デザイア・オブ・ファンタジア

園田智

プロローグ

 小さい頃に見たあの景色を僕は忘れられなかった。

 それは大きな剣を振るう一人の剣士の姿。

 その雄々しい戦いぶりはその場にいた全ての観客の視線を独占した。


「強い! 強すぎる! その強さ。その戦いぶりは、まさに“皇帝”だ!」


 まだ六歳だった僕にはその言葉の意味すらも理解できなかった。

 あの場の音、熱、振動。頭ではなく五感を持って己の胸の高鳴りを感じていた。

 会場の中心で戦う彼らの姿。その二人を応援する観客達の割れるような歓声。そして、己の体が沸騰しそうなほどの熱の高鳴り。言葉にならない激情。

 幼くまだ字だってまともに読めないような僕は目の前の光景を目にしながら決心したのだった。


「いつか、僕もあんな剣士になりたい──」


 あの日からまるで人が変わったように僕の生活の全てが一変した。

 朝早くに起きて鍛錬を積み、夜は誰よりも早く床についた。

 田舎に住んでいるただ野菜なんかを作っている農家の両親の言葉であった「寝る子は育つ」なんて教えを真に受けて、自分があの舞台に立つことを毎日夢見ながら眠りについた。

 そんな日々が何年も経過し、六歳のあの日から十年の歳月が経っていた。


「本当に行くの?」

「もちろん。そのために今日までがんばってきたんだから」

「でも、世界にはあなたよりもうんと強い人がいるのよ?」

「だから、旅に出るんでしょ? いい加減準備の邪魔だから部屋から出て行ってよ」

「アル……」


 かばんの中に必要最低限のものを詰めながら、母さんの言葉をいなす。


「もう諦めろよ、ミリア」

「元はと言えば、あなたのせいなんですからね!」

「おいおい、今度は俺かよ……」


 僕はつい先日、十六歳になった。この世界において十六歳は成人になったことを示す。とはいえ、成人になったからといって別段なにかなるわけではないが、僕には両親とのある約束があったのだ。


「母さん。約束だよ? 僕が成人になったら旅に出ることを許してくれるのは」

「確かに約束したけど、まさか剣士になりたいなんて思わないじゃない……」


 肩を落とす母さんをそっと父さんが優しくフォローする。


「大丈夫だよ。アルバならきっと強い剣士になるよ」

「父さん……」


 母さんをフォローした言葉は僕にもちょっとした助言になった。


「何を根拠にそんなことがわかるんですか!」

「えぇ!?」


 父さんの言葉は僕に対する助言にはなったが、どうやら母さんには助言になるどころか火に油を注いだことにしかならなかったみたいだ。


「喧嘩するのは構わないけど、僕は旅に出るからね!」


 言い合いをする二人の間を通って、僕は家の玄関へと向かう。


「ちょっと、アル。まだ話は終わってないわよ!」

「僕は母さんと話すことはもう何もないよ」

「アル……」


 いつになっても僕のことを見送ってくれない母さんが徐々に心配になってきたが、だからと言って剣士になることを諦めることはできない。

 絶対にあの“皇帝”と言われた剣士みたいになると決めていたのだから。


「なぁ、ミリア」

「なによ……。今、アルと話しているのだけれど」


 先ほどまで口喧嘩をしていた父さんが母さんに話しかける。

 母さんの方は決して父さんのことを見てはいなかったが、父さんは真剣な眼差しで母さんのことを見つめていた。


「俺だって、アルバが剣士になることは不安だ」

「だったら──」

「でも、だからって俺たちがアルバの夢を。人生を壊す権利はどこにもないはずだ」


 先ほどまでの優しい口調ではなく、明確な意思のある父さんの重い一言だった。


「そ、そうだけど……」

「それに、信じられないのか。自分の子供を」

「うっ……」


 父さんのその言葉でついに母さんは泣いてしまう。そんな母さんをそっと父さんは抱き寄せて、ゆっくりとした動作で母さんの背中を撫でた。


「アルバ」

「はい」


 父さんは僕の方をまっすぐに見つめてくると、僕の目をじっと見つめる。


「本当に剣士になりたいんだな?」


 父さんのその言葉で自分の中で気持ちをまとめる。

 あの姿に憧れたこと。あの姿に憧れて以来、独学で剣の修行をしてきたこと。

 そして、あの時からの僕の夢。


「僕は剣士に。いや、世界一の剣士になりたい」


 父さんは僕のことをまっすぐに見つめてくる、そして僕も、父さんの目をまっすぐに見て答えた。

 答えを聞いた父さんは、しばらく僕のことを見つめていたと思うとニカっと笑った。


「いい夢だ。世界一の剣士になってこい!」

「うん!」

「そうなれば、剣士には剣が必要だろう?」

「そうだけど、剣ならここに」


 腰にかかった剣を左の手で叩く。

 僕の腰にかかった長年使ってきた鉄の剣。それは決していい状態とは言えるものではなかったが、今まで使ってきた自分の愛剣であり、一番手に馴染んでいる剣であった。


「世界一になる剣士がそんなボロボロの剣でどうする?」

「でも、他に剣なんて……」


 父さんは今だに抱きついている母さんと一緒にリビングへと移動すると、机の上に置いてある木箱を開ける。


「それは?」

「今日のために、作ってもらっていたんだよ」


 父さんが木箱を開けて、中から取り出したのは新品の剣であった。


「今日からはそんなボロボロの剣じゃなくて、こっちの剣がお前の相棒だ」

「これが、僕の新しい相棒……」


 父さんから新しい剣を受け取ると、どこかいつもよりも重く感じるその重量が剣の強さを示していた。

 鞘から少し剣を引き抜くと、綺麗な刀身が垣間見られた。


「あ、ありがとう。父さん……」

「大したことはしていない。親として剣士になる息子に最後にしてやれることはこれくらいだからな」


 今まで腰につけていた剣を外して、新しい剣を腰につける。

 その時、改めてこの家を飛び出して剣士になるんだということを体感した。そして、同時に目元から浮かび上がるものがあった。

 しかし、それが下に落ちる前に右の腕でこすると、今度こそ玄関へと向かった。


「一年に一回……」


 今までずっと静かになってしまっていた母さんの声が聞こえてきた。


「一年に一回は絶対に帰ってくること。それが絶対条件……」

「ミリア……」


 ふらふらになりながらもなんとか自分の力で立ち、そして、僕のことを見つめてきた。

 涙がにじみ出ている赤い目で。


「わかった。一年に一回は帰ってくるよ」


 僕の言葉にコクリと頷くと、また父さんに体を委ねた。


「そろそろ行くね」

「そうだな」


 玄関の扉を開け、外へと足を踏み出す。

 外は穏やかな気候で天気も快晴。まるで僕の旅出を歓迎しているかのようだった。


「とりあえず、フィーロへ向かうよ」

「それがいい。ここから一番近いしな」

「そ、それじゃあ……」


 父さんたちから体を翻し、一歩、二歩と足を踏み出して行く。それは、僕にとって大切な歩みであった。

 これまでの生活からの離脱。

 そして、剣士になるという僕自身の確固たる意志の表れ。だから、ここで振り返ることはできない。僕の憧れたあの剣士なら、きっと……。


「『がんばれ、アルバ』」


 不意に聞こえた二つの大きな声援を聞いて、一度振り向いてしまう。

 歩き出してから見せないようにしていた涙を父さんや母さんに見せてしまったことは悔やまれるけど、それでも僕はその二人の声援に大きく頷いて、さらに大きな一歩を踏み出して、剣士になる道を歩むのだった。

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