濃霧

 「富竹さん、今日はどこかお出かけかい?」


腰の曲がった年老いた隣人が隣家の庭から話しかけてきた。


両腕を背中に回し、顔を上げて、私を柵越しに見ている。


「ええ、今日は妻と娘の3人でハイキングにでも行こうと思いまして」


私は自宅の庭から隣人に答えた。


「今日は天気も良いから、ハイキング日和だいね」


「そうですよね、このところはしばらく雨続きでしたから、今日は晴れて良かったです」


隣人と話していると突然、獣の息遣いが聞こえてきた。


ワンワン!


隣家の飼犬が柵の向こう側で私を見つけて駆けてきて吠えた。


私の体がびくんと小さく跳ねる。


その犬は私を見て、尻尾を振っている。


「これこれ」


隣人はぎしぎしとした膝をゆっくりと曲げて屈むと、犬の頭を撫でる。


犬は大いに喜びを全身で表している。


尻尾を素早く振り、両手両足で地団駄している。


遂には、背を地面につけて、隣人に腹部を見せている。


隣人はその犬の腹部をわしゃわしゃと撫でる。


犬は目を見開いて、その隣人の撫でる手を見る


興奮のあまり、隣人の撫でる手を甘噛みしている。


私が体を固めていると、背後から妻が近づいてきた。


「こんにちはー」


妻は隣人に、ちょんと会釈をしながら挨拶した。


「はい、こんにちは」


隣人は犬を撫でながら、妻を見上げて返す。


私は隣人との会話を妻に任せて、この場から離れた。


私は庭に駐車している車へ向かう。


「お父さん、私、これも持ってきたよ」


娘はピクニックシートを抱えていた。


「こんな重たい物も持てるのか、凄いな」


私はそう言いながら、娘からピクニックシートを受け取った。


「うん!」


娘は頬をぎゅっと上げて笑顔を溢すと、家の中へ駆けていった。


娘は率先して、荷物を運んできてくれている。


私はピクニックシートを車に積む。


家の壁に反響して、妻と隣人の会話が聞こえる。


会話の内容ははっきりと聞こえないが、妻が笑っていることはわかる。


 荷物を積み終える頃、妻が戻ってきた。


「ごめんね、話が長くなっちゃった」


妻が私と娘に言う。


「いや、助かったよ。犬はどうしても苦手で、吠えられるだけで何を話していたかも忘れてしまうから」


私は妻に言う。


「うん、だと思って、会話に加わったの」


妻は胸を張って、私に見せつける。


「あ、感謝の押し売りか。でも、本当にありがとう」


私は微笑みながら言う。


娘は妻の姿を見て、胸を張って真似をする。


私と妻はその娘の姿を見る。


その娘の愛くるしい姿に私と妻は目を合わせて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る