〈9〉

 四月の半ばの空気は爽やかだった。日差しが燦々と降り注ぎ、昼間のこの時間帯には若葉の匂いもした。人気のない中庭へと行き、授業中のクラスの死角に入るように隅っこへ寄って、ベンチに腰かけた。すると不思議と落ち着いた。


「ごめん……。私、また馬鹿やっちゃって……」


 夕莉がぐずると、佳純は母のように背中をさすり続けた。


「……私たちね、小さい頃は、特に仲良かったわけじゃなかったの」


 佳純が「うん」と相槌を打ってくれる。その優しさにすべて委ねようと、夕莉は洗いざらい話した。


   ○


 二人は手のかかる子どもだった。四六時中泣くし、すぐにお腹を壊すし、ミルクは吐くし、双子だったせいか、両親は軽い育児うつになりかけていた。

 父方か母方か、今ではもう覚えていないが、祖母が「こんなに泣くのはおかしい。どこかが悪いのかもしれない」と言って、両親は二人を病院へ連れて行き、検査を受けさせた。


 そこで初めて、夕莉は慢性的な頭痛、翠は喘息発作と知らされた。

 五歳になる頃だった。


 夕莉の頭痛と翠の喘息は、たいてい夜中に起こった。

 両親が電気をつけて二人の看病をした。母が夕莉たちに街の夜景を見せた。すると二人とも大人しくなり、なぜか症状も治まった。

 それ以来、両親は子どもに言い聞かせた。


「あなたたちは、ほかの子より身体が弱いのだから、お互いに助け合って生きていきなさい」と。


 小学校に上がった時、二人はいつどんな時でもくっついていた。相手に何かあった場合、すぐに助けられるようにと。

 しかしクラスは、別々になった。

 一年生の二人は頻繁に体調を崩し、まったく同じタイミングで保健室へ行ったり、学校を欠席したり、遅刻や早退を繰り返した。

 朝八時半から昼の三時まで体力が持たないのだった。

 二人はだんだんと衰弱していき、二年生になる頃には「病弱兄妹」と学年の名物にされて、有名になってしまった。

 二人は―少なくとも夕莉のほうは、ますます互いに依存していった。代わりにノートを取ってくれる友達も、教科書を見せてくれるクラスメイトも、いなかった。勉強に遅れが生じた。もう何もかもどうでもよかった。


「お兄ちゃん、もう死んじゃおうよ。そのほうが楽だよ」


 熱にうなされて、部屋のなか布団にくるまっている時、夕莉は隣のベッドで寝ている翠に助けを求めた。

「死」とは、助けだった。


「こんなポンコツの身体、捨てたいよ。生まれ変わりたい」


 他人はいつだって冷たかった。夕莉と翠に理解のある接し方をしてくれる者など、いなかった。生徒も教師も同じだ。自分をわかってくれるのは、親とこの片割れだけだ。


「うん。いいよ」


 翠が苦しそうに咳をしながらも、そう答えたのが聞こえた。

 夕莉は翠と見つめ合った。

 彼の目にはちゃんと自分が映っていた。


「いつか死のう。絶対に」


 翠は、はっきりと言った。


「……いつがいい?」


 夕莉が泣きながら問うと、翠は天井を見上げた。


「小学校を卒業したら」

「……わかった」


 二人は死ぬことを誓い合った。

 具体的な日にちは特に決めなかった。ある日ふと、兄が「そろそろ死のうか」と言ってくれるのを、今日に至るまで待っていた。

 中学生になれば死ねると思った。卒業式には出なかった。まるで運命のように二人とも病状が悪化したからだった。


 両親が学校を下調べして、このデイケア学級がある場所を見つけたのは、二人が死を決意してからしばらく経ってからだった。

 デイケア組には受験勉強がない代わりに、面接と診断書が必要だった。

「ここに入れば生きるのも少しは楽になるよ」と両親が優しく諭してくれるのを、夕莉はただただ申し訳なく思った。

 自分たちはもうじき死ぬ。兄が合図を出してくれる。だから他人などいらない。自分たちに未来などないのだから。


 しかし兄はいつの間にか変わっていた。

 生きる決意をしていた。

 夕莉にも気づかれないほど、一人で生きようとし始めた。


 私は一体どうなるの?


 叫びたくなった。この激しい感情をどこにぶつければいいのかわからなかった。怒りなのか悲しみなのか憎しみなのかもわからないまま、夕莉は佳純に、昔の話を打ち明けていた。


   ○


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