回答【 今日は何の記念日? 】ハーフ&ハーフ企画

🍻


「ちょっとだけ、ここで待ってて。すぐ戻る」


 僕は彼女をベンチに座らせると、猛ダッシュした。目当ての店はすぐそこだ。


 飛び込むように花屋に入店すると、エプロン姿の店員に急いでオーダーする。ベテランらしき店員はテキパキと作業し、ものの5分もしないうちに素敵な花束を作り上げた。


 息を切らして戻った僕は、彼女の隣に座り背中に回した手を差し出した。

 手の中には、淡い水色の小さな紙袋。袋の中には、彼女の春色のワンピースによく似合う、小さなブーケ。


 彼女は驚いた様子でそれを見つめ、すぐに蕾がほころぶような笑顔を見せてくれた……かと思うと一転、吹き出した。


 呆気にとられて、僕は声を殺して笑う彼女を見つめていた。僕、そんな面白いことしただろうか……?


 彼女はなんとか笑いを鎮めると、涙を拭いて僕に向き直りブーケを受け取ってくれた。


「いきなり笑っちゃって、ごめんなさい」


……いや、いいんだけど。


「あのね、もし違ってたら、言ってください」


 僕は大人しく頷いた。ここは彼女の流れに乗るしかない。


「さっき私が『関川さんとの特別な日』って言ったでしょ? それで関川さん、なんの特別な日なのか、わからなかったんでしょ」

 

「うっ……はい」


 思わず項垂れた。「正直に言う」ことも「会話しつつ探る」ことも選べなかった僕は、「」ことにしたのだった。



「どうりで。露骨に『あ、まずい』って顔してたもん。で、わからないとは言えず、でも私を喜ばせようとしてくれた?」


……まさか、顔に出ていたとは。不覚だった。そんな僕にも、彼女は優しい。多分、機嫌を取ろうとしたこともわかっているはずなのに、「喜ばせようとした」と受け取ってくれるのだ………



「女の子を喜ばせるなら、花束。そんな単純な発想しちゃうところ、好きよ」


 彼女はまた、くすくす笑う。笑い声にくすぐられたみたいに、背中がカァッと熱くなった。


「そのくせ、この後のデートに差し障りのないように、紙袋入りのブーケを選んでくれちゃったり。そういう妙に気の利くところ、ちょっと腹たつ」


「え」

 怒らせたのかと、反射的に顔を上げた。でも彼女は、優しい目をして微笑んでいる。


「でも、嫌いじゃない」


 どっと安心して、肩の力が抜けた。一気に汗が噴き出す。


「参ったな……君はなんでもお見通しなんだね」

「当たり前です。だって私……」


 いきなり、彼女が立ち上がった。

「さ、早く行きましょ。お腹すいちゃった」


 つられて僕も立ち上がる。が。


「だって私……の、続きは?」

「いいんです! それは! もう!」


 彼女の耳が赤い。両手で髪を撫で付けて耳を隠す仕草が可愛らしくて、僕はついからかいたくなってしまう。


「気になるよ。ねえ、続きは?」

「いいから。早く行かないと、お店混んじゃいますよ?」


 店までの道すがら、先に立って早足で歩く彼女に、僕は何度も尋ねた。「だって私……」の続きを。

 そしてとうとう、店の前で彼女が振り向いた。真顔で。


「あんまりしつこいと………」


 一瞬、細められた瞳の奥に冷たい光がよぎる。


(サメの餌にしますよ?)


……口に出されなかった言葉の続きが聞こえた気がした。


 僕はこの短時間で、普段は温厚な彼女の怒りポイント、超えてはならない「一線」の位置を学びつつある。





「……この前のデートから、だいぶ日にちが開いてしまったでしょう?」


 レストランに入り、案内された席に着く。

 水の入ったグラスと小さなブーケを前に、彼女は唐突に切り出した。


 彼女の言うとおり、今日は久しぶりのデートだ。

 僕は神妙な顔で頷いた。お互い仕事の都合が付かなかったもんね、しょうがないよね、という気持ちを込めて。


「それで私、淋しいっていうか、なんだかちょっと不安になってしまって。仕事帰りに占い屋さんに行ってみたんです。よく、道端でやっているでしょう?」


 うんうん。たまに見かけるね。僕はやったことないけど。


「駅横のガード下の……なんか、こう……お茶っぽい占い師さんだったんだけど……」

「お茶? ああ、カップに残った紅茶の茶葉で占ったりするもんね」

「そうじゃなくて。占い師さんの名前が」


……名前がお茶っぽい?


「えーと、ダージリン上田とかアールグレイ本郷とか、そういう?」


 また彼女の目が細められた。彼女の纏う空気が2℃ほど温度を下げた。


「なんですか、それ。上田とか本郷って誰?」

「い、いや……ただの例えで、語呂が良かったから。すみません」


 思わず謝ってしまう。気合いを入れてきたというメイクのせいか、今日の彼女はなんだか妙な迫力があって、気圧されてしまう。


「もっと和風な名前で……まぁ、それはいいです」


 麦茶、抹茶、ほうじ茶……和風なお茶の例を挙げなければと頭の中が高速回転しかけたが、急停止した。それはいいらしい。


「基本、手相占いだったんですけど」

「あ、そっちね」


 考えてみれば当たり前だ。ガード下で紅茶占いをする占い師なんているわけがない。


「その占いで言われたんです。『今日のデートが特別な日になる』って」



……えっ?


 僕は焦った。特に何も考えていなかったから。そりゃ、楽しめるデートプランは練ってきたつもりだけど、でも特別なことなんて……



「で、占いの最後にこうも言われたの。『未来は変えられる』って。だから私、自分の手で、自分の力で、を特別な日にしようと思ったんです」


 それで、こんなに気合い入れてきちゃった! と肩をすくめて笑う彼女を眺める僕は、一体どんな顔をしているのだろう。ただただ、彼女の輝く笑顔に見蕩れ、胸を高鳴らせていた。



「関川サン。積極的な女の子は、お嫌いですか?」


 その答えに二択はない。あるわけがない。


「……大好きです!!!」



 ランチは美味しかった。美味しかったはずだ。彼女が何度もそう言っていたから。

 でも僕は、その味を憶えていない。何を食べたかすら朧げだ。


 水族館も楽しかった。楽しかったはずだ。彼女が何度もそう言っていたから。

 でも僕は、それも憶えていない。確かなのは、土産に何故かお揃いのエプロンを買ったことぐらいだ。




 だって僕は、ずっと彼女を、彼女のことだけを見ていたから。


「自分の手で、自分の力で、今日を特別な日に」彼女がそう言った時から、彼女から一切目が離せなくなってしまった。いつまでも、見つめていたいと思う。



「はー、楽しかった。あれ、関川サン大丈夫ですか? なんかボーッとしてません?」

「ん、いや……暗いところから出たから、目がチカチカしてさ」


 眩しかったふりをして、ぶらぶらと歩き出す。いや、たしかに眩しいのだ。隣に居る彼女が……



「ちょっと、ほんとに大丈夫ですか?」

 彼女をチラ見しながら歩いていたら、自分の足に躓いてしまった。


「危ないんだから。ほら!」


 彼女が強く僕の手を握った。頬を桜色に染め、彼女が笑う。


 少し照れて目を逸らす彼女の手を強く握り返し、僕は思った。


 一生かけて、彼女を幸せにしよう、と。




「さっ、晩ご飯は海鮮です! 海鮮食べに行きましょう!!」


 海鮮欲に息巻いて先を急ぐ彼女に手を引かれながら、僕は心の中で繰り返し呟いていた。



 ありがとう、お茶っぽい名前の占い師さん。今日が、ほんとうに特別な日になりました………




🍻


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