レンゲは私を『スミレ』と呼ぶんだな。
ずっと昔は『お姉ちゃん』と呼んでくれていた。
もうこの子にとって私は姉ではないのかもしれないな。
「この研究所から逃げて、別の場所で、家族三人で生活する」
「……“パパ”はどうなるの?」
「本音を言うとどうでもいいわ。あの人がもうレンゲや私たちに関わりさえしなければ、もう一人の『モモウラ教授』をやっていようが、元の人格に戻ろうが」
レンゲはスミレの話をゆっくりと
そして、
「私は“パパ”のところにいる。スミレがお父さんを逃がしたいんなら好きにしたらいいんじゃない?
でも、私はパパにスミレたちを逃がすなって頼まれたらパパの言うことを聞くから」
スミレが予想していた答えだ。
それでもレンゲがあの人を“パパ”と呼ぶことに苛立ちが募った。
「あの人は……あの人はレンゲのことを“娘”だなんて思ってないわよ。
それに忘れたの? あの人はレンゲを捨てたのよ。あの人にとっては命令を守れない人間なんて必要ないの」
言ってしまった。と言った後に悟った。
スミレは自分が動揺してしまって、ピアノの椅子から立ち上がった。
レンゲは俯いた。ひらりと垂れた前髪が彼女の表情を隠した。
「……知ってるよ、そんなの……」
「レンゲ、私こんなことが言いたかったんじゃなくてっ……」
「知ってるって言ってるのっ!」
レンゲの叫び声は剃刀のような鋭さだった。
「レンゲはお姉ちゃんみたいになれない! レンゲはいっつもダメな子供だった! レンゲが誰に褒められても、お父さんはお姉ちゃんのことしか認めなかった!
レンゲを褒める人たち皆、心の中では『障害があって可哀想』って思ってた!
パパだけだったの! レンゲのことをちゃんと見てちゃんと認めてくれて期待してくれたのは!」
レンゲの所構わず斬り付けるような迫力に、スミレの中にあるこれまで抑え込んできた感情が引き摺り出された。
「どうしてレンゲばっかり被害者面すんのっ⁉ 私だってずっと認めてもらえなかった!
何をしても出来て当たり前で、皆『さすがスミレちゃん』とか勝手に言いながら、おだてれば何でもする手の掛からない子供でしかなかった!
お父さんに褒められてたのはレンゲの方でしょ⁉ 私はレンゲが憎らしかったし、お父さんのことも大っ嫌いよ!
それでも家族を守らないとこの先、一人じゃ生きていけないのよ!」
……今更、カズマを裏切ったことが蘇ってきた。
スミレはカズマの記憶を消した。
恋人としていられた時間は短かったけど、本当に大事な人だったのに。
私は家族のために多くのことを捨てたし我慢してきたのに、レンゲは勝手すぎる……!
そんな激情が一時身体を支配した。
気付けば、スミレとレンゲは向かい合い、長年互いが隠していた
どちらとも肩で息を吐いていた。
初めて見せ合った心の傷を前に途方に暮れた。
沈黙が訪れた。
外がどういう状況になっているか分からない以上、二人とも防音室を出ようとはしないので、部屋の隅と隅で膝を抱えて過ごした。
やがて、感情を吐き出し尽くして落ち着くとスミレから口を開いた。
「……レンゲ、少なくとも私は『障害があって可哀想』なんて思ったことないわよ」
レンゲははっと顔を上げ、辛そうに歪めた。
「……そんなの、言ってくれなきゃ分かんないよ。スミレは余計な雑談は多いのに、大事なことは話さないんだから」
「余計な雑談が多いって台詞がもう余計よ」
フンと拗ねたように口をすぼめてみせれば、レンゲがちょっと笑った。
こんなに痛々しい顔で笑う子だったのだと初めて知った。
「スミレ、お姉ちゃんって呼んでいい?」
レンゲは距離感を測るような声音だ。
スミレの反応は僅かに遅れた。
「……ええ、いいけど」
「ほんとは知ってるんだ。パパは私のこと“娘”だなんて思ってないって。昔の、私を認めてくれた“おじさん”とは別人になっちゃったって……」
「そう、よね」
スミレがどう反応すればいいか分からずにいるのに、レンゲの目は案外穏やかだった。
「お姉ちゃんに協力する。でも条件がある。パパのことも助けてほしい。昔の“おじさん”に戻してほしいって意味じゃないよ。
……パパを苦しみから救ってほしい。ドッペルゲンガー製造計画を進めるパパは苦しそうなの。いつも何かに追われているみたいに、だから」
レンゲにとっての“パパ”はかけがえのない人なのだ。
スミレにとってのカズマがそうであったように。
スミレは偽りない気持ちで頷いた。
「分かったわ。レンゲの言葉を信じるから、レンゲも私を信じて。これからどうするか話し合いましょう」
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