すれ違い

 それから一週間、リリアナが学園を休んでいるせいもあって、一年生の間で実しやかに囁かれる噂が広まった。


 曰く、ルーク・エドモントンを貶めた悪女。


 曰く、侯爵家の令嬢と伯爵家嫡男の婚約を邪魔した女。


 曰く、立場を利用した知能犯。


 アンナルチアは平静を装ってはいたものの、この噂については聞かなかったことにはできなかった。貶めてなんかいない。リリアナさんとルークが婚約したという話も聞いていないし、知能犯って一体なんだ。


「気にすることないわよ、アニー」


「そうよ、何も言われている様なことしていないんだから、堂々としていなさいよ」


 グレイスやスカーレットをはじめとするクラスメイトが親身になって噂を払拭しようとしてくれるが、アンナルチアはそれ以上に、もしルークの出世に影響を及ぼしていたらどうしよう、と悩んでいた。それに加え、最近ザックが何かと気にかけてくれているのも、噂のタネになっている。


「アニー、もしひどいことを言われたら僕に言いなよ。きっとなんとかするから」


「ありがとう、ザック君。グレイスとスカーレットも。私は大丈夫よ。ただ、ルーク先輩に悪い影響が出ていたらやだなと思って」


「……そうだね。ルークさんは来年から特別学科だし、噂は耳に入るかもしれないな」


「三年生はもう授業がないから、そうそう会う事もないんだけどね」


「僕、寮でルークさんにあったら気にしないように言っておこうか?」


「そう?じゃあ…もしお会いしたら、お願いしてもいいかな」


「お安い御用だ。あ、そうそう!来年から、僕とスカーレットとグレイスも生徒会役員に入ることになったよ」


「えっ本当!?」


「うん。三年生が三人卒業してしまうからね。僕たちはどのみち影の生徒会役員だったしやるべき事もわかったしね。だからどんどん頼りにしてよ」


「そうよ、でもその代わり数学教えてね!」


「またスカーレットはそうやって、アニーを頼りにする!私も頑張るからね、アニー」


 スカーレットがアンナルチアに抱きついて、グレイスがその背中をパチンと叩く。


「頼もしい!ありがとうみんな」


「あ、あとブライアンも広報部員としてソルさんに勧誘されてたな」


「ブライアンって……ブライアン・ブラウン君?」


「ああ、彼も影の役員だったんだけど、情報や証拠を集めるのが上手いんだ。諜報員みたいなんだよ、あいつ。本当は王家で雇われてるんじゃないかと思う程」


「ええ?すごい」


 アンナルチアが目を丸くしていると、スカーレットがププッと吹き出した。


「言っちゃ悪いけど、名前がなんかすごいわよね。ブライアンもブラウンもよくある名前だけどさ、合わせて使うと、なんか「ブ」と「ラ」と「ン」がいっぱいで。前髪で顔隠してるし、茶髪でもっさりした感じで全体的に茶色のモコモコのテディベアみたい」


「悪かったな」


「うわ、出た!」


 スカーレットの頭をぽこりと叩くと、ブライアンが突然姿を現した、様に見えた。ずっとそこにいたらしいが、存在感を消すのが上手い。アンナルチアも全然気がつかなかった。恐ろしいスキルだ。


「王家に雇われるほどじゃないから」


 ブライアンはそう言って、ニヤリと笑う。でも生徒会はいい箔付けになるから考えているところだという。


 ひとしきり笑って、気の良いクラスメイトに恵まれてよかった、とアンナルチアはしみじみ思った。


 ザックにお願いはしたけれど、やはり自分からルークとはちゃんと話をしたいと思ったアンナルチアは、生徒会会議を機にルークと直接話そうと、少し早めに生徒会室に向かった。


 ドアをノックしようとしたところで、話し声が聞こえ、ちょっと躊躇する。甲高い女生徒の声。聞き覚えが嫌というほどある。リリシアだ。それに非難する様なアマリアの声も聞こえ、それを止めるアレックスの声。


(これは、避けた方が良さそう)


 そっとドアから離れ、隣の準備室へと入った。と、そこにはソルとリンダが壁に耳を当てており、アンナルチアが入ってきたのを見て、しーっと口元に指を当て、こっちへ来いと手を振る。


 盗み聞きするなんて、行儀が悪いですよ、とこっそり言うと「広報員だからね」とソルがニシシと笑う。やってることはまるで諜報員だが、アンナルチアも二人と同じように息を潜めて耳を澄ませてしまった。


『お姉さまのせいよ!』


 とリリシアの叫び声が聞こえ、バンとドアを開けてドスドスと出ていく音がする。しばし休んで反省したのかと思いきや、相変わらず怒りっぽくて、令嬢としての態度じゃないんだな、とぼんやり考えているとルークの声が響いた。


『しばらくアニーとは距離をおこうと思う』


『ルーク、それは…!』


『伯爵家にも話はいってるし、あまり騒ぎを起こしたくないんだ』




 キーンと耳鳴りがして、周囲の音が聞こえなくなった。どくり、と自分の心臓が一瞬止まったように感じた。


 アンナルチアは踵を返し、部屋を飛び出していった。


 走って走って、いつの間にか、恩赦祭の日にルークに告白された場所まで来ていた。噴水は今日は止まっていて静かに水を湛え、木漏れ日が風で角度を変えて水面に反射する。喘ぐ息を整え、水に手を触れるとその冷たさで凍り付きそうになる。


『アニーに振り向いてもらえる男になりたいと思う』


 そう言われたあの日、心が舞い上がった。


『アニーの家のこともあるだろうし、色々貴族令嬢として、しがらみもあるとは思うんだけど』


 うん。確かに。私は伯爵家の長女。でもしがらみだらけで雁字搦めにされているのは、私じゃなくて。伯爵令息の長男の方。


 同じ伯爵家でも、エドモントン伯とでは雲泥の差がある。私を迎え入れてもルーク側にはなんの利益もない。むしろ、負債を抱え込むことになるだろう。


『しばらくアニーとは距離をおこうと思う』


 貴族なんだもの。恋愛なんて、普通は夢見ちゃいけないんだった。恋愛結婚をされたお父様とお母様が特別なだけ。


 私は、何も持っていない。




「当たり前、か……」


 ぽたりぽたりと噴水に波紋ができるのを、アンナルチアは静かに見続けた。



「アニー…?」


 はっと振り返ると、そこにいたのは困惑した顔のザックで。


「ごめん。図書館から姿が見えたから、追いかけてきちゃって……その。どうした?また何か言われたの?」


「あー…、ううん。なんでもない。ちょっと色々考えちゃって。えへへ。大丈夫だよ。ザック君心配性ね」


 アンナルチアは慌てて涙を拭い、無理に笑ってみせる。


「ああ、うん。だってアニーのことだからさ」


 ザックは少し顔を赤らめて笑顔をみせた。その顔をぼんやりと見て思い返す。


 入学して間もない頃、アンナルチアはザックに告白されたことがある。とても貴族的な考え方をする男の子で、婚約した際のヴィトン家とザックのブリンガー家の結びつきについて嬉々として話してくれた。


 家としてはきっと、ザック君の様な家と繋がりを持つと心強いのだろうなと思ったけど、その時は学業に専念したいからと丁寧にお断りを入れた。



 もし、彼の申し出を受け入れていたら、こんな痛みは覚えなかったのだろうか。


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