Have a nice day. Have a nice life.

通行人B

Have a nice day. Have a nice life.

 ——ふと何かを感じた。

 それは飲み捨てられた酒缶が乱雑になった部屋を見たから。

 それは数週間後の給料日に丸を付けたカレンダーを見たから。

 それは窓の外が雲が美しく感じる様な晴天を見たから。

 それは残業続きの生活で貰えた一日だけの休日だと思い出したからか。

 窓の外を眺めてから改めて自分の部屋を見渡した。酒缶に紛れて落ちている空のペットボトル。脱ぎ捨てられた衣類。シンクに重なった食器。今まで忙しいからと後回しにし続けたツケが今日に回ってきたのかと感じた。

 自分も含め、何処の誰が見ても此処を汚部屋おへやと呼ぶ惨状に、無意識に乾いた笑いが零れた。


 ——きっと今日は、このままこの部屋で過ごすんだ。


 仕事漬けで趣味を忘れ、

 仕事疲れで笑顔を忘れ、

 仕事苦労で生活を忘れた。

 これから何かをする気力も湧かない。

 これから二度寝をする気力も湧かない。

 これから……


「これからどうするのさ」


 きっと今日は遊ぶ気力が湧かず、とりあえず部屋の掃除をして、適当にご飯を食べて、昼寝をしてそのまま爆睡して……また会社に行く事になるのだろう。

 毎日毎日仕事をして眠る毎日。こんな人生に一体何の価値があるというのか。

 再び窓の外に視線を移した。写真にしても良いと思う程の青空。徐に窓を開けてみれば、心地良い暖かな風が、部屋のよどんだ空気を入れ換える。その空気を肺一杯に吸い込み、自分に溜まった汚れた息を吐き出しては一つの提案が浮かんだ。


「……そうだ。自殺しよう」


 生きてても楽しくないし、きっと定年かクビになるまで働き続け、何も出来ないまま終わるぐらいなら今此処で死ぬのと大差ないのではと思い至る。

 やりたい事が他に無い上、疲れからか正常な判断も出来ない。終いには自身をまるで全肯定してくれる様な青空を前に何を迷うというのか。

 絶好の自殺日和。そうと決まれば開けた窓から身を乗り出し、枠に足をかけた時にふと思い出す。


「……この高さじゃ死ねないな」


 住んでいる部屋は二階に位置する場所。頑張れば死ぬ事は出来そうだが、重傷を負って生き残ってしまう可能性の方が高く思え、かけた足を地に戻した。

 此処では死ねない。もっと高い所で死なないと。そう思い振り返った時、またもや自分の汚部屋が視界に入った。綺麗な世界を見た後に汚い部屋を見ると気持ちがげんなりしてしまう。

 これから死ぬというのに嫌なものを見た。どうせ死ぬのなら清々しいまま死にたい。すぐ様酒缶やペットボトルをゴミ袋に詰め、買って数回しか使っていない食洗機に食器を詰め込む。衣類を拾う最中に埋もれていた掃除ロボットを起動し、洗濯機に衣類を纏めて押し込む。

 ぱっと見はまだ汚く見えるが、数時間後には食器類は綺麗になり、洗濯も終わり、掃除ロボットが部屋を綺麗にしてくれると考えれば及第点とした。やっと綺麗になった部屋に満足し、今度こそ綺麗な景色を前に死ぬ為に家を飛び出し、車に乗り込む。


「さて、何処で死のうか」


 車を運転しながら煙草に火をつけると同時に、昨日禁煙しようとした事を思い出して直ぐに火を消した。


「……いやいや。今日死ぬんだから別に吸っても良いだろ」


 溜息を吐きながらもまた煙草に手を伸ばすも、箱の中は空で、どうやら先程の一本が最後だった様だった。中途半端に口にしてしまったが為にどうしても煙草が吸いたくなる。

 苛立ちを覚えたまま死ぬのは嫌だ。そう考えると近くのコンビニへとハンドルをきった。聴き慣れた入店音を背に、レジに向かうと少し長めの列。ただ並んで煙草を買うのは、待つ間にイライラが溜まる。どうせ死ぬんだし此処でご飯を調達して食べてしまおう。

 菓子に惣菜パン、ジュースに弁当にホットスナック。酒に手を伸ばそうとするも、今の気分では酒まで飲んでしまいそうな勢いだと気がつき、伸ばした手を引っ込めては扉を閉めた。

 籠が重くなり、レジに視線を向ければ先程の列は無くなり、丁度良いと並んではいつも吸っている銘柄を頼んだ。


「合計で五千八百四十五円になります」


 これはコンビニの品々の単価が高いのか、それとも単に買いすぎたのか。まぁいいか。そう呟く様に財布からカードを取り出して支払いを済ませる。

 腹ごなしも終え、煙草の一服も済ませた。後は死ぬだ———


「くぁ〜〜。………昼寝してから死のう」


 普段することのないドカ食いに、普段感じることのない満腹感。同時に糖分の過剰摂取による眠気。このまま運転をしては睡魔が原因で事故を起こしてしまいかねない。

 確実に死ぬ為には仮眠してからの方が良いに決まっている。そう自分に言い聞かせて携帯でタイマーをかける。携帯の操作中に上司からの大量の着信があったが、明日には行かない会社の事を考える気も起きずにそのまま無視をし、目を閉じた。



 さて、どれぐらい眠っていたのだろうか。体を起こして窓の外を見ればため息が出た。


「……びっくりするほど綺麗な星空だなぁ」


 外の世界は青から黒に変わり、白い雲は満天の星空絵と姿を変えていた。青空を前に死ぬ事は出来なかったが、この星空でも十分だと感じた。

 車を走らせ、死に場所を探すと今度はホームセンターが目に入った。どうせ死ぬのだから飛び降りでも首吊りでも一緒か。そう思い、ホームセンターでロープを買った。大人一人ぐらいぶら下がっても問題無さそうなロープに笑みを浮かべ、車で来た道を戻る。


「ただいま」


 長らく言っていない挨拶を誰もいない部屋に告げ、明かりを付ける。出迎えてくれた洗濯機は腹に大量の乾いた洗濯物を抱え、隣の食洗機は油まみれの食器類をピカピカにし、自室に入れば掃除ロボットが部屋の細かなゴミ達を掃除し終えていた。

 出る前とは全然違う部屋に安心して死ぬ事が出来るとまた笑みが零れた。洗濯物や食器類を片付け、シャワーを浴びて汗を流し、最後の晩餐だという様に食べ残していた食べ物の数々と、冷蔵庫に入っていた酒を開ける。酒を飲み頭がふわふわしてくる。昼夜と立て続けの油多めのご飯に満たされていく。

 ゴミを捨て、死ぬ事を決める。窓の外の夜空を前に、携帯でロープの結び方を調べてそれを真似る。しかし何度やっても酒のせいか上手く結べない。溜まったイライラを解消する為に煙草に火を付ける。そうして段々とやっている内に上手く結べていき、完成した頃には既に眠くなっていた。


「……まぁいいや。明日は仕事サボって自殺しよ」


 完成した首吊り用のロープをテーブルに投げては布団を被る。被った時に感じた独特の臭いに、天日干しか消臭剤を振りかけておけばよかったなと思った。



「……朝だ」


 目覚ましが鳴る前に目が覚める。空は昨日と比べて曇り模様。起き上がってはいつもの癖でスーツに着替えて仕事の準備を済ませる。頭の中は既に仕事の事で一杯で、お腹の中は昨日食べた物がまだ残っていた。体調は可もなく不可もなく。ただいえるのは昨日と比べれば良くない方だろう。

 カバンに手を伸ばす時、テーブルに置いたロープを見ては自殺するつもりだったと思い出す。


「……まぁ、既にロープは結んでるんだ。いつでも死ねる」


 ロープから視線を逸らし、鞄を手に取る。通勤路を移動する際、昨日の上司からの大量の着信を思い出しては自殺しておけば良かったなと思った。

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Have a nice day. Have a nice life. 通行人B @aruku_c

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