夢かと思うほどファンシーでラブリー
ゴオルド
前編
痩せぎすの中年男性が悲鳴を上げながら空から降ってきたけれど、カロリーナもチャドも驚きはしなかった。
男は淡く光るグリーンの道路に腹ばいに叩きつけられ、あたりにぽわんぽわんと音を響かせ、その振動で街路樹を揺らした。が、すぐに立ち上がり、自分の体をまさぐって、どこも怪我をしていないことを確認したら、目の前に立っているカロリーナたちに掴みかからんばかりの勢いで尋ねた。
「ここはどこだ」
「火星ですよ、せっかちさん」
男のほうがおっとりとした口調で答えた。まだ若い、どこにでもいそうなアジア系の大学生、そんな印象の男だ。
「どうして俺が火星に、さっきまで地球にいたのに、何で空から降ってきたんだ、どうして怪我一つしていないんだ、ここは何だ、地球の自然公園か何かにしか見えないじゃないか、いや違う地面が普通じゃない、おまえらは何者だ、もう訳がわからない」
男が地面をかかとで蹴りつけると、ぽわんと音がして、街路樹が揺れた。
「ねえ、落ち着いて。そんな一気にまくしたてないで。質問は一つずつ片付けていくほうがいいわよ」と女。こちらも若くて、やっぱりどこにでもいそうな平凡そうな女だ。
「まず自己紹介しましょう。はじめまして。僕はチャド。地球にいたころは、アジアの南のほうに住んでいました。今は火星のハピハピランド市に住んでいます」
「火星のは……はぴ」なんだかその地名を口にしたらものすごく頭が悪くなる気がして、男は顔をしかめて言葉を飲み込んだ。
「私はカロリーナ。ヨーロッパの東のほうに住んでいたけれど、今はチャドと一緒に暮らしてるの。私たち、今デートしてたのよね。腕を組んでおしゃべりしながらお散歩してたら、あなたが降ってきたのよ」
若いカップルは、空から現われた男が名乗るのを待った。しかし、男は不機嫌そうに黙り込んだままだ。
「あの、お名前は?」
仕方なくチャドが尋ねると、ぶっきらぼうに「ハラダ」と答えた。
「ハラダさん、火星へようこそ」
「火星へようこそ。ここは楽園よ。おめでとう」
「おめでとうじゃねえよ。何だよ、おれは火星に来るつもりなんてなかった」
これにはさすがにチャドもカロリーナもびっくりした。
「でも待って、ここに来られたってことは、UFOキャッチャーにキャッチされたからよね。来たくもない人がキャッチされるなんて聞いたことがないわ」
ハラダはぎくりとした。火星の話は地球でも有名だ。まず、ここには普通には来られない。宇宙飛行士が乗ったスペースシャトルなんかでは絶対にたどり着けない宇宙の聖域なのだ。古来より正しいとされる火星への行き方は、火星人が飛ばしているUFOキャッチャーに捕捉され、拉致されるというのものだ。
どのような人間が拉致されるのかは実はわかっていない。ただ、屋外で走っていると拉致されやすいという噂だ。そのため、火星行きを狙う連中は日夜ジョギングに励んでいる。そして当然だが拉致されたくない人間は屋外では走らない。地球ではもう子供は外で遊べない。まあ、屋内なら子どもも老人も安心して走れるから問題はない。地球には体育館もジムもあるし。
ところでハラダは火星行きなんて望んでいなかった。しかし、拉致されたとき確かにハラダは走っていた。それで火星人に目をつけられたに違いない。なぜ走るはめになったのかというと……。
「ああ、わかったわ。ハラダさん、悪い人なんでしょ。そういう人、たまに降ってくるのよ」
カロリーナがあっけらかんと言い放った。
「なるほど、罪人でしたか。人を殺して逃亡している最中にキャッチされちゃったんですねえ」
思わぬ容疑に、ハラダは思わず反論した。
「俺は殺人なんてやらねえよ。ただ、追われていただけだ」
宝石店へ盗みに入ったら些細な事故を起こしてしまって、警報が鳴り、警備員がかけつけ、警察もやってきた。遺憾ながら何も盗らずに逃げていた途中、体がふわっと浮いたかと思ったら、火星の空から落下していた。ほんの一瞬の出来事だった。
ハラダはだんだん冷静さを取り戻してきた。火星に来てしまったのはイレギュラーだったが、警察に捕まったわけじゃない。つまり、まだヘマはしていないと言ってもよいとハラダは考えた。俺はひょっとしたらツイてるのかも。刑務所行きよりは火星行きのほうがマシに違いない。
「殺人犯じゃなかったんですねえ、まあそうだと思ってましたよ、あなたいい人そうだから」チャドは何がおかしいのか、ふふふと笑った。「何にせよ逃げきれてよかったですね」
「もし地球に帰りたくなったなら、火星人が戻してくれるから安心して。ホームシックになる人、結構いるのよ」
「故郷から遠く離れ暮らすというのは、案外ストレスなものです。たとえ自分で望んで離れたのだとしてもね」
「本当にそうね」
カロリーナは少し寂しげに笑ってチャドの背中に手をまわし、チャドは彼女のこめかみにキスした。
ハラダは戸惑った。殺人犯ではないが追われていると打ち明けたのだから、二人はもっと違う反応をするものと思っていたのだ。例えば嫌悪するとか、怯えるとか。たが、このカップルはそんなことはちっとも気にせずに熱い抱擁を交わしている。なんなんだこの二人は。頭でもおかしいんじゃないのか。ハラダはいらいらしてきた。
おじさんの不機嫌オーラを察知したカロリーナが振り向いた。
「あら、ハラダさんのことをほったらかしだったわね。話の続きをしなくっちゃ。ええと、あなたが空から降ってきた理由は、<太陽の穴>から火星に落っことされたから。あそこが、この星唯一の出入り口なの」
ハラダはカロリーナの指さす方向、真上を見上げた。鮮やかなコバルトブルーの空に真っ黒な穴が浮かんでいる。まるで黒い太陽のようだ。
「火星って壺の中に入っているじゃない? あの黒いまんまるがその壺の口の部分ってことね。火星人は拉致した地球人をあの穴からぽいっと放り込むのよね。あと、地面に激突しても怪我一つしていないのは、道に敷きつめられたウッドオパールがあなたの衝撃を吸収したから」
「オパールだって!?」
ハラダは思わず叫び、慌てて足元を見た。グリーンに輝く大小の石が、道にびっしりとはめ込まれている。
「なんてことだ。オパールを道に埋めこむバカがいるなんて思いもしなかった。これなんてすごく大きいぞ、30センチはありそうだ。売ったら幾らになるか想像もつかないが、とんでもなく高額なことは間違いない」
ハラダはしゃがみ込み、オパールをはがそうと爪を立てた、しかし、がっちりと地面に埋めこまれており、ぴくりとも動かない。
「宝飾用のオパールじゃなくて舗装用のウッドオパールですよ。なんでも園芸マニアの火星人が、地球の菩提樹に様々な加工を施して作ったんだとか」とチャドが説明した。
「園芸マニアなのに木をオパールに変えちゃうのはひどいと思うのよ」
「まあね」
ハラダは角度を変えてオパールを眺めた。どの角度から見ても、色のゆらめきが湧き上がらない。高値が付くオパールの必須条件ともいえる万華鏡のような妖しさがまるでなかった。
「遊色効果がないようだ。南国の海を思わせるライトグリーンの色合いは美しいが、これでは高値はつかないだろう。人工的につくったものなら、なおさらだ。くそっ、せめて天然ものだったらな。鉱石マニアに売れたかもしれんのに」
「おや、天然の宝石が欲しいんですか」
「じゃあ、これなんかどう?」
カロリーナが胸元からペンダントを引っ張り出した。星形をした黄色い石がぶら下がっている。
ハラダは懐からルーペを取り出し、胸元のペンダントに不躾なほど顔を近づけ、まじまじと観察した。透き通ったイエローの石はきらきらと輝いている。
「これはイエローサファイアだな。それほど高価な石でもないが、しかし見事な大きさだ。梅干しよりでかいな。天然なのか?」
「天然って、自然から生まれたものって意味よね。なら、この石は天然ね」
「カンナ礁に行けば、幾らでも落ちていますよ」
「そこへ連れて行ってくれ!」
ハラダは叫んでいた。梅干しより大きなカラーサファイア、それが幾らでも落ちているだって? これ一つでは百万円程度がせいぜいだろうが、それがたくさん……。俺はなんて運が良いんだ。ハラダは笑みを浮かべた。地球での強盗は失敗したせいで1円にもならなかったが、ここで取り返せばお釣りがきそうだ。
「ハラダさんって、意外とカワイイものをお好みなのね。黒づくめのオジサンだから、もっとシックなものが好きなのかと思ったわ」
「いいじゃないですか。オシャレにルールなんてありません。ハラダさんのようなオジサンが星型のペンダントをつけて出かけたって、何も問題ありませんよ」
「まあ、チャド。私、あなたのそういう考え方をするところ、とっても好き」二人は抱き合った。
「お取り込み中に申しわけないが、俺をそのカンナ礁とやらに連れて行ってくれないか、今すぐに」
地球に帰る方法はあとで考えるとして、まずは地球で換金できる宝石を入手するのだ。ハラダの目は金への欲望でぎらついていた。
――後編へ続く――
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