第2話
下降していたエレベーターの足元が、とつぜんガクンと衝撃を受けて上下に激しく揺れた。とたんに辺りは真っ暗になる。「きゃあ、なんなの地震?」受け付け嬢が雄たけびをあげて俊郎の背広にしがみつく。
「停電だ」
「いやあ怖いわ」二人はひしと抱き合い、奈美子は壁にへばりつき、おばさんは床にしゃがみこんだ。エレベーターが動いている気配は感じられない。灯りは消えたままだ。不気味な静寂がよぎるなか、奈美子は手探りで開閉ボタンや階数表示ランプを押しまくった。非常時用のスピーカーも試してみた。が、回線がパンクしているのか混線しているのか、いくら呼び掛けても返事がない。
「だめですかあ」掃除のおばさんが奈美子に不安げに訊く。
「応答ありません。あ、そうだ。誰かケータイ持ってませんか、私きょう家に忘れてきちゃって」美奈子の質問に「え~」という叫び声があがる。俊郎と受け付け嬢だった。
「おれのケータイ電池切れてるから車に置いてきた」
「きょう会社に化粧ポーチ忘れて、取りに寄ってもらったのよ。バッグもケータイも彼の車のなかにおきっぱなしにしちゃった」
つまり二人は仕事帰りではなく、デートの途中に会社に立ち寄ったのだった。彼らのケータイは俊郎の車の中で、今この場所にはないのだ。とすると残るは・・
「私も持ってませんよ」掃除のおばさんが、申し訳なさそうに言った。
「もともと持ってないんです、あまり必要ないですから」こうなると事態は深刻である。ライターかペンライトがあれば簡易的な灯りになるのに、それもない。急にあせっても皆でおもいきり扉や壁をたたいてみるが、反応は全く返ってこない。不安にせきたてられ、しばし大声で叫んだり壁をたたく蹴るを繰り返してみた。
「もう誰もいないのかしら」
「ここはいったい何階なんだろう」
「何が原因で故障したのか」疲れきって床に座り込んだのちの四人の会話は疑問符だらけだった。真っ暗な密室で、しかも真冬だから冷える。おまけに水も食糧もない。そして疑問符の解答は宙に浮いたままなのだ。
床は硬くて氷のように冷たい。おまけ生ゴミと受け付け嬢の香水がブレンドした異様な臭気が鼻をつく。今日はなんて運が悪い日だろう、と美奈子は思った。しかし、じたばたしてもどうしようもない、助けが来るのを静かに待つしかないのだ。
「あのう、私一人暮らしなんですけど皆さんは?もし家族の方がいたら心配して警察に届けてくれるんじゃないですか」美奈子は闇を見渡し誰へともなく問い掛けた。
「私、姉と一緒なんだけど今晩から姉はスキーに行ってあさってまで留守だわ」と受け付け嬢。
「僕は自宅だけど一晩や二晩帰らないことザラだから気にしないだろうなあ」と俊郎。つづけて掃除のおばさんがぼそりと言った。「うちの亭主は朝までマージャンですよ、帰って私がいなくても酒かっくらって勝手にバタンですわ」受け付け嬢が大げさな声で「え~信じられない。奥さんいないとフツー心配しません?」全然しませんと、おばさんが躊躇なく答えると、受け付け嬢と俊郎は「おばさん可哀相」
「ひどいダンナだねえ」としきりに騒ぐ。「ダンナが俊クンみたいに優しかったらいいのにね」
「エミちゃん寒くないかい?もっとこっちにお寄り」
「うわあ、俊クンあったか~い」いちゃつく二人を無視して奈美子とおばさんは黙り込んだ。憧れの君とその彼女が同じエレベーターに乗り合わせたのは、奈美子にとってはさらなる不運といえよう。悪臭漂う闇のなか、寒さと空腹にくわえ不安と嫉妬にさいなまれながら逃げ場がどこにもないのだ。
「もうどうすることも今はできませんから、とりあえず休みませんか」遠慮がちにそう言ったのは掃除のおばさんだった。発情期のつがいの猫のような俊郎と受け付け嬢ことエミに耐えかねて提案したにちがいない。
「枕や毛布もないのに眠れないわ」
「ぼくが膝枕して暖めてあげるから、エミちゃん」二人はえんえんと馬鹿な会話を続けている。
「あ~ん腰が痛い、俊クン」
「どこどこ?なでてあげるよ」
「そこよ、そこそこ」うんざりと両耳を押さえて横たわり、奈美子はいつしか眠りに落ちていった。
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