第三膳回答『シチューと苦手料理』

🍻


 テンがカレーを食べにきた日の夜、彼を送るという名目でこの破れ堂を訪れた。

 変化へんげしたテンは、見た目は4〜5歳の男の子。もし人に見つかったら通報されてしまうし、狐のままの姿であれば保護対象として捕獲されてしまう。

 なのでわたしは、子連れのパパさんを装ってここを訪れ、ついでに霊や人間が入って来ないよう簡易結界を張っておいたのだった。

 翌朝、約束通り2日目のカレーを持参し、一緒にカレーを食べた。4リットルの鍋いっぱいに作ったカレーは、たったの2日で無くなった。彼のテリトリーで食事を共にしたことにより、一層距離が縮まったように思う。



 そして今日、相変わらずの破れ堂で、テンは恐る恐るホワイトシチューにスプーンの先を浸していた。

 スプーンの先にちょっとだけシチューを掬い、クンクンと匂いを嗅いでシュンと耳を伏せる。


「熱いミルク、飲んだことない……こわい……」


 これは盲点だった。ミルクだから馴染みのある味だろうと思い込んでいたのだが、幼き頃にテンが味わった母狐のミルクは、たしかに生ぬるい温度だっただろう。その味を知っているからこそ、「熱いミルク」に警戒してしまうのかもしれなかった。


「そうか。無理しなくていいよ。冷めてから食べたっていい。どっちも美味しいからね」


 ローズマリーと白ワインで香り付けして焼いた鳥もも肉、大ぶりのじゃがいもとにんじん、玉ねぎの他に、ホワイトマッシュルームとエリンギも加える。小麦粉を振り入れてバターで炒め合わせ、少量の水とローリエで蒸し煮。火が通ったら牛乳を加えてさっと煮込む。仕上げにたっぷりの生クリームを。

 ありきたりの材料で作ったごくシンプルなホワイトシチューだけれど、ハーブのおかげで苦手なミルク臭が軽減され、なおかつ野菜の旨味が引き立っている。我ながら会心の出来だった。

 だからこそ正直、熱々の状態で食べて欲しかった。だが、それは料理人のエゴだ。食べる方にだって、事情はあるのだ。



「ごめんなさい……」

 そう呟いて、テンはしょんぼりと項垂れた。

 そんな顔されると俄然、申し訳なさがこみ上げてくるじゃないか……


「謝ることないんだよ、テン。ほら、こっちを先に食べようか。まだほかほかだよ」


 紙ナプキンとアルミホイルで包んだバゲットは、まだ充分に温かい。切り込みに挟んだガーリックバターが、いい具合にとろけて染み込んでいる。

 付け合わせにと用意した、帆立とブロッコリー、コーンのバター醤油炒めのタッパーも開けた。もちろん、焼いた油揚げも添えてある。




🍻



 湯気が消えるまで冷ましたホワイトシチューを、結局テンはお気に召したようだった。

 恐る恐る一口食べた後はもう手が止まらず、お腹がまんまるになるまで喰らい尽くした。挙句、ぺろりと口の周りを舐めたかと思うと、仰向けにひっくり返って眠ってしまったのだ。


 テンが眠りこけている間に、わたしはこの破れ堂の中を探った。

 小さなお堂とはいえ、もともとは神がおわすはずだった場所だ。元いた神はどうなったのか。そして新たに神となった「志乃ちゃん」とやらの情報。どんな小さな痕跡でもいい、何か掴めればお師匠さんに相談できる。


 足を忍ばせてお堂の隅々まで点検したが、特に変わったものは見つからなかった。

 部屋の中心に立って懐からシンプルな木製の柄を取り出す。目の前で水平に構え、空中をスッと左手で払えば、じんわりと滲むように刀身が現れた。テンを驚かさぬよう霊力は最低限しか込めていないが、残滓の探索には充分だろう。

 剣を握って静かに息を吐ききると、わずかに俯いて半眼となり、集中力を研ぎ澄ます。全方位にアンテナを張り巡らせ、わたしはこの空間に残る気配を探った。



🍻



「きゃあっ!」


 目を覚ましたテンが、お堂の隅へと飛び退った。四つ這いになって身を伏せ、歯を剥いて唸りながらこちらを威嚇する。無理もない。起きた途端、知らない人間が部屋にいたら私でも混乱する。その人間がパッションオレンジ色のツンツンスパイクヘアーで筋肉ムキムキ、鋲付きの革グローブを嵌めていたらなおさらだ。


「テン、驚かせてすまない。この人はわたしの師匠で、キクさんっていうんだ。志乃ちゃんを探すのを手伝ってくれる。勝手に呼んだのは悪かった。あんまり気持ちよさそうに眠っていたから、起こせなくて」


 テンは心細げに、わたしと背後に立つ師匠とを交互に見つめ、身を固くしている。



「ハァイ♪ テンちゃん♪ こんなナリだけど、怖くないわよ。あたし、中身は普通のお婆ちゃん」


 全く普通のお婆ちゃんには見えないキクさんが、ヒラヒラと手を振る。もうじき70に手が届こうかというお婆さんは普通、毎日片手腕立て100回しないし、暇さえあればスクワットしたりしないと思う。大体、その髪型はパンキッシュにも程がある。


「キクさん、普通のお婆ちゃんというには流石に無理がありますよ……」


 キクさんは平手に拳をバンと打ち付け、「てへ☆」と舌を出した。おどけ方はバッチリ昭和だ。


「テン、この人はちょっと武闘派なだけで、優しい人だから。大丈夫だよ」


 わたしが手を伸ばすと、テンは恐る恐るその手につかまり、わたしの脚の陰からキクさんを盗み見た。

 キクさんは迷彩のパンツとゴツい編み上げブーツに包まれた脚を折りたたみ、テンと目線を合わせるようにしゃがんだ。


「あたしね、霊とか神様が見えるの。この、セッキーよりずっと強いから、頼りにしてくれ。志乃ちゃんって娘、一緒に探そう」


 わたしの手を握るテンの力が、キュッと強くなった。


「……セッキー?」


「そ。関川だから、セッキー。友達同士のあだ名だよ」

「師匠、その呼び方やめてくださいって何度も……」


「うふふ。セッキー……うふふふ」


 テンがわたしの手に顔を埋め、くすくす笑いはじめた。なんかまずいぞ、この流れ。


 クイクイっと手をひき、テンがわたしの顔を見上げてくる。なんだ、その新しいおもちゃを見つけたような顔は……


「セッキー?」


 嬉しそうに目をキラキラさせるんじゃないよ、全く。さっきまであんなに怯えてたくせに……


「ねえ、セッキー?」

「そうだよ、セッキーだよ」


「……もう、セッキーでいいよ。しょうがないな」


 きゃぁっと声を上げて、テンはぴょんぴょん跳ねている。何がそんなに面白いんだ……


「ようし、テンちゃん。肩車してやろう。おいで」


 テンはあっさりとわたしの手を離し、キクさんに駆け寄った。肩にひょいと担ぎ上げられ、きゃあきゃあと興奮している。



「さすがキクさん、子供を手なづけるのは早いですね。年の功ってやつですか」


 テンを担いだまま、キクさんの回し蹴りがわたしの顔スレスレを掠めた。身を捩って笑いこけるテンの腹をツンツンつつきながら、キクさんはニヒルに微笑んだ。


「まあね」


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