マルガリータ
イキシチニサンタマリア
第一話
1
「今回のも通りませんね」
編集は、断定的に言った。もう何年も本を出していないような気がする、最後に出したのはいつだろう…処女作以外に果たして私は本を出したことがあっただろうか。
私は作家だ。売れない作家。某大学の芸術学部に入り、そこで文学を学び執筆を本格的に開始した。初めて出したコンテストで、文章の美しさ構成の良さを認めていただき二人三脚で初めての本を出した。しかし、あれ以降かけないのだ。一身上の都合で、編集が変わったそのころから少しづつ泥沼にはまっていった。面白い話とは何だろう。刺激的なストーリーなんて誰にだって浮かぶものじゃない。
「どうですかね、何がダメだったんでしょう」
「まあ、硬いし長いし…ぶっちゃけ辛気臭いです」
「でも、心理描写を大切にすると長くなったりするのは仕方ないんじゃないですか」
「一回ガラッと変えてみたらどうでしょか」
「と、言いますと」
「心理描写を削って、ストーリ性で勝負を!」
「一回持ち帰らせてください」
「まあ、一回考えて見てください」
面白い話を書けと言われてかけるやつがいるのだろうか。芸人に対して、面白いことやってよなんて言ったらどうなるか考えてほしいもんだ。
私は、読書が好きだ。小さいころ、内向的だった私は友達を作ることが苦手で、外で追っかけっこしたりするよりも、文字を丁寧に一つ一つ追うほうが性に合うのだ。本の世界には、広く永遠に広がる砂漠がある。永遠の渇き、永遠の飢えがある。読んでも読んでも、終わることはない。その本を楽しむために読んでいるのか、次の本を読むために今の本を片付けているのか、もうわからない。
「じゃあ、次の作品ができたらまた声かけてください」
「はい。失礼しました」
編集者との打ち合わせが終わり、ファミレスの外に出てみるともう八時を過ぎていた。
創作とは自分の人生である。自分が今まで触れてきた作品、生活環境が綿密にかかわってきている。私は文学に触れてきた。ドストエフスキー、トルストイ、ゲーテ、ダンテ、アレクサンドルデュマ、ディケンズ、セルバンテス…。愛してやまない文学。しかし、それに沢山触れてきた私はもはや時代遅れの作家なのだろうか。私の人生は凪だ。人との触れ合いがなかったかと言われれば、なくもないし多いわけではない。普通だ、ただの本好きだ。こんな凡人に一体何ができるのであろうか。
今日は浴びるほどに飲もう。そう思いながらいつもの街を歩いていると、細い路地のところに酷く不吉な老婆が座っていた。占いだろうか。?あんなところに、あんな店があただろうか。私は、湧いた興味に従い老婆に近づく。数メートル先からも腐ったような、それでいて薬品のようなにおいがした。
「お主、相当まいっているな」
「え、はあ。そうですね。やっぱり占い師にはわかるものなんですか」
これは、所謂バーナム効果だなと思った。
「ここは占いではありませんぞ」
「そうですか。じゃあ、一体何をするお店なんです?」
「未来を望む者にのみ見える、君は何を望む」
微妙に話が嚙み合ってないような気がする。
「じゃあ、面白い人生が過ごしたいです」
「ほほう、面白い人生とな」
「ええ、作家なのですがお前の話は辛気臭くて退屈だって言われました」
「ならば聞こう。何を捨てる。何を犠牲にできる」
「捨てるんですか」
「まあ、断捨離みたいなものだ」
「ああ、そういうことですか」
「自分との決別じゃ、何でもいい持っているものをこの釜に入れてみたまえ」
「なんでもいいんですか」
「自分の気持ちがこもっているものほどいい」
「さいですか…」
今自分が持っているものか…。カバンの中にゲーテ『親和力』が入っている。
「じゃあ、本で」
愛しのゲーテよさらば。まあ、また買えばいい。これくらいで何が変わるわけでもなし。自分の気持ちの問題、けじめの様なものだ。
「はいよ、本ねぇ」
老婆は本を釜の中に入れた。釜の中には、玉虫色の煙が上がっていた。
「奇麗は汚い、汚いは綺麗い」
老婆はどかで聞いたことがあるような呪文を唱えていた。マクベスか。
「ンキャっつ‼」
老婆が奇声を上げると同時に、煙がとてつもない勢いで上がった。
「ぬ‼」
視界がすべて煙でおおわれていた。お祭りで見た虹色の綿あめに包まれているような気分がした。
「お主、これで終了じゃ」
「え、あ、はい」
何か変わったのだろうか。
「あの、いくらですか」
「金は要らんよ」
「いいんですか」
「よいのじゃ、お主の新しい生活を陰ながら拝見させていただくだけでいいのじゃ」
「そうですか」
拝見?水晶で覗くとでもいうのか。
「では、失礼します」
「またお会いできることを心からお待ちしております」
路地を抜けて振り返ってみればそこには誰もいなかった。いったい何だったのだろうか。帰路の途中何だか本を捨てたのがもったいなかった気がしてきた。
「ああ、文庫にしては高かったのにな」
うだうだ言いながら歩いていると、空から淡い青色の光が差し込んできた。月の光とはかくも美しいものである。月と言えば、かぐや姫、十五夜、太陰暦といろいろなことを連想させられる。人と月とはやはり切っても切り離せないものがあり、重力とは違うまた別の引力を感じることができる。しかし、段々と明かりが強くなってきている。いったい何事だ。空を見てみた。淡い光の中に人影がうかがえた。
「あれは、人か?」
徐々に近づいてくる。髪の長さからしてどうやら女性のようだ。どうやら、光の発信源は、あの人のようだ。
「ラ〇ュタって本当にあったんだな」
そんなバカなことを考えている間にも、女が迫ってきていた。近くなるにつれてわかるがものすごい速さだ。
「あ、俺死んだかも」
その女は、止まることなく私に直撃した。意識が遠のいていくのを感じる、詰まんない人生だったな。そう思いながら私は気絶した。
2
視界がぐにゃりと曲がっている。意識が少しづつ戻ってきた。体の痛みは感じない。
「生きているのか」
光景は先程と変わらない。ただ立ち眩みをしたのか、白昼夢でも見ていたというのか。時計を確認すると、11時に差し掛かっていた。一時間以上も気絶してしまっていたことになる。
「あ、」
声が出た。なんか幸せだ。一人でいるとたまに、自分の声が気になるときがある。
「なにしてんの」
後ろから女の声がした。
「なんか意識がしっかりしなかったもので」
振り返るとそこには、素晴らしいボディを持った金髪女性が立っていた。
「ぬっ!」
服装も隠れているところより、隠れていないところのほうが圧倒的に多い。今どきのグラビアアイドルもこんなきわどい恰好はしないぞ。・・・ドストライクである。
「あなた、私が見えているの?」
「ええ、金髪ですよね」
「そうよ、金髪Iカップ」
「愛冠‼」
「うわ、きも」
Iカップ、アイカップ、あいかっぷ、愛冠である。
「うるさい!てか、あんたさっき空から…」
「ええ、眠くなっちゃって落ちたのよ」
「眠くなった?でも空…は?」
なにがなんだかさっぱりわからない。というか、確かに私は彼女に直撃したはずだ。
「いや、さっき君は僕とぶつかったはずだ」
「ええ」
「何で無事なんだ、というか無事なのか!ていうか、さっき私が見えるとかなんとかってことは、まさか…俺は死んだのか」
「あんた、人生楽しそうね」
「うるさい、楽しくなんてない」
「まあ、想像力が豊かでらっしゃるわ」
「作家だ当たり前だ」
「へー、すごいじゃない」
「売れてないけど」
「あっそ」
「興味ないなら聞くなよ」
なんだこの女、意味が分からない。
「ねえ、あなた不吉な老婆に出会わなかった?」
「ああ、見たよ」
「やっぱりね、私が見えるのってあの婆に助けてもらった人だけなんだよね」
「そうなのか」
ん?
「見えるとかって、なんだ」
「そのままよ。試しに見せてあげましょう」
そういうと向こうから歩いてくる女性の前に移動した。すると…
「ぴーひゃらぴーひゃら」
バカでかい声でどこかで聞いたことのあるような歌を歌い始めた。
「おい!」
その瞬間、女性は怪訝そうな顔で此方を向き女の体を通り過ぎて行った。通り抜けたというか、透けていった。見えてないどころか、体に触れることすらできないのだ。私は茫然として、歩いていく女性を見送った。
「ほらね」
「嘘だろ…」
「私はね、あの婆の釜に持っていたものと一緒に体ごと入ったの。」
「はあ?」
「現実を捨てたかったの。いいでしょ」
「まあ、いいんじゃないですか」
何だか今日はもう疲れた。すべてのことがどうでもよくなってきた。どうしてだろう。いったい何が悪かったのだろうか。あんな老婆の話なんて聞かなければよかった。
「あんたは何を婆にあげたの」
「手元にあった本を」
「本?つまんない男」
「詰まんなくて悪かったな。だから俺は売れないんだよ、どうせさ」
「辛気臭い男ね」
「うるさい。そんなこと人に言われなくてもわかっている」
今から人生をやり直せるとしたら、絶対にサッカー部に入る。明るくてイケイケな好青年になるんだ。
「もういいだろ、俺は家に帰るよ」
「はい、じゃあねー」
「じゃあ、」
意外とあっさり解放してくれたな。これで、いつ戻りゆっくり家に帰れる。…
「なあ、おまえ名前なんて言うんだよ」
「帰るんじゃなかったの」
「いいだろ、名前ぐらい」
「マルガリータ」
「マルガリータ…」
「いい名前でしょ」
「ああ、いい名前だ」
どこかで聞いたことある名前だなあ。
「あんた、何が欲しいの」
「え?」
「婆に何を願ったの」
「面白い人生が送れますようにって」
「たっはー!」
「うるさい」
「だっせー!」
「もう帰る!」
何だこの女!人を馬鹿にしないと話ができないのか。もう二度と会うか。
「ちょっと待ちな」
「なんだよ」
「あんた、私と契約しない」
「何をだよ」
「私からだなくしちゃって、意外と退屈なのよ。だから、あんたの体を貸してほしいのよ」
「体なくしたって…。俺の体借りるってどういうことだ」
「ただほんとに、体に住み着くっていうだけ。まあなんだ…守護霊的な」
「背後霊かよ」
「それ言い方じゃん」
「同じだろ」
「違うもん」
違うもんって。この女が言っていることは多分、俺に憑りついたり、憑依したりそういうことか。B級映画みたいな設定だな。
「そうだなぁ」
「あんたが満足するまででいいからさ。ね、いいでしょ」
面白い人生。ふとそんな言葉が頭にうかんだ。人生を変えるために、老婆にお願いをしたんだ。ここで、びびったら男が廃る。
「わかった。つっても、普通に生活するだけでいいのか」
「いや、私はね悪魔に体まで売り渡したの。だから、結構好き勝手出来るのよ」
「ほう、そいで」
「そいでね、例えばだけど。この町の上空から札束の雨を降らせるくらいはできるのよ」
「なるほどねぇ。なら是非今やっていただこうか」
「OK。ならやっちゃうよー」
マルガリータは目をつむった。
「奇麗は汚い、汚いは綺麗」
彼女が呪文を唱えたと同時に、この町全体にすさまじい突風が起こった。
「なんだ⁉」
「今!」
彼女の声とともに、上空に影が差し始めた。上を向くと見たことないほどの札が降ってきているのを目撃した。
「まじか…」
「すごいでしょ!」
唖然とした。開いた口が塞がらないというのはまさにこのことだ。彼女はとても誇らしげな顔をしている。月に射された彼女の顔は、この世のものではないような美しさを表していた。と、同時に何だか不安になってきた。周りに人はいない。しかし、どこかで誰かが聞き耳を立てていたんじゃないか。マルガリータが見えなくとも、しゃべっている私の声は聞かれたんじゃないか。
「帰ろう」
「え、帰っちゃうのー」
私は走った。メロスの走った早さにも負けないつもりで、月の沈む速さの10倍で。アパートまで、15分の道のりも5分までに短縮できた。頭が混乱している、走ったせいか心臓がバクバクいい頭がくらくらする。なれないことはするべきじゃない。カバンからカギが上手く取り出せない。
「おちついてよもー」
「うるさい」
「ほら深呼吸。すってー、はいてー」
「誰のせいでこんなに動揺してると思ってるんだ」
「やれって言ったのはあんたじゃない」
「うるさい、此処までになるとは思わなかったんだ」
「本当、器ちっちゃいわね」
少し、体が冷めて思考が落ち着いてきた。ああ、早く部屋に入って読書がしたい。こういう時は、時間がゆっくりと流れるトーマス・マンに限る。
鍵を開け、私は六畳の部屋に入った。電気をつけ、見慣れたいつもの光景が・・・
「は?」
そこには、何時もあるはずのものがなかった。私が子供のころから集めた文学が小説が詩集が跡形もなく消えていた。そういえば、私は老婆に何と言ったろうか。
「ならば聞こう。何を捨てる。何を犠牲にできる」
「じゃあ、本で」
本て、手元のだけじゃないのね。私は同時に自分の気が遠のいていくのも感じた。本日二度目の気絶であった。
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