7-1 家庭教師

 企業見学会から数日後、冷たい雨が窓の外を飾っている。梅雨真っ只中だ。


 ジロウはインスタントコーヒーにお湯を注いで、アパートで一人テレビを見ながらごろごろしていた。


 と、そこでピンポーンとチャイムが鳴った。


「あっはい。どちら様で……」


 ピンポン。ピンポン。ピンポン。ピンポン。


 いや! 怖え!


 小学生の頃に流行っていた怪談のいくつかが頭を過ぎった。


 ジロウは腰が引けかけながらも、おそるおそる玄関を覗いた。


「ジロウ? ごめん、休みの日に。俺なんだけど」


 カズマの声らしいことにほっとした。


「もっと普通にチャイム鳴らせよ。えっと何か用?」


「あのさ、何日かでいいからジロウのアパートに泊めてくんない? 実はちょっと前からカズマが家に帰ってなくて心配なんだよ」


 着替えが入っているらしいボストンバックを、カズマがよいしょと抱え直した。


「……ちょっと何言いたいのかさっぱりなんだけど」


 ひょいっとカズマがジロウの部屋の奥を覗いた。


「あれ、あのシャツって……」


 カズマが指差したのは部屋に干していたTシャツだ。


「ああ、前に買い物行った時にカズマが選んでくれたやつだよ。着回しできてすげえ助かってる」


「ほんと⁉ ジロウ、着てくれてんの⁉ なんかチョー嬉しいんだけど!」


 目を見開きはしゃぐカズマは珍しすぎる。


 カズマってこんなに感情を表に出すやつだったけ?

 まあ、見てて悪い気はしないけど。


 取り敢えずカズマをアパートに引き入れ、おずおずとコーヒーを差し出した。


 うまそうにコーヒーをすするカズマはどこもおかしくはないのだが……。


「……それで何かあったのか? 親子喧嘩したとか?」


 ジロウにはあの大人しい、というか妙に大人びているところのあるカズマが誰かと喧嘩する想像がつかないが。


「ああ、うん。まあそんなとこかな」


 カズマの方も歯切れが悪い。


 目を逸らした先で本棚に目を留めたようだ。棚の上から下までぎっしり漫画とラノベとDVDが詰まっていた。


「うわ、俺の知ってるラノベと漫画がたくさんある!」


「そりゃそうだ。高校の時、俺がしょっちゅうお前に貸してたろ? まあ俺が押し付けてたとも言うけどな! 実家のコレクションを全部持って来たんだよ」


 カズマが重々しく唸った。


「そうか。このラノベや漫画たちがカズマのルーツか」


「そうだ。俺がカズマのルーツだ、がははは」


 ジロウ、胸を張る。……突っ込み不在だった。


「あ、そうだ。今パソコン使ってもいい?

 てか、ジロウ暇でしょ? 俺に構わずゆっくりしてていいからさ」


「あーうん、サンキュー。ってここ俺の部屋」


 カズマは自前で持ってきたらしいパソコンと、ジロウのパソコンを立ち上げてコードのようなもので繫げた。

 例の企業見学会で目にしたUSBを差し込む。


 カズマはしばらく真剣そのものにパソコンのキーを高速タップしていたが、ふと顔を上げた。


「なあ、モモウラ教授って知ってる?」


「誰? 有名な人なのか?」


「ううん、知らないならいいや。変なこと訊いて悪い」


 カズマはちょっと残念そうだ。


 そういえばモモウラという名字に聞き覚えが……。


「教授じゃないけどお前の彼女だって言ってた女子が確か、名字がモモウラじゃなかったか?」


「えっ、そうなの?」


「彼女の名字くらい知っとこうよ」


 突っ込むジロウをよそに、カズマがすぐさまパソコンをカチカチ鳴らし始めた。


 段々と表情が険しくなる。


「俺の、その彼女ってさ、モモウラレンゲって名前だった?」


「ああ、確かそんな名前だったな」


 ジロウが記憶を探りながら答えるとカズマは唇を噛んだ。


「モモウラ教授の娘さんだ……」


「へぇー。教授の娘ってすごいな。同じ学科なんだろ。そんな子と知り合うなんてカズマは……」


「違う!」


 カズマは必死な様子で自身の髪をくしゃりと掴んだ。


 その左手をすっと眼鏡の縁に当てた。

 カズマの考えている時の癖だ、とジロウは気付いた。


「モモウラレンゲさんは学習障害なんだ。限局性学習症。この資料で調べが上がっている情報ではそのはずだ。

 でも、ハッキングしてもそんな情報一つも出てこないし、大学も一般入試で、てことは他の生徒と同じ基準で大学に入学してることになってる。こないだの企業見学会でも特に学習障害を思わせる様子はなかった……。

 うーん……。勿論、年齢が上がって障害の診断が取り消されることはある。でも、それならそれで、そういう情報の断片でも掴めていいはずなのに……」


「えっと……カズマは何を言いたいんだよ」


 話の雲行きが怪しくなってきた気がしてジロウは戸惑った。


 その気配に気付き、カズマは力なく笑った。


「……ごめん、さっきから訳分かんないこと言って」


 それから黙り込んでしまったカズマが気掛かりではあるが、ジロウはもう深く追求せずにテレビを点けた。


 こういう時は下手に話し掛けないほうがいいことを高校からの付き合いでジロウは知っている。


 カズマは考え事をする時に人よりも時間を掛ける。

 人よりも物事を深く考える。


 恐らく眼鏡をアンテナにして電気のように思考を脳内のあらゆる分野に巡らせていくのだ。

 今もきっと黙々と集中し考え続けている。


 そして、人よりも考え練った結論を出……。


「んがー、わっかんねー」


 ジロウがテレビに意識を向けた瞬間に、カズマがバタンと倒れた。


 思わずバッと振り返って声を上げた。


「分かんねぇのはお前だ、カズマ!」





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