7-4 家庭教師

 ダイヤは家に帰り、ジロウは先に寝てしまった。


 ドッペルは毛布に包まって、ジロウを起こさないようにそっと冷えた廊下に出た。


 スマホとパソコンをコードで繋いだ。


 探りを入れた研究所内で運良く信号をキャッチした。

 一か八か通信してみる。


 ザザー、という低いノイズの後。


『……もしかしてドッペルか?』


「っ、カズマっ……。無事なのっ?」


 ドッペルは息を呑んだ。


 カズマは声を潜めて、


『ああ。お前に聞いて欲しい話がある。ドッペルゲンガー製造計画の目的のことだ』


 狼狽うろたえている余裕のある状況ではないのだろうと察しがついてドッペルは動揺を押し殺した。


 カズマが語る話を一言も聞き漏らすまいとスマホを耳に押し当てる。


 ドッペルゲンガーの高い知能をこれからの世代の子供に移植する計画。


 ――カズマの話は衝撃ではあったが、ある程度覚悟していたことでもあった。


 研究所や企業にとって、自分は「実験体」としてすら存在価値がないことも……。


 カズマがドッペルを気遣いつつ話を進めた。


『大丈夫か? 悪い、ここからが本題なんだ。

 ドッペルゲンガーと本体では綺麗に反比例になっていることがある。それが俗に言う精神状態だ。

 精神的に安定している状態を幸福感のある状態だと考えれば、』


「本体とドッペルゲンガーのどちらかしか幸せになれないか、どちらも不幸になるか、ってこと?」


 ドッペルはカズマの話の筋を頭の中で組み立てた。


『ああ、そうだ。ドッペルさ、最初に俺の家に来た頃ちょっと不安定だったよな。いつも不貞腐れるのはドッペルの方だった。

 でもこの間、俺はお前に酷いことを言った。お前が教えてくれただろ、スミレさんに関する記憶を俺が忘れてること。あんなイライラをぶつけたのはその直後だった』


 カズマは苛立ちをぶつけてしまった後悔が滲み出ないように、苦労して冷静に話しているようだ。


「精神的安定……。それと、学力か」


 ドッペルの呟きに『どういうこと?』とカズマが訊いた。


「カズマ、記憶って一言で言っても『始めに覚える』『それをずっと覚えておく』『覚えたことを思い出す』って段階を踏むことはイメージできるか?

 その段階の全部を指して『記憶する』ってことなんだ。


 多分、カズマの話から予想するに、ドッペルゲンガー製造計画では、例えば本人やドッペルゲンガーが元から保持してる知識そのものを変えるんじゃなくて、精神を不安定にして、極度に思い出させにくく出来るんだろうね。

『怖い』『楽しい』みたいな、情動の種類によって活動する脳部位が違うんだけど、例えばずっと負の感情が渦巻いてるとする。


 これって一つの脳部位を酷使してるってことで、結構疲れるよな。で、ずっとそんなだと集中力も削られて、暗記問題なんて解けない。

 ざっくり言うと、こんなかな? 勿論、精神状態と学力を操作する仕組みは、もっと複雑なんだろうけど。

 カズマぁー、ついてきてる?」


『……要するに何か悩んだり、考え事してる時ほど物忘れするってこと?』


「あー。あー。うん。イマハ、ソレデイイゾー」


『最後、絶対片言だったろ。悪かったな、今はお前の方が俺より何倍も頭いいんだから』


 口を尖らせたらしいカズマの向こうから、『早く、時間がないわよ』と急かす声がした。


 おそらくスミレだ。

 どういう経緯かは分からないがスミレはカズマと協力関係にあるのだろうか。


 カズマの声が続いた。


『それでドッペル。このままだと俺とお前のどちらかしか幸せになれない。もしくはどっちも不幸になる。俺は、それは嫌だ』


 断固としたカズマの声にドッペルも「うん」と頷いた。


「じゃあ、まずはカズマがそこから脱出するのを手伝うから……」


『いや、俺はここに残るよ』


 瞼の裏を恐怖が駆け抜けた。


 どんな実験が行われるかも分からないのだ。

 カズマを、カズマの人格を失う可能性もあるというのに。


『スミレさんには監視がついてるし、家族も人質に取られてるらしいから、こういう連絡役しか頼れない。

 ドッペルゲンガー製造計画についてもっとたくさんの情報を得る必要がある。特にドッペルゲンガーとの繋がりを断ち切る方法な』


 説明を続けるカズマの声音はリスクを全て分かった上でのことだと、ひしひしと伝えていた。


 真実を知らなければならない、とドッペルに突き付ける。


 ドッペルはいつかカズマとお揃いで買った緑色のクマのキーホルダーを握り締めた。


『俺たちでドッペルゲンガー製造計画を潰すんだ』





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