第四話


台地が揺れるような熱狂、人生がかかっている本気の戦い。人生において誰もが心の中に隠し持っている、欲望。今日は誰もが人生を賭けてきているのである。だからこそ、握る手にも力が入る、掛ける言葉にも熱が入る。そう、今日は年に2度の天皇賞である。その中でも本日は春。私は、初めての競馬観戦であった。先ほどまで東京新宿にいた私が、なぜ今兵庫県宝塚にいるかということについては深く考えないでいてほしい。私がトイレに入り出てみればそこは阪神競馬場だったのである。それもこれも…

「ねえ、馬券拾ったんだけど」

「おい、拾ったってそういうのって返さなくていいのかよ」

「いいのよ、どうせ終わったレースのでしょ」

言われてみればそうかもしれない。

「いや、これから始まるやつみたいだぞ」

「本当だ、ラッキーじゃない」

「よくわからんのだがこの複勝ってなんだ」

「複勝ってのは選んだ馬が三位以内だったら当たりってやつよ」

「詳しいんだな」

「私に競馬を言わせたらうるさいわよ。小さいころ父親に連れてかれた天皇賞春で最後方にいたディープインパクトが、最後の最後にトップに躍り出るさまをみえ恋に落ちたの。あれが日本競馬の最高峰っだたのよね…」

「熱いな」

「あたりまえよ、その時の会場のどよめき熱気、興奮今でも肌に感じるわ。ディープインパクト、私の人生が狂ったのはあいつのせいよ」

「それはともかく、これ東京のレースみたいだぞ」

「京都にいても、東京のレースが買えるのよ。逆もしかり」

「じゃあ、ここまで来なくったってよかったじゃないか」

「馬鹿!生ガが一番でしょうが!」

「お、おう」

ここまで興奮しているマルガリータを見るのも初めてである。そういえば、先ほど買った馬券からそろそろレースが終わったころ合いだろう。

「なあ、これ終わったんじゃないか」

「そうね、払い戻しに行きましょう」

4レース目らしい、この馬券はケンハービンジャーという馬らしい。マルガリータが四歳未満の若い馬がどうこうと言っていたがさっぱりとわからん。

「当たってる」

「すごい、出だしからラッキーじゃない」

「当たってるぞいくらだ」

「1.5倍よ。」

「だからいくらだよ」

「一万五千円ね」

「安い…」

「三番人気に複勝って、辛気臭い買い方ね。もっと男らしく3連単くらいやりなさいよ」

まったく何を言っているかさっぱりわからない。しかし、辛気臭いという言葉が妙にささる。しかし、昨日夜の街に全財産を使ってしまったので幸運だ。

「よし、このお金を使ってかけるわよ」

「やっぱり、馬券を買うのか」

「もちよ」

競馬初心者の私が競馬で儲けようとするなんて、あまたの玄人から刺殺されそうなことだ。

「なあ、どうせもうからないんだし辞めないか」

「競馬は、儲けるかどうかだけが楽しみ方じゃないわ。大きく気持ちがいい景色の中、人間臭い臭いを感じ手に汗握る興奮を感じるのよ。そして、大きい金が逃げたときにでるあのドーパミン…最高」

ダメだこいつ、早く何とかしないと。

「やっぱり、賭けるのが楽しいんだろ」

「もちよ!」

やはりこの女どこかおかしいのだろう。さて、買うといったって、いったい何から手を付ければいいのかわからない。

「なあ、何から買えばいいんだ」

「基本は、やっぱ流したいんだけど。今いくら持ってる?」

「一万七千円」

「流せないじゃない」

「俺が悪いのか」

「一時の快楽に流されるなんて、あんたもお猿さんね」

「日本人としてあたり前の刹那主義だ」

だいたい、歌舞伎町に連れて行ったのもこいつじゃないか。

「で、どうする?」

「3連単って言いたいとこだけど、複勝か枠連でしょうね」

「なんだ、さっぱりわからん」

「まあ、簡単に言えば。帽子の色で買うのよ」

「帽子の色?」

「そう、レーンがあってその中にも外から帽子の色で区切ってるのよほら、」

先程のレースを見てみると、確かに外からピンクの帽子だったりと別れている。

「あんた、好きな色とかある?」

「白色かなぁ」

「じゃあ一枠ね、わかってるじゃない」

「そんな決め方でいいのか」

「ビギナーズラックを信じるのみよ」

競馬をあれだけ研究している人でもあたらないというのに、ビギナーズラックなんてあるのだろうか。それも、好きな色だからなんて訳の分からない理由で。

「いくら賭けるんだ?」

「全額ベットよ」

「はあ!」

「ちょっと声大きいじゃない」

全額一万七千円。かけた場合、東京までは絶対に帰ることができない。いったい何を考えているんだろう。

「どうやって、東京に帰るんだよ」

「別にいろいろあるじゃない」

「色々ってなんだよ」

「歩いて帰るとか?」

「何キロあると思ってるんだよ」

「さあ、考えたこともない」

「だろ、無理じゃないか」

「距離を知ったらつらくなるわよ。知らないことが幸せな時だってあるの」

何だか妙に艶めかしく、艶っぽい雰囲気を感じた。急に自分よりも年上の女性なきがしてきた。が、

「そんな言い方で、ごまかせないぞ」

「やっぱり?」

「あたりまえだ」

「じゃあ、」

「じゃあ?」

「帰らないとか?」

「…」

一瞬何を言っているのかさっぱりわからなかった。帰らない?帰らないということは、関西に住むということなのか?

「おい、しゃれか?」

「もちよ」

「なあ、いったん黙ってくれないか」

「あんたが、考えてって言ったんでしょ」

「そうだけど…」

「で、何色にするんだっけ」

「本当にそれにするのか」

「あたりまえよ。大体、賭ける前から外れた時のことを考える馬鹿がどこにいるのよ」

「それは、」

それは確かに一理ある。やる前から失敗のことを考えるやつが成功するはず何得ない。いつからだろうか、自分がちっぽけな人間に感じて大きな一歩を踏み出せなくなったのは。

「白だよ」

「お、乗り気になったのね」

「やる前から、失敗することを考える奴なんていないだろ?」

そうだ、この感覚だ。緊張と期待に胸が弾む。人は、本気になったときにこそ興奮し手に汗握り人間として生きていることを感じることができるのではないだろうか。だからこそ、人は馬の背中に自分の期待を乗せ広いレース場にはばたかせるのではないだろうか。そうだ、だからこそこんなにも多くの人の心をつかむのだ。そう思いながら五枠の枠連に全額ベットし、馬券を握りながらわれらの席に陣取ったのである。


2


枠連を買いオッズを確かめて見ると、24.6と書いている。一万七千円が24.6倍で418200になる、恐ろしいことである。こんなものが当たってしまったら人の人生が狂ってしまうのではないだろうか。まあ、私のように抑制的な心を持っている人には縁の遠いい話である。私達の夢を背負った馬は、メイショウツワブキである。この馬を選んだ時マルガリータが

「内側の馬を選ぶなんてわかってるじゃない」

なんて言っていたが、何がわかっているのかさっぱりわからない。

「あんた、始まってたわよ」

「おう、」

始まった。私の人生を賭けた高いが始まったのだ。白い帽子を被ったジョッキーが、駆け出した。しかし、

「なあ、少し出遅れたんじゃないか」

「焦らないで、差し馬かもしれないじゃない」

「差し馬ってなんだ?」

「あとから力を発揮するってことよ」

「そういうものか」

思っていたより馬券を握る手に力が入る。鼓動がどんどん加速していることを感じ始めた。まだまだ、白帽子は前に出ていな。これはきをうかがっているのだろうか。しかし、じれったい背中にしびれるような電機が走っている。

「なあ、大丈夫かなぁ」

「黙ってみてなさい、男なんだから自分の選んだことに自信を持ちなさい」

「わかってるよ」

残りの距離が短くなるにつれ、各々動きを見せ始めた。外に広がる馬、中から鞭を打たれ加速する馬、その中でも先程から先頭を走っている黄色い帽子の馬がいい走りを見せている。

「そろそろ、上がってこなきゃまずくないか」

「そうね…きたわよ!」

ジョッキーが馬に鞭を打ち始めた。加速する馬たち、これを伸びというのだろう。鞭を打つにつれ跳ねるように歓声が上がる会場。その声が大きくなるにつれ、あたしの心臓も早く鼓動する。白帽子が前絵へ出始めた。馬に当てられた鞭に共鳴するように自分の鼓動も同じ速さ強さで波打っている。

「いけ!いけ!」

「もっと、あげなきゃ、あがって」

気が付いたら、私たちは二人して叫んでいた。

「駄目だ、たらない」

「あともう一伸び…」

そして、

「いった、いったぞ!」

「やった、48万円!」

「おおおお!」

「ひゃっはー!」

私たちの馬は、二番でレースを終えた。24.6倍。人生を賭けた戦いに私たちは勝利したのである。脳に今までの人生で味わったことのないほどの衝撃が走った、血が巡ると同時に何か得体のしれない電撃が駆け巡った。最高のひと時である。

「ああ、気持ちいいな。競馬って」

「でしょう、熱くなるでしょう」

「最高だ」

私たち二人は、しばらくその至福な時間を味わった。席を動かず、周りの人たちが愚痴ったり八つ当たりしてるのを横目に私たちは、悦に入った気分で温かく見守ったのである。48万円。そう簡単には、得ることのない大金である。

「今月は、これで暮らせるな」

「バイト休んでよかったでしょ」

「ああ、おまえに感謝を言わなくちゃな」

競馬場に吹く、暖かな春風を浴びながら私たちはこの景色を目に焼き付けた。

「そろそろ行くか」

「ええ、払い戻しに行きましょ」

私たちは、馬券を引き換え24.6倍になった現金と出会ったのである。

「なあ、どうする。このまま帰るか?」

「何馬鹿なこと言ってんのよ。本番はこれからよ」

「今のは本番じゃないのか」

「天皇賞ってのは、このさらに後3時くらいからやるの。今のは前哨戦みたいな感じだから、これは天皇賞春ではないわけ」

「じゃあ、この金をそこにつぎ込むつもりか」

「ええ、それが一番気持ちいんだから」

現金をつかむ私の手が震え始めた。先ほど以上の興奮を味わえる、それを聞いただけで参加しない理由はない。

「わかった、それまでどうする」

「ほかにも何レースかあるから、それにもかけてみましょうよ」

「おう」

それからの私たちは、どこかくるっていたのである。買う馬券買う馬券が当たるのである。流しというものも体験した。複勝、単勝、馬連とありとあらゆる買い方をした。心が躍る、私は今、初めて人生を生きているのである。今まで、ギャンブルにはまるものは愚かであると心の底から思っていたがこの場を借りて謝罪したいと思う。

昔本で読んだことがあるが、賭け事をすると人間の脳に出る快楽物質に追ってやめられなくなってしまうらしい。なるほど納得である。私はもう、競馬場に住む魔物に取り付かれてしまったのである。

「なあ、マルガリータ」

「何よ?」

「最高だな」

「ええ、最高でしょ!」

マルガリータの温かく強い微笑みが今日の日差しによく映える。美しい女性を傍らに、美しい馬の走りを見ることができるなんて。もしかしたら私は今、世界で一番幸せな男なんじゃないか。高鳴る気持ちを抑えながら私たちは、今日のクライマックスまで英気を養っていた。

「今いくらだ?」

「786万くらい」

「すごいな、どうしてそうなった」

「ね、なんか食べる」

「ああ、何がいいんだ」

「めちゃくちゃ偏見だけど、やきそば?」

「じゃあ、焼きそばにするか」

私たち二人は、ゴムのような焼きそばを飲み込むように平らげた。普段ならそれほどまでの味に感じなっただろうが、今日だけはどんな料理よりもおいしく感じるのだ。

「なあ、マルガリータ」

「どうしたの?」

「今日、ここに来てよかったよ」

「何いてんのよ、これからが本番なんじゃない」

「そうだな、これからだな」

「気合は大丈夫?」

「あたりまえだ、今日の俺なら魔王だって倒せるような気がする」

「悪魔の前でいうことじゃないわよ」

「悪魔の前だから言うのさ、きっと今日だけは神様が俺に味方してくれているんだ」

こんなにも彼女と笑いあって話ができたのは初めてではないだろうか。今日だけは幸福を運んでくれたこの悪魔に、いや今日だけは笑顔の映えた天使に感謝をしておこう。世界とはなんと美しくうまくできているものだろうか、今までの苦労はこの日のためにあったのだろう。目の前に、走馬灯のようにいろいろな景色が浮かんでくる。私の人生は決して無駄じゃなかったんだ。私たちは、新たな希望を胸にこれから始まる天下分け目の大戦に旅立ったのである。

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