大人の童話集
西東友一
禁忌の果実。生まれ変わる白雪姫
私を殺したいほど憎んでいる人がいる。
母だ。
理由は世界一美しいのが母から私になったかららしい。
私は悲しみながらも王宮から逃げ出し、母と別れ、森に向かった。
一人では生きていけないのはわかっていたけれど、王宮にいれば1日もしないうちに殺される。
それくらい母の憎しみの炎は一緒にいる私の心を焼け焦がすほど大きかった。
夜の森は怖かった。
見知らぬ夜の森。
狼の遠吠えや、フクロウの視線。
けれど、母と一緒にいること、母の憎悪を隠し切れない声、母の殺意の視線に比べればいくぶんかましだった。
夜の森は時間の流れを忘れさせた。
だから、どのくらい歩いたのか、どこに向かって歩いていたのかわからなかったけれど、7人の小人さんが暮らす家へと着いた。
私は彼ら7人の小人さんたちに出会い、彼らと仲良く暮らしていた。
彼らは傷ついた私の心を和ませ、そして励ました。
けれど、私は夜になると王宮での暮らしや、母のことをときどき思い出しては泣いていた。
私が彼らとの8人の暮らしに慣れ始めた頃、訪問者が来た。
初めての訪問者は、老婆だった。
どこかで会ったことがあるかと尋ねたけれど、彼女は初めてだと言った。
怪しい女性、私はそう思った。
私はリンゴを食べた。
私は罪を知った。
別にそのリンゴは老婆から盗んだわけでも、奪い取ったわけでもない。
その老婆が自ら私に授けてくれたのだ。
怪しい老婆からの贈り物。
普段であれば、私は食べなかっただろう。
けれど、そんなことなど些細に感じさせるくらいリンゴは魅力的だった。
光と影を兼ね備えたリンゴ。
赤みは真紅でとても熟して甘そうなリンゴ。
それでいて、わずかな太陽の光の下でも光り輝き新鮮さを表すリンゴ。
私は老婆のことなど忘れて、リンゴを口に運んだ。
まるで、世界が私とリンゴしかないような感覚。
(あれ・・・どこかで・・・)
見た目も素晴らしいリンゴだったけれど、私は吸い寄せられるようにリンゴを口に運んだ。まるで、そのリンゴが私に食べられることは必然のように。
噛んだ瞬間。
「んっ」
私は死んだ。
一度だけではない。
何度も何度も、私の人生が生まれては死んで、生まれては死んで・・・。
私はこれまでの12年間で味わったことのない感情に溢れる。
生・老・病・死。
愛する者と別れる悲しみ。
恨み憎んでしまう人と出会うもやもや。
欲しいものが手に入らないもどかしさ。
思い通りに振る舞えない自責の念。
(なんで、こんなにも苦しまなければならないの・・・?)
繰り返す人生の最後。
私はリンゴを食べようとしている。
(だめ、そのリンゴを食べては・・・)
さきほどのリンゴ。
深淵の赤みを持ち、神々しい輝きを持つリンゴ。
全ての始まり。
原始の私は12歳の私よりも少し大人で、豊かな暮らしを象徴するように豊満な成熟しきった身体だったけれど、心は純真無垢だった。
そして、この頃覚えだしてきた、羞恥心を覚えていない私は裸だった。
先ほど老婆を少しは疑っていた私だったけれど、この時の私はヘビの言うことを信じて、偉大なるお父様の言いつけを破ってリンゴを食べている。
その瞬間、私に負の感情が溢れかえった。
私は自分に自信があったけれど、自分の身体を恥じるようになった。
知りたくなかった感情と知識。
辛い、辛い、辛い―――
この罪はとても一人では抱えきれない・・・。
「アダム・・・ごめんなさい」
私は原初の罪を思い出し、人生が辛くなり、抱えきれなくなって眠るように死んだ。
老婆の卑しい笑いはどんどん遠くなっていくけれど、母の声のような気がした。
◇◇
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・)
永劫の謝罪。
何度謝っても、許してくれないだろう。
誰が?
私?
彼?
お父様?
それとも・・・すべての人類?
エデンを捨てる原因を作ってしまった私。
母が私を憎むようになってしまったのも、私のせい。
優しい小人さんたちが働かなければならないのも、私のせい。
悪い人たちが悪くなってしまうのは私のせい。
いい人たちが辛い思いをするのも私のせい。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・)
私は謝りながらも暗闇に引きこもった。
謝罪をする気はあるけれど、過去・現在・未来の全人類から糾弾されるのは私には耐えられない。
だって、一人で怒られるのが嫌で、愛する人にも罪を負わせてしまったのが私だから―――
彼は泣いている原始の私を見て、駆け寄った。
蛇を追い払い、泣いている私の背中をさすりながら傍にいてくれた。
彼は私の話を聞き、一緒にお父様に謝ると言って、きっと大丈夫だと私を慰めてくれた。
それでも、私は泣いていた。
知恵の実を食べた私には、お父様の怒りという感情がわかり、あなたはその感情がわからないからそんなことを言えるのよ、と言った。
彼は言った。
「僕は、神よりも君を選ぼう」
彼の微笑みは慈愛に満ち溢れていた。
私が何を恐れ多いことを言っているの、と言うのも無視して彼は食べた。
残ったリンゴを。
芯まで残らず。
私が一口食べてこんなにも溢れた知識と感情。
残らず食べた彼は・・・。
苦しむ彼。
なんて、愚かなことを、と今度は私が彼に駆け寄った。
でも、嬉しかった。
スパイスは悪魔の与えし産物。
こんなにも不安なのに、その不安が私の彼への愛を過去最大に燃え上がらせた。
来た。
私たちが抱きしめ合いながら、満たされる愛と罪が溢れてい止まない中、お父様が来た。
お父様は私を怒った。
騙されたとはいえ、私がお父様の言いつけを破ってリンゴを食べたから。
お父様は彼を激しく怒った。
世界が割れてしまうのではないかというくらい激しい怒りだった。
リンゴを食べればどうなるかを知った上で、神よりも私を選び、自ら残りのリンゴを全て食べ切ったから。
私たちはエデンの園を追放されて、苦しみと悲しみに溢れる荒野へと放り出された。
何もない世界。
遊んでいては食べ物にありつけない世界。
生物を超えて殺し合わなければならない世界。
そして、人間同士で殺し合わなければならない世界。
私は目を閉じた。
そんな世界で、命を落とす人々を見たくないから。
私は耳を閉じた。
そんな世界で、悲鳴や非難の声を聴きたくないから。
私は口を閉じた。
そんな世界で、こんなにも微力な私の声は届かないから。
この世は・・・地獄だ。
(でも・・・最後に・・・彼に会いたい)
流れ星。
いや、私の涙がスーッと流れた時、奇跡が起きた。
奇跡ではない、必然。
神様のせめてもの情けかもしれない。
悲しみしかない暗闇の世界に光が広がる。
その光は私の唇から溢れ出す。
全身に優しい光が広がっていき、指先にまで広がっていく。
私はゆっくりと目を開ける。
ピントが合わないので、何度か瞬きをする。
(だれ・・・っ?)
トックンッ
私の心臓が高鳴り、止まっていた時間が動き出した。
全身に駆け巡る光と血液は私の白い肌にも赤みを差した。
「お目覚めですか、姫」
王子だった。
ううん、運命の人。
愛する人に出会うのは、なんて素敵なんだろう。
優しい人と一緒にいれることは、なんて幸せなんだろう。
求めた愛が手に入るなんて、なんて嬉しいんだろう。
彼が目の前にいて触れるのは、なんて満たされるのだろう。
私は目を覚ますと、ほとんどの前世の記憶が消えていたけれど、それだけは覚えている。
私は、彼が好き。
彼も、私が好き。
―――私たちは共犯者。
彼が出してきた手に私も自分の手を添える。
彼はそのまま私を抱きかかえる。
お父様は何もない世界から「光あれ」と言って世界を作った。
私たちは愚かな人間だ。
そんな簡単に世界は作れない。
けれど、彼となら少しずつでも、何回でも築き上げていこう。
幸せの満ち溢れた、私たちのエデンを。
私たちは知っている。
苦しみからの爽快感を。
悲しいからの嬉しさを。
絶望からの希望を。
困難からの達成感を。
こんな世界だからこそ、愛する人と一緒に入れる幸せを。
Fin
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます