第十膳回答・前編『とっておきのデザートをキミに』


 コマさんからの電話を受けたのは、午前9時の少し前のこと。その時、テンはわんぱくな寝相で夢の中、そして私はとっておきのデザートを仕込んでいた。



「連絡がついたすべての世界線で、各地の神社仏閣に協力を仰ぎ、日本全土に強力な結界を張ってもらう。どの世界線に跳ぼうと、悪しき力は神の力に跳ね返される。ガラ空きなのは我々の世界線の日本、しかもこの地域だけ」


「つまり、他を遮断してここへ誘き出す……ってことですか」

「そのとおり。前にあなたが『商店街の食べ歩き』と喩えていたでしょう。それで思いついた作戦です。すべての店のシャッターが閉ざされて、空いているのは一店のみ。食べ歩きの旅はおしまいだ。やっこさん、腹ペコで怒り狂ってのご登場じゃないかな」


 小さな祠なども含めれば、神社がコンビニの倍もあるというこの国。神喰らいにとっては食べ放題の天国だ。

 反対に、ひとたび神々が力を結集すれば絶大な力を発揮する。だがおそらく、全力の防衛体制はそう長くは保たない。なにせ、日本全土をわずかな綻びもなく護らねばならないのだ。

 もしもわたしたちが敗れれば……ソイツは怒りと空腹に任せて、この日本の神々をメチャクチャに喰い荒らすだろう。そして、さらに力をつけたソイツはまたあちこちの世界線で神を喰らい続ける ─── つまり、倒すなら早いうちに、短期決戦で。


 コマさん達の立てた作戦は、一応理解できた。

 でも、何故ここで? その作戦だったら、別の世界線でやっても成り立つじゃないか。他所でやってくれりゃいいのに。


 そう溢したわたしに、「もちろんテンちゃんのこともあるけど…」と前置きした上で、コマさんは言った。


「関川さん、。あなたとキクさん、高い霊力と絆を持った二人が揃っているのは、この世界線だけ。他所では、奴は倒せない」



 そんなこと言われたって……そんなこと、言われたら……


「ちなみに他の世界線での関川さんは、探偵だったり殺し屋だったりコスプレ好きの強火アイドルオタクだったり恋人と宇宙へ旅立っちゃったり人工知能の一部に溶け込んじゃったり大魔王になってみたり…」

「なんですか、それ…」


「スパイになって鞭打たれたり薬盛られて池に沈められたり」

「もういいです」

「安心して。ちゃんと幸せな関川さんもいたから」

「はあ……」


 わけがわからない。他の世界線のわたしは、とにかく波瀾万丈みたいだ。

 一方コマさんは、どの世界線でも同じ神社の跡取りでやはり霊力が高いらしい。コマさんはその霊力を以って各世界線の自分と連絡を取り合い、この作戦を立てたのだった。


「そういうわけだから、よろしく。お昼過ぎ、例の祠に集合ね。あ、私は結界と、他の世界線との通信で手一杯だから、そっちへは行けないんで」

「えっ……」

「こっちだって忙しいの。ピンポイントで結界緩めなきゃいけないし、同時に世界線の境界の修復も進めるんだから」

「はい、すみません。頑張ります」

「一応、助っ人は手配しておいたから。じゃ」


 そうして電話は切れ、わたしはデザート作りに戻ったのだった。



 🍻




「どうぞ、召し上がれ」

「ほあぁぁぁ〜……」


 デザートの皿を見たテンは、瞳をキラキラさせて声にならない歓声を上げた。皿の上には、油揚げのガレットと油揚げのひとくちミルフィーユが美しく盛られている。


「あぶらげなのに、甘いにおいがするぅ。なんで? なんでぇ?」


 ふふふ。サプライズは大成功!


「アイスが溶けちゃうから、ガレットから食べようか」


 四角く開いた油揚げの内側にバターを塗り、フライパンへ。輪切りにしたバナナを並べて四つ角を内側に折りこみ、油揚げをパリッと焼き上げる。中央にバニラアイスを載せ、砕いたナッツを散らしてキャラメルソースをたっぷりかければ出来上がり。もちろんキャラメルソースも手作りだ。


「ん〜〜〜、あまくて冷たくって、カリッとふわっとで、美味し〜〜〜い!」


 ナイフとフォークを握ったまま、グーにした両手でほっぺたを押さえた瞬間。ふわふわのライトブラウンの髪から狐の耳がピョコンと飛び出した。

 最近では耳も尻尾も滅多に出さなくなっていたのに、珍しい。それだけ驚いたのだろう。


 瞬く間にガレットを平らげ、ミルフィーユを指差す。


「これ、なあに?」

「油揚げミルフィーユ。ひとくちサイズにしてあるから、いっぺんに…」


 説明しているそばから、大きな口でパクッ。


「ん〜〜〜、こえもおいひぃ〜〜〜」


 今度はハーフパンツの裾から尻尾がボムッ! ピコピコ揺れるふわふわの尻尾が、言葉よりも雄弁に美味しさを物語っている。早起きして作った甲斐があるというものだ。

 一口大に切った油揚げをトースターでカリカリに焼いて粉砂糖をまぶし、カスタードクリームとスライスしたイチゴを挟んで層にしていく。仕上げにイチゴと生クリームを飾れば完成だ。


「ミルフィーユは冷蔵庫にまだ入ってるから、取っておいで」

「やったぁ! おかわりー!」


 椅子から飛び降りてお皿を大事に抱え、テンは尻尾を振りながら小走りにキッチンへ。おいおい、そんなに急いだら転ぶぞ。

 油揚げ自体は味が強くないから、油抜きさえしっかりすればデザートにも使えるのだ。テンが来てからというもの、油揚げレシピのレパートリーが急激に増えた。将来は油揚げ料理専門店でも開くかな……



 🍻



「「ごちそうさまでした」」


 声を合わせて一礼。テーブルを挟んで視線を交わし、どちらからともなく頷いた。先ほどはしゃいでいた時とはうって変わって、真剣な表情だ。おそらくわたしも、同じ顔をしているだろう。

 手早く皿を洗い、あの破れ堂へ急ぐ。補修したばかりの扉を開けると、そこには…



「おっそぉーい!」


 黒レザーのロングボディスーツにピンヒール姿の女性が仁王立ちしていた。波打つ髪は深紫、同じ色に染められた瞼と唇が苛立ったようにピクピクしている。

 怯えたテンが素早くわたしの後ろに隠れ、服の裾に掴まった。


「キミが噂のフタヒロくんね? かわいい顔してるじゃないの」


 ニッ…と微笑むが、目が笑っていない。ものすごい威圧感だ……


「えっと、あの……どちらさま…」

「いいからさっさとスタンバイ! 敵はいつ来るかわかんないんだからねっ」


 『敵』と言うからには、この人はこちら側の人なのだろう。


「あの、もしかして、助っ人の…?」

「なぁに、コマから聞いてないの? アタシはケイ。歳は聞くんじゃないよっ!」

「聞いてませんけど……」


 柱の裏に積みあげた箱の陰から、キクさんがゆらりと現れた。


「フタヒロに八つ当たりすんじゃないよ、ケイ。あんたの娘の反抗期は、こいつに関係ないだろ」


 ケイと名乗る女性が、キッとキクさんを睨む。


「八つ当たりじゃありません〜。アタシは早く帰りたいだけ。久々の母娘おやこ再会だっていうのにさ。全く、コマったら人使いが荒いんだから」


 ぷりぷりしながら、ケイさんはこちらに歩み寄り…わたしたちを通り過ぎると扉を背にして立った。腕組みをして、顎で部屋の隅を指し示す。箱の陰に隠れろということだろう。わたしは端材なんかを入れた大きな箱の陰にテンを連れて行き、取り敢えず身を潜めさせた。


「あの……話が見えないんですが」


 キクさんが革グローブを嵌めた拳を掌に打ち付けた。バシッと重たい音が響く。


「大体のことはコマから聞いてるね? とにかく、ここへアッシーを誘き出してボコる。その後のことは成り行き次第だ」

「アタシはコマへの連絡係と、まぁそうねぇ……回復担当?」


 ケイさんが小首を傾げるが、はっきり言って可愛くない。そのルックスに対して、回復という言葉の取り合わせに違和感があり過ぎて、むしろ怖い。


「……あの、アッシーというのは?」

「神を喰らう悪しきもの、だからアッシーだよ。わかりやすいだろ?」

「いや、それはちょっと…」

「キクさんのネーミングセンスに期待しても無駄よ。いいからキミもさっさとボクちゃんと一緒に隠れなさい」


 決闘の前だというのに、いまいち緊迫感に欠ける気がする。が……

 キクさんが革のグローブを外した。グローブによって抑えられていた霊力が解き放たれ、狭い板張りの部屋の空気が変わる。キクさんが不敵に笑い、ストレッチを始める。


「さあ、でっかい餌が待ってるよ。かかって来な」


「え、待ってください。もしかして、キクさんが囮に? それなら僕が」

「こういうのは、老い先短い老耄おいぼれの役目って相場が決まってんだよ」

「でも」

「戦後のドタバタを生き抜いた前期高齢者を舐めんじゃないよ、この平成生まれが。あんたはテンを守ってな」



 30分近くの時が過ぎたが、何もやってくる気配がない。最初は震えていたテンも、緊張の糸が切れたように床にしゃがみ込んだまま。


「……長期戦になるのかねぇ」

「勘弁してよ、もう。なんかタイクツぅ。スマホゲームしていい?」

「ハッ、あんたね。そんなだから娘もグレるんだよ」

「別にグレたわけじゃないわよ。ただちょっと、意思の疎通がうまくいってない

だけで」

「思春期真っ只中の女の子が、久々に会った母親がそんな女王様みたいなカッコで鞭振り回してんの見ちゃったら、意思の疎通もクソもないだろ」

「…っ! それはしょうがないでしょ、これがアタシの戦闘服なんだから。大体キクさんの戦闘服カッコだって、ほぼガイルじゃない」


 テンがクイクイとわたしの袖を引き、囁いた。


「キクちゃんししょーとあの怖い人、ケンカしてるの?」

「さぁ……どうだろうね。おっかないから放っとこう。テンは、大丈夫か?」

「うん。でも、ちょっとドキドキしてる」


 テンの隣にしゃがみ込み、頭を撫でてやる。すると少し安心したように、肩に頭を擦り付けてきた。その時 ────


「おっ、おいでなすったね」


 キクさんの低い呟きと同時に、あたりの空気がグッと重くなった。背中に悪寒が走り、肌が粟立つ。

 部屋の奥にある空っぽの祭壇、その前の空間が歪みだした。歪みはみるみるうちに大きくなり、裂け目となった。その裂け目から黒っぽいもやのようなものがモロモロとこぼれ落ちて積み上がり、ぼんやりと形を成し始める。


 テンがわたしの腕にしがみついた。息をつめて靄の塊を凝視している。

 ケイさんがどこからか真っ赤な鞭を取り出して構え、キクさんは靄の塊を睨んで拳を握りしめ、軽くステップを踏みながら首をボキボキと鳴らした。


 邪悪な黒い靄は、徐々に四つ這いに蹲ったヒトの形となっていく。

 裂け目から溢れ出るモノが止まった。


「ケイ!」


 キクさんの声と同時にケイさんの鞭がびゅんっと唸り、空間の裂け目を叩く。裂け目は一瞬震えて塞がり、空間の歪みが消え去った。

 黒い靄がゆっくりと立ち上がった。デカい。2メートル以上はある。



《…くわせろ………うまい、カミサマ……うまい、チカラ……》


 靄がゆらりと動き出すより早く、拳に霊力を込めたキクさんが飛び込んだ。靄の中心、人で言うなら鳩尾あたりに、目にも止まらぬスピードで何度も拳を繰り出す。

 靄の輪郭が薄れ、その濃さもユラユラと揺らいだ。


 素早いバックステップで離脱し、キクさんは靄の塊を観察している。


「……こいつはツギハギだ。今は一体の核を中心にいくつかの霊体をはぎ合わせてるから動きが鈍いけど、融合し始めてる」


 よく見ると、靄の濃いところと薄いところがある。ということは……そうか。



「セッキー……」


 テンが切羽詰まったような声で囁いた。不安定に蠢く黒い靄を凝視したまま、狐の耳をピンと立てて。

「セッキー、匂いが。ちょっとだけ、志乃ちゃんの匂いがする!」


 再び、キクさんが靄に向かって突っ込んだ。野太い咆哮と共に、何発も拳を叩き込む。ヒト型だった靄はモゴモゴと形を変え、拳から逃れながらキクさんを包み込もうとした。が、キクさんはすかさず靄の薄くなった箇所を拳で突破し、間合いを取って体制を立て直した。

 わたしは箱の陰から躍り出るとキクさんの隣に並び立ち、刀の柄を水平に構えた。左手で空を薙ぎ、刀身を顕にする。霊力を湛えた刃が冷たい光を放った。


「キクさん、あの中に志乃ちゃんが居る。僕が霊体を一体ずつ切り離します」

「フタヒロ、いけんのかい?」

「いけます。それぞれの霊体の力は少し削いでしまうかもしれないけど、取り込まれるよりマシだ」


 相手はいくつもの霊体をツギハギにしたハリボテだ。接合の弱いところを狙って切り離していき、徐々に弱らせる。

 浄化の力を持たないわたしが、もし斬る場所を誤れば。切り離した霊体は地獄に落ちるか……永遠の孤独と闇に塗り込められることになる。だが、出来るはずだ。よく見極めろ。


「わかった。各霊体の損傷は最小限に、全員を解放! 行くよ!」

「はい!」


 キクさんが床を蹴った。


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