好機到来
「アニーを泣かせないでください」
「……は?」
男子寮の階段で、ザックがルークを呼び止めた。
ルークが眉を顰めて怪訝な顔をすると、ザックは間を詰めて小声で告げる。
「今流れてる噂、ご存知ですか?『ルーク・エドモントンを貶めた悪女』『立場を利用した知能犯』『人の男を奪うアバズレ』など、全てアニーに向けて放たれた悪意ある雑言です。もちろん、それが真実であるはずはないと僕達のクラスは知っていますが、頭の悪いクラスの人たちやアニーを知らない上級生は、その噂を鵜呑みにしている。その元凶がリリシア嬢であることは知っていますよね?」
「……ああ。もちろん、リリシア嬢については聞き及んでいるが、それについては、アマリアが動いている」
「そうでしたか。では、リリシア嬢に関しては侯爵家に任せるとして。あなたとの噂はどのように対処しているんですか?」
「噂はあくまで噂だ。信憑性は全くないし、リリシア嬢の嘘が明らかになれば、自ずと静まるだろう?」
「静まるまでの間、アニーに苦境を苦境を甘んじろと言うわけですか」
「アニーには、現況を説明するつもりだし、そのままにするつもりはないが、君に指摘されるまでもない」
ルークはしかめ面をしてザックを睨みつけた。ルークだってすぐさま行動に移してアニーが好きだと叫びたいのを我慢している。ぜひ婚約者に、と前のめりに言い出したいが、現状がそれを許さない。せめて卒業するまでは、公爵家が自分を認知するまでは、伯爵家が次男を嫡男とすると公言するまでは、とルークも息を潜めていなければならないのだが、ザックはそんなことを知る由もない。
「今あなたがアニーに親しくすれば、噂は真実として周りは見るでしょう。ほとぼりが冷めるまでアニーをそっとして置いてくれませんか?」
「……それで、君がその間そばにいるとでも?」
こいつがアニーを狙っているのは分かっているし、これを機に近寄ろうとしているのは手にとるようにわかる。弱っているアニーを慰めて懐に入るつもりか。
ルークは益々眉を顰め、浅はかなザックを鼻で笑った。だがザックはしれっとした顔で腕を組んだ。
「まさか。今僕が近くにいれば、噂は益々信憑性を得てしまう。アニーの周囲にはスカーレットやグレイスをつけます。僕とブライアンは噂の払拭に力を注ぐつもりです。ですから、ルークさんにも協力を願い出たまでです」
「……でも生徒会は」
「来年から僕とスカーレット、グレイスも生徒会役員になります。まだ確定ではないけれどブライアンもソルさんに勧誘されてるのでおそらく彼も。加えてリンダさんとソルさんがいますからアニーはしっかり守ります。あなたは安心して卒業してくれればいい」
いかにも用済みだと言われたような気がして、思わず殺気を飛ばしてしまうが確かに自分ができることは少ない。すぐ隣に置いておきたいが、アニーのためにはならないのだ。ましてや卒業したら守ることすらできないのだから。
「……理解した。もともとしばらくは距離を空けようと思っていたから…。君の心配には及ばないよ」
「よかった!ありがとうございます。昨日もアニーは裏庭で泣いていたんです。僕らの目の届かないところで何かあったに違いないんだけど、話してくれなくて」
「アニーが泣いて……?」
「ええ。どれほどの中傷にも暴力にも動じなかった彼女が泣くような思いをするってことは、よほどのことだったのだと思うんです。僕は彼女の憂いを排除したい。このままでは成績にも影響があるかもしれないし、そうなったら学園にいられなくなるのは、目に見えてますから」
アニーが泣くほどの事。一体、なんだ?誰が彼女をそこまで傷つけたんだ。
「分かった。僕の方でも調べてみる」
「ありがとうございます」
ザックがお辞儀をしてにこやかに去っていくのを、ルークは穏やかでない心情で見つめた。
今までトマスやリリシアが何を言おうと、何を仕掛けようと動じなかったアニーが泣くような案件。トマスはすでに学園にいないし、リリシアも謹慎を受けて、今日ようやく謹慎が解けたばかりだった。
生徒会室までまで押しかけて、僕の婚約者がリリシアだと抱きついてきたが、正式に断ったことを話すとブチ切れた。それをアマリアの所為にして床を踏み抜く勢いで出て行ったが。まさか、あの後アニーと何かあったのか。
「なんとかして聞き出さないと」
* * *
「ふふっ。なんだか簡単すぎて笑っちゃうな」
ルークと別れた後、ザックは上機嫌で部屋に戻った。
「一先ずこれでルークさんはアニーに近づかないだろうし。さて次は、おバカなリリシア嬢だ……」
数週間前、ザックが侯爵家がエドモントン伯爵家に縁談を持ち込んだ、と耳に入れたのは偶然だった。
子爵家の経営する商会が、エドモントン伯爵家にいつものように御用聞きに向かった際、公爵家の馬車がやってきたのだ。それを目にした商人は、聞き耳をたて事情を探った。侯爵はリリシア嬢との縁談を伺いに来たのだ。だが、エドモントン伯爵は答えを渋り、ルークは公爵家の息がかかっており、すぐには返事をできないとこぼしたのだった。
それを商人から聞いたザックは、裏から探りを入れた。公爵とルークの関係性は得られなかったけれど、伯爵家の次男を探ると、驚きの真実が明らかになった。
「兄様は、ルークは、僕の実の兄じゃない。養子なんだ」と。それ以上は家の関係上、口にはできないけど、伯爵の嫡男は僕だ、と次男は言った。
ルークの見た目は伯爵家とは似ても似つかない。赤銅色の髪はリチャード公に似ているし、瞳の色は琥珀色で、伯爵家の榛色とは全く違う。
そこから導き出されたのは、ルークが公爵家の隠し子の疑惑だ。流石にこれは法律に関わってくるし、はっきりした証拠がない限り、公爵家を敵に回すのは無謀だ。
公爵家のマリエッタ夫人はかなりの切れ者と聞く。リチャード公と言うよりも、夫人とルークがおそらくなんらかの関係を持っていて、伯爵家を継ぐよりもうまい話で、ルークは身動きが取れない状態なのだろう。騎士に関することか、第二王子の側近を示唆したのもおそらくは夫人だ。
そうでなければ、伯爵家を継いでアニーを手に入れる方がルークにとっては簡単だろう。と言うことは、ルークにとってアニーはそれだけの相手でしかないと言うことか。
あちらも欲しいが、こちらも欲しいと、どっち付かずで迷うくらいなら僕がもらう。
だからこそ、ザックはほんの少しだけリリシアのクラスメイトに噂を流した。『先日、エドモントン伯爵家に侯爵家からの馬車が来ていたらしいんだけど、知ってるかい?』と。
ザックの思惑通り、噂は自然火災のように広がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます