第8話 さっくんと小平君

「ちょっと朱美さん、私、今月あんまお金ないんやけどなあ……」


 朱美さんと2人きりになってから恥をしのんで告白した。


「さっきの鍋パの話?」

「うん……」

 ほんと、こんな事言うの恥ずかしい。でも、釘を刺しとかないとすき焼きとか焼肉とかになりそうだったし。


「そっかあ、恵梨香さん、仕送りのみだもんね」

 実家暮らしの朱美さんにはこんな悩みないんだろうなあ。


 鍋パの日程まではまだ決めていないから来月まで待ってもらおう。


「月末に仕送りあるから、出来れば来月にして欲しいんやけどなあ」

「日程の話になったら、なんだかんだ理由付けて引き延ばせばいいよ」

「うん、そうやね……」

 はあ、惨めだ。


「あとは場所だね」

 絶対我が家は嫌だ。鍋も卓上コンロも何も無い。


「小平君とさっくんって独り暮らしなんやろか?」

「さっくんは確か独り暮らしだったと聞いたことがあるけど、小平君はどうなんだろう。今度訊いてみるよ」


 それから数日かけて場所や日程の打ち合わせをグループチャットで行い、来週の金曜日にさっくんの家で行う事が決定した。


 どの鍋にするかでも男子と女子で、と言うよりは男子と私で意見が別れ、牛肉を主張する男子をなんとかやり込め鳥団子鍋にさせた。5月に鍋もどうかと思うけれど、鍋は確かにコスパは良い。


 ある日のランチタイム、午後から講義の無い朱美さんはとっとと帰宅し、私は一人でキャンパス内のベンチでおにぎりを頬張っていた。


「葛谷さん」

「んあ?」

 って、非常にみっともない顔を見せてしまった。やり直しさせて。


「ああ、さっくんさん」

「さっくんさんって、さんは要らないよお」と言って笑いながらコンビニの袋を手に近付いてきた。


「隣いいかなあ?」 

「どうぞどうぞ」

 小柄で少しふっくらしたさっくんは人一人分のスペースを開けて隣に腰掛けた。


「いつも一人で食べてるのお?」

「朱美さんがいる時は彼女と一緒ですね。今日は午前の講義だけだったみたいで帰っちゃいましたけど」

「そうだったんだ。僕も普段は学食で食べたりしてるけどお、今日は天気も良かったしたまたまコンビニで済まそうと思ったら葛谷さんを見つけて、ちょっと特したなあ」

 まあ、そう言われて悪い気はしないけれど。


「いつもおにぎり持参なのお?」とコンビニ袋からおにぎり等を出しながら問いかけてくる。

「はい、お金無いですからね、節約しないと」と恥をしのんで答えた。


「葛谷さん、バイトはしないのお?」

「本当はしないとなんですけど、なかなか踏ん切りつかなくて。それに私いままでバイトの経験とかないし、上手くやれるか自信も無いし」

 世間の荒波に飲まれるのが怖い。ひょっとしたら地元の岐阜の大学にでも進学していたらとっくにバイトも始めていたのかも知れないなあ。


 さっくんは紙パックのお茶にストローを刺しながら、

「バイトはさあ、勿論お金を稼ぐって目的もあるんだけどお、そこで色んな人との出会いもあったりい、友達も出来たりして楽しいんだよお。社会勉強にもなるしねえ」と言った。


 それは解るんだけどね。


「あ! それより、鍋パーティ、お邪魔しますね。場所提供してくれてありがとうございます」

「いえいえ、家もワンルームで狭いけど4人位は大丈夫だよお」

 

「さっくん、独り暮らしって事は実家は神奈川ではないんですか?」

「うん、実家は川越なんだあ」

 川越……シェフかな? 自分でボケておいて恥ずかしくなった。心の中で良かった。


「さ、埼玉県でしたっけ?」

「ピンポーン! 良く知ってるねえ」

 大学生にもなった私が褒められたもんでも無いとおもうけれどね。


「へえ、埼玉かあ、行った事ないなあ」

「超無理そすれば通えるんだけどねえ、独り暮らししたかったしねえ」


「埼玉と言えば暑い所ですよね」

「岐阜の葛谷さんに言われたくないなあ」

 それもそうか。


「暑い県民同士よろしくね、葛谷さん」

 そんな共通点で団結力を高めるのもどうかと思うけどね。


「よろしくおねがいします」と一応答えた。




 午後からの東洋史への講義の為、講義室へ向かっていると、

「恵梨香ちゃん」と言って横に男の子が並んできた。


「小平君」

「恵梨香ちゃんも東洋史?」

「はい」

「今まで気が付かなかったけれど、結構講義被ってるのかな?」

「さあ、どうでしょうね」と言いつつも、他の講義でも小平君を見かけた事がある。だけどそれは言わない事にした。


 講義室に入ると、小平君は当たり前の様に私の隣に座ってきた。

 なんで隣? と思ったけれど、顔見知りなら普通なのだろうか。


「そうそう、鍋パ楽しみだね」と屈託のない笑顔で話し掛けてくる。色素の薄い瞳で見つめられ私は思わず目を逸らした。

 こういう人には気を付けないと。こんな人を好きになったらまた傷付くに決まっている。

 過去の経験が私に警鐘を鳴らした。


「あ、あの、小平君……こんな事言いたくないんですけど、私、全部仕送りに頼ってて、そう言うイベントには毎回参加できないかも知れません」


 小平君は、「そんなこと」と前置きしてから、


「材料は僕たち男が買う。恵梨香ちゃんたち女性は作る。これでいいんじゃないかな?」

 なんかそう言う内容のCMが放送禁止にならなかったっけ? それはそうと、有難い申し出だけれど、ずっとそんな訳にもいかないでしょう。


「俺も、さっくんもバイトしてるし、気にしなくていいから」

 いや、気にしますよ。


「そんな訳には――」

「とにかく、今回は俺が言い出したものだから、今回はそれでいこうよ」

「はあ……すみません」

 うう、情けない。


「あ、そうはそうと恵梨香ちゃん」

「はい?」


「この前、食堂で男の人と一緒にご飯食べていたよね」

 ああ、葛谷さんの事だね。それ以外に学食には行っていないし。


「見てたんですか」

「うん、仲良さそうだったけど……彼は?」

 仲良さそうか……ただ、翻弄されてただけなんだけどね。


「彼は、ええと、同じ岐阜の人で……」

「恵梨香ちゃん岐阜だったんだ?」

 そう言えば言ってなかったかも。


「はい、何ていいますか……まあ、恩人のような人です」

「恩人?」

「はい、まあ、命の恩人とかそんな大そうなもんやないんですけど」

 あ、少し訛ってしまった。聞き逃して。


「そうなんだ……」と言った小平君は随分浮かない顔だ。


「付き合ったりしてるとか?」

 とんでもない。


「いえいえ、そんな関係の人では無いです」と言うと今度はパッと明るくなり、再び、

「そうなんだ」と言った。


 講師の先生が入ってきて私達は会話を終了した。


 この東洋史の講義、本当に眠くなるんだよね。


 春眠暁を覚えず……ムニュムニュ……

 

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