落日に取り残されて
遊月奈喩多
宵風を受けながら 月奈
そうだ、もう飛び下りてしまおう。
決めたきっかけは、何なのか意識してもちゃんと思い出せないくらい些細なもの。きっとわたし自身でさえ、昨日や明日、ううん、今朝とか今日の夜とかに同じことがあったってこんなことは思わなかったに違いない。
本当に突然、見下ろした夕焼けに誘われるみたいに、そう決めた。
「ねぇ待ってよ! 待ってってば!!」
夕暮れの景色に響きわたる声が後ろから聞こえてきて振り向くと、そこには同級生の
うんうん、それでいいんだよ。
あんたはそこで遠巻きに見ていたらいい――あんたには、わたしだけじゃないんだから。あんたはこんなところまで来なくていい、ただ辺り構わず照らして回って、光をより眩しく、影をより濃くしてしまえばいい。
そうやって絶望する誰かがいるなんてことなんて知る由もなく、ただ眩しいままでいたらいいんだ。ていうか、知ろうとしないで。全部知ろうなんておこがましいとは思えないのかな。
もちろん、そんなわたしの気持ちだって晴香にはわかるはずもない。晴香みたいにいつも明るくて前向きな子に、わたしの気持ちなんてわかるわけがない。
だからひたすらに叫んでくる。
懇願するように、流れる涙を
「
いっそ滑稽にも聞こえる、悲痛な声。
できることなら何でもする?
どんなこと言われるかわかんないのに、それは無責任じゃない? しかも周りの友達まで巻き込むつもりなの、いくらなんでも頭お花畑過ぎ。
わたしは、そんなあんたに――――ううん、こんなの言っても仕方ないよね、それだってわかってる。あんたに何かを、
太陽みたいに明るくて、眩しくて、そして傲慢。
「ならさ、」
だから無駄なんだって。
わかってるのに。
「一緒に来てよ」
「え、どこに?」
晴香が応えてくれるわけないって、知ってる。
だって晴香は、みんなのものだから。
「下」
「え?」
知ってるのに、どうしてだろう。
その顔が困惑に曇るのを、見たかったのかも。
「一緒に落ちてよ、わたしとここから」
「……え?」
ほらね。
そんな簡単に『何でも』とか、言っちゃ駄目なんだよ。よく覚えておいてよね。
顔を
下から吹き上げてくる生ぬるい風が足を
もう戻れない――そう思ったからか、ずっと言えなかったようなことさえも、今だったらはっきり言ってしまえそうで。
「ねぇ、晴香」
「……なに」
「わたしさ、晴香のこと好きだったよ」
「…………」
「なんて知ってるよね、前にも言ったし」
まだ暖かくなる前、春の訪れを待ち疲れた空から零れ落ちたような雨にとじこめられた、放課後の教室で。
晴香とふたりきりになったのは偶然。何とはなしに溜まるストレスに疲れきって雨空を眺めていたわたしのところに、晴香が忘れ物を取りに戻ってきて。
『すごい雨だよねー、もしかして傘忘れた?』
屈託のない笑顔で話しかけてくるその顔がどんな風に変わるのか、ちょっとだけ気になって――そんな口実で自分の背中を押して、わたしはいつからか晴香に募らせていた想いを伝えたのだ。
「あんたさ、あのときわかってたよね」
「え?」
「わたしがどういう意味で晴香のこと好きって言ったか、わかってたでしょ? みんなみたいに友達としての好きじゃないって――あのままキスして、机とか床とかに押し倒して、嫌がったって構わずにめちゃくちゃにして、わたししか知らない傷をつけちゃいたいくらいの好きだって、わかってたでしょ」
あの日、晴香は目を逸らした。
敢えてピントのずれた、『わたしも月奈が好き、みんな大事な友達だもん』と返してきたのだ。今みたいに、少し強張った顔のまま笑って。
「そ、そんなこと……だってそんなの、ありえないでしょ」
「晴香さ、嘘つくときとか無理して笑ってるときとか、親指を手の中にしまうよね」
「え」
「まぁ、別にそんなことで死のうと思ったわけじゃないから安心して。わたしがこういうの決めたのは、たぶん……そういう気分になったからだし」
そう、別に晴香のせいじゃない。
そこまでこの子に支配されてない。
生殺与奪まで握られるような恋なんて、してるわけない。
心だけならまだしも、命までなんて握らせてあげない。
いろんなことがある。
わたしの知らない晴香がいるように、わたしにだって晴香の知らないわたしがいる。この子は自分の知る範囲のわたしだけを見て何とかしようとしてるのかもしれないけど、そんなのはただの傲慢だ。そういう苦しいくらいにまっすぐさが魅力で、そういうところが嫌い。
あんたなんかが知らなくていいことだって、いっぱいあるの。
知ろうとして、余計な泥被んなくていいから。
晴香はそのまま、太陽みたいな晴香でいてよ。
「うん、それだけなんだ」
「なに言ってんの月奈、そんなこと急に言われたってわかんないし、気分ってさ、ねぇ! 待ってよ! まだあたしたち全然お互いのこと、」
「知らなくていいってば。そんなことしたら、晴香が苦しくなるだけだよ」
容易に想像できる光景。
わたしの置かれた状況なんて知ったところで、晴香にできることなんてほとんどないし。それで胸を痛める姿は――ううん、それで悦に浸るようなわたしでいたくなかった。
だから、そうなる前に。
ありえない、夢想した光景で立ち尽くす晴香の姿に背中を押されるように、わたしは足を虚空に踏み出した。
息ができなくなるような空気抵抗に蹂躙される最後の瞬間、わたしを見下ろす彼女の顔を見ながら、たぶんわたしは笑っていた。
あぁ、そうなんだ。
できたんだ。
なんだ、全然眩しくない。
どうしちゃったの?
できたってことなのかな。
あんな太陽みたいな子を、わたしなんかが翳らせることができ
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