5.ブルーベリーマフィン
すれ違う使用人みんなに律儀にただいまと声をかけ、レンフォルツはすたすた歩いていく。その足取りに迷いはない。当然だ、ここは彼の家だから。
レンフォルツの足が止まった。扉をノックし、返事を待たずにすたすた入っていく。
ユールは一歩入ったところで突っ立っていた。中は見るからに女の子の部屋という雰囲気だ。ずかずか入りこむのはさすがに気が引ける。
「起きてるでしょ。出てきて」
奥のベッドの前に立つ背中が見える。と思うと膨らんでいた小山がばさっと音を立てて崩れた。現れたのは見覚えのある少女だった。
「勝手に入ってこないで!」
「僕はちゃんとノックしたよ」
「もうわかったから! 全部私が悪いんでしょ。今度謝る……」
レンフォルツの肩越しに彼女と視線がぶつかった。オリーブグリーンの双眸が丸く見開かれる。直後、少女は悲鳴をあげて布団に潜った。何か叫んでいるようだが声はくぐもってよくわからない。
「今度じゃない、今だよマルガ。約束守るって言ったよね」
静かに、だけど反抗は許さない響きがレンフォルツの声にはあった。ややあって少女がそろりと顔を出した。観念したらしい。
レンフォルツはユールを手招いた。遠慮がちに歩み寄ると彼はユールと少女の間に立った。
「あらためて紹介するね。妹のマルガレテ」
「ああ、うん、妹……。今見ててそうなのかなぁとは」
「ほら、マルガ」
せっつくレンフォルツを恨めしそうに見上げたマルガは渋々ベッドを降り、隣に並んだ。あんまり似てないよなぁと思っているとマルガがあっと声をあげた。指がユールの手元をさす。
「それ、導きの……!」
大事に持ってきたのはさっき摘んだ釣鐘草だ。仄かに光を放つ白い花弁をよく見れば、それがまるで命の息吹のようにゆっくり明滅しているのもわかった。
ユールからマルガへ釣鐘草が渡った。両手で慎重に受け取ったマルガだったが次の瞬間花の中から小さな光が飛び出した。それはふわりと飛んでいく。
「……ホタル?」
「ごめんね。ウィンザールと粘ったけど見つけられなかったんだ」
「僕はきっと見つかるって確信したよ。また行こうね。次はちゃんと準備して」
にこにこ楽しそうなレンフォルツにユールは笑ってお茶を濁す。
釣鐘草に目を落としていたマルガは姿勢を正した。ユールをまっすぐ見つめ、しおらしく頭を下げた。
「……ごめんなさい。昼間は言い過ぎました」
「ああ、いや平気。オレも考えなしだったのは本当だし。だからマルガちゃんも、……」
つい口許を覆っていた。マルガはレンフォルツの彼女ではなく妹だった、その事実を認識するほど嬉しさが込み上げる。いや、あいつが兄というのもそれはそれで複雑なのだけど。
「僕からも謝るよ。聞いたとき本当に腹が立ったんだ。それに悲しかった。お詫びにできることがあったら何でも言って」
「ウィンザールに言われても」
「言ってくれた方がマルガの気持ちも楽になるから。何かない? 身勝手なお願いだけど」
兄妹揃って「待て」をされた子犬のようだ。純真な目で見上げてくるのは勘弁してほしい。
扉がノックされ、赤い髪の女性が入ってきた。
「ここにいたの。部屋にいないからどこに行ったかと思ったら」
優しそうなオリーブグリーンの瞳がレンフォルツに、次いでユールに向けられた。慌ててお辞儀をするとその目が柔らかく綻ぶ。髪色はレンフォルツ、瞳はマルガと同じ。雰囲気からして母親だろうか。使用人と一緒にお茶の用意をてきぱき済ませ、「今後ともよろしくね」と笑って出ていった。
ユールの目はお茶請けの焼き菓子に留まった。ブルーベリーのマフィンに手を伸ばす。
「これ、この間ウィンザールがくれたやつ。作ったのって今の人?」
「えっお兄ちゃんどういうこと!?」
マルガがなぜか眉根を寄せ、頬を赤く染めていた。レンフォルツはにこにこ微笑む。
「マルガの手作りだよ。食べてくれたんだね」
「マルガちゃん?」
おうむ返しに尋ねれば少女がこくりと頷いた。瞳に浮かぶ不安の色が濃い。ユールは口角を持ち上げた。
「もう一回食べたかったんだ。外側も美味しかったけど中のチーズクリームがすごく絶品で。隠し味はレモン?」
「――入ってます!」
「オレは好きな味」
ひとくち頬張る。前に食べたときと同じ、ブルーベリーの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。チーズクリームの爽やかな酸味もちょうどいい。
そうだ、とユールは閃いた。
「今度一緒にカフェ行こうよ。まずは学園のお店から。どう?」
「……それなら」
「わ、カフェかあ。楽しみだなぁ」
「ええ、ウィンザールも一緒?」
やっぱり前途多難かもしれない。乾いた笑いをこぼしたユールは、まあそれもいいかと思い直すのだった。
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